【『團菊祭』備忘録】飯炊き | 観劇のためのプチ備忘録

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ロシアバレエから舞台芸術の世界へ。
團十郎襲名公演中は歌舞伎を集中して観ます。
舞台鑑賞で学んだことや感じたことを書きつづります。
劇場の施設管理や設備管理、アートマネジメントに興味があります。

「飯炊(ままた)き」は、上演時間の都合上、カットされることが多いです。

なにせ茶道のお点前(てまえ)でお米を炊いているので、時間がかかります。

茶道のお点前は、すべての無駄を省いた様式美🍵

茶杓(ちゃしゃく)建水の扱いなど儀礼的に行われます。

政岡(まさおか)はゆっくりと丁寧に行いますが、お茶のお点前がわからないと、何がなんだかわからないと思います。
周りを見れば寝ているお客もちらほらと💦

私の座る3階席からも、建水を進めるなど大きな動作はわかりましたが、細かい所作や手元は見えづらかったです。
大劇場だと、小さい動きは目立ちません。

では、なぜわざわざ時間をかけて「飯炊き」があるのでしょうか。

劇中、二人の子どもはお腹を空かせているのに、なぜ茶道の作法で時間をかけて飯を炊くのでしょうか。

解説を見つけられなかったので、私なりの解釈です。

お茶のこころは、「おもてなし」です。
お客が亭主(お茶を点てる人)の心遣いに感謝してお茶をいただくことで、主客一体となって、茶室の空間が出来上がります。

「一座建立(いちざこんりゅう)」の考えです。
元々は『風姿花伝』世阿弥の言葉だそうです。

政岡(亭主)が時間をかけてお茶のお点前(てまえ)をすることで、千松鶴千代(客)との連帯感や一体感を醸成しているのだと思いました。

この一座建立は客席にまで拡張されているのではないでしょうか。

そして、お茶を点てることは、「忘己利他(もうこりた)」の精神です。
「飯炊き」は、己を忘れ、鶴千代のためにひたすら尽くす政岡の忠誠心のメタファーでもあるような気がします。


政岡の「若君(鶴千代)を何としても守る!」という悲壮な決意と覚悟は、お点前を通して、我々観客にも浸透していきます。

「飯炊き」は舞台と観客が一体化する演出でもあるわけです。
この「飯炊き」の時間があるからこそ、その後に続く千松の命をかけた毒味や政岡の心を鬼にした振る舞いに、観客はより共感ができるのではないでしょうか。

菊之助さんの粛々としたお点前の意味を考えてみました。

ところで、大名家は武家茶道ですね。
伊達家の流派なら、石州清水流かな。 
この流派の方にはお会いしたことはありません💦