5月8日(母の希望 散骨) | しんりの自己中心日記

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シングル(死別) 私。
平成11年1月18日生まれの三つ子
長女 長男 次女の 4人家族。

アメ限に書いてる事は 主人の
進行膵頭部癌で 約6年 の闘病記。
家庭内別居での 発病で、彼のわがままから
私が 軽い鬱になったので、ボロクソな
事 書いてます。

おはようございます😃


今日は 晴れるって。

連休に来てた二人分と

私達二人分の敷布団カバーと

掛け布団カバーを洗いたく

昨日は雨予報なのに

二枚を部屋干し。

今日は 残りを洗って干す。





板橋区大山 佐倉堂さんの 生菓子。






母が希望してる 【散骨】は

いつの時期からかなー

『嫁ぎ先の墓には入りたくないから

海に流して。絶対 そうして!』と。


父も知ってる話し。



私達姉妹は ハイハイ って言ってて、

長男の嫁の母の大変なことは

知ってたから


散骨は 本気だと受け止めてた。



山形に疎開したり

弘前に疎開したり

最後は 青森市内だったと思う。


昭和15年生まれの母は

7人きょうだいの末っ子。

母が生まれた時は 一番上のお姉さんは結婚してた。


終戦後 横浜に戻る 両親やきょうだいたちだったけど、 横浜での 生活が良くなるまでは

母は 青森に残された らしい。


中2まで青森、

中3で 横浜に戻る。



以前は 『津軽海峡に流して』と言ってた。


きっと 青森で、辛い時 海を眺めていたのか?



昨年 12月に 年内いっぱい って言われ、

もしもの時は 散骨を姉妹で確認したが


青森に行くのが私が面倒で

「実家近くの海か、好きだった公園の池 でいいじゃん」と姉に話したら


『ちゃんと やってあげたい、

適当にすると法律に引っかかる』と。



新年迎えられて

姉が少しずつ 実家の片付けをしてる中


母が 自分で散骨の資料を取り寄せてたみたいで、電話もしたメモがあったと。


津軽海峡のど真ん中とはいかないが

青森港から出る。

(大きな船ではない様子)



5月から夏までの期間だけど

夏は 台風が近づいたりすると無理だとか。


だから 来年の5月の予定。


母と姉が青森に行くと必ず泊まるホテルがあるから 


『皆んなで行こう!』と姉。


姉には聞いてないが

【皆んな】って うちの子たちも?


私と姉の二人でいいのになショボーンショボーンショボーン





散骨の話しは 私の長女にも 前から話してはいたが

今回 姉が本気で考えてることを知った

長女が 私に


『ねー 散骨の話しは なし にしない?

おばさんに そう話しなよ』って爆笑爆笑爆笑



昔からの母の希望だからね。

反対なら直接おばさんにいいなさい。

長女は 青森まで 行きたくないだな〜。


姉宅に泊まった次女の話しでは

『来年のゴールデンウィークは連休も入れて

1週間 休めるか?』と

姉から聞かれたと。



皆んなでね、

青森までは 飛行機か?

新幹線か?


姉が あの船だと酔うと。



母はすごいよ。

ちゃんと資料取り寄せてて。




私も 嫁ぎ先の墓は 収まるのが 

後 一つぐらい らしい。


次は お義母さんだろうし、



なんでも 無精な所は 私に似た長女だか


もしもの時は 私も施設に入る予定だが

何か? 自宅で 冷たくなってたら


そのままにはしないで欲しい

(娘が捕まるのはイヤだ)


お骨は 嫁ぎ先ではなくても

全く構わないが 法律に反することは

しないでね。