初代市川左團次の長男が二代目市川左團次です。
古典だけでなく、「新歌舞伎」という分野を開拓します。
…はて?「新歌舞伎」とは、なんぞや?
岡本綺堂(おかやまきどう)の『鳥辺山心中』や真山青果(まやませいか)の『大石最後の日(元禄忠臣蔵)』が該当するのですが、
結構、上演を耳にするかも![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
![滝汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/039.png)
あら、これらの作品を古典だと思っていました💦
二代目左團次は、西洋劇も手がけたようです。
ハイカラだったからか、「いよっ、大統領!」のかけ声は、二代目から始まったとか。
二代目の親戚に劇団四季の創設者のひとりで、演出家の浅利慶太氏がいるのには、驚きました。
そして、日本初の歌舞伎の海外公演を実現させたのも二代目です。
それこそが、歌舞伎のソ連公演でした。
2018年、四代目市川左團次さんが、ソ連での歌舞伎公演90周年を祝って、ウラジオストクでイベントを行っていたようです。
全く知りませんでした💦
1928年、ソ連は独裁者スターリン治世下です。
日本は昭和時代です。
ソ連政府のリクエストにより、二代目左團次一行は、福井県の港からウラジオストクまで海路を行き、
ウラジオストクからモスクワまではシベリア鉄道を使います。
歌舞伎公演をモスクワとサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)で行った後、再び同ルートで帰国したようです。
意外や意外
初の歌舞伎海外公演は、旧ソ連のロシアだったとは!
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
モスクワ・サンクトペテルブルク区間は、学生時代、私も「赤い矢号」という夜行列車で、走り抜けました。
二代目左團次一行が、どんな思いで同じルートを通り抜けたのかと思うと、感慨深いです。
左團次一行は、モスクワにおいて、モスクワ芸術座のスタニスラフスキーや映画監督エイゼンシュテインと出会い、芸術について意見を交わしました。
世界中の演劇人が実践するスタニスラフスキー・システムのスタニスラフスキーです。
映画監督エイゼンシュテインは映画界の巨匠でした。
映画『戦艦ポチョムキン』は、映画史に残る不朽の名作です。
初の海外公演、
しかも、日ソを代表するアーティストたちの邂逅は、歴史的なものだったはずですが、、、
2018年に行われたその90周年記念イベントを
自分も観劇仲間もロシア語を生業にしている友人たちも誰も知らないという💦
メディアの扱いが小さかったのか。
ううむ。
そして、100周年の時は、ロシアの戦争も終わり、男女蔵さんが記念イベントをできるのか。