京都嵐山 百人一首歌碑巡り‐1 | 松尾文化研究所

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京都嵐山 百人一首歌碑巡り‐1

 5月の中旬、京都嵐山に赴き、百人一首の歌碑巡りを行った。平日にもかかわらず、人人人の大にぎわい。外国人と修学旅行の高校生が殆どを占めていた。一人カメラを手に2日間歩き回り、35000歩を歩きさすがに疲れを覚えた。

 新幹線で京都駅に到着、地下鉄と嵐山電鉄で嵐山駅に到着。勝手知ったる道を渡月橋に向け、人をかき分けかきわけ歩き、渡月橋の手前を右に折れて桂川沿いに歩いた。

 小倉百人一首の美術館、嵯峨嵐山文華館へ行く。少しわかりにくかったけれど、無事着いて中に入る。美人画も展示されていたが、今回は全く関心がなく、百人一首の部屋へまっしぐら。百人の小さな人形が、百人一首とともに展示されていた。撮影可能だったので撮ることができたが、二三人の人が熱心に見ていて、全体を撮ることは難しかったので部分的な写真を掲げる。

 これで雰囲気を分かっていただき、好きな歌人の全体像をいくつか示したい。

 まずは小野小町と在原業平。

 

 次いで、河原左大臣と寂連法師。

 

 そこで、遅い昼食をとった。京風うどんだったが、うどんのこしといい味といいなかなかのものだった。いい気分で外に出たが、それからが大変だった。49首の歌碑があるという亀山公園は地図上ではすぐ近くのはずだったが、なかなか見つからない30分以上歩き回り、人にも聞いたが分からず、ようやく辿り着いたときは足が棒のようだった。肝心の亀山公園という表示がなかったことに少々憤りを感じたが、歌碑の姿を公園のあちこちに見出した時は疲れも吹っ飛んでしまい、夢中で歌碑を写真に収めていった。その内の気に入ったものを下記に示す。

 まずは、菅原道真の「このたびはぬさもとりあへず手向け山もみじの錦かみのまにまに」

 次いで、在原業平の「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなひににおいぬるとは」

 次いで、小野小町の「花の色は移りにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまま」

 次いで、僧遍照の「天津風雲のかよひじ吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ」

 次いで、中納言行平の「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰りこむ」

 次いで、河原左大臣の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆえに乱れそめにしわれならなくに」

 次いで、小野篁の「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよあまのつり舟」

 次いで、柿本人麻呂の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」

 次いで、清少納言の「夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」

 次いで、権中納言敦忠の「あひ見てののちの心にくらぶれば昔は物を思はざりけり」

 次いで、相模の「恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ」

 次いで、大江千里の「月めれば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど」

 最後は、藤原敏行朝臣の「すみの江の岸による波よるさへや夢のかよひ路人目よくらむ」

 まだまだ載せたい歌碑はあるが、紙面の都合でここまでとしたい。石の色形、周りの景色が一つ一つ異なり、実に面白いと思った。次回は二日目の別の場所での歌碑を紹介したいと思っている。