百人一首の歌人-31 万葉集の歌人-1 持統天皇 | 松尾文化研究所

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百人一首の歌人-31 万葉集の歌人-1 持統天皇

「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山」

(いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。

持統天皇(645~702年)

天智天皇の第2皇女で、壬申の乱の時に夫の大海人皇子(おおあまのみこ。後の天武天皇)を助けた。夫の死後、皇子・草壁が28歳の若さで死んだために持統天皇として即位している。政策面では、刑部親王や藤原不比等らに命じて法令集「大宝律令」を編纂させるなど、奈良時代の政治の根幹を固めた。

 瀧浪貞子著「持統天皇」を読む。

 645年、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を誅して権力を握った大化の改新。その中大兄皇子は後に天智天皇になるが、その娘として645年に生れた後の持統天皇。天智天皇の弟の大海人皇子後の天武天皇と結婚し、壬申の乱を共に起こし、天智天皇の子大友皇子を破って勝利し、天武天皇とともに天皇中心の中央集権制度を確立する。天武天皇崩御の後、持統天皇となり、自分の子供、草壁皇子を後継者にしようとして太田皇女の子供大津皇子謀反の疑いをかけ滅ぼす。しかし、草壁皇子は死んでしまい、持統天皇の位を草壁皇子の子を文武天皇として即位させるまで続け、702年に亡くなった。まさに波乱の人生、政治力と時代を読む力に優れ、大和朝廷を築き上げた。1400年も昔の霧に包まれた部分が多い時代を、説得力ある論理と推理力で解き明かしていく迫力はなかなかのものであり、納得させられてしまった感があった。さらに持統天皇は万葉集の編纂を始めた。万葉集は4500首、20巻の膨大な歌集であるが、持統天皇は第一巻を編集したのである。第二巻は元明天皇、第一・第二巻の追加編集は元正天皇、さらに第三巻から第二十巻までは大伴家持が編集した。第一・第二巻は第三巻とは異なり、天皇列伝の様相を呈している。その時代に古事記と日本書紀が天武天皇によりはじめられた。持統天皇は記紀を意識した編集を行ったことは間違いなく、正史である日本書紀の記述を補うものとして注目されている。最初に掲げた百人一首の歌は万葉集では「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山」と少し異なる。現代訳はあの通りが一般的であるが、この本では、神聖な香具山に衣を干すとは思えないとし、持統天皇はその光景は実際には見ていないで、白妙の衣は禊のための衣ではないか、持統天皇は自らの信条を浄衣に見立てて詠ったのが真実であろうとしている。天武天皇に次いで草壁皇子を失った悲しみから喪服を斎衣に替え、新たな政務に取り組もうとする持統天皇の並々ならぬ決意の歌だというのである。そして、万葉集への思いの強さも並々ならぬものであったと推測している。さらに、天武天皇を国造りの神とし、草壁皇子から文武天皇への一系制度を築き上げ、その後万世一系の天皇制につながっていく走りとして、柿本人麻呂に賛歌を作らせ万葉集の第一巻、第二巻を飾らせたというのである。その歌の詳細は、柿本人麻呂のところで掲げることにしている。

 持統天皇の歌は勿論万葉集第一巻を彩る。「春過ぎて」の歌に続いて下記の歌がある。

 長歌 天武天皇が亡くなったのを悲しんで詠んだ歌(挽歌)。

 やすみしし、我(わ)が大君(おほきみ)の、夕(ゆふ)されば、見(め)したまふらし、明け来れば、問(と)ひたまふらし、神岳(かむおか)の、山の黄葉(もみち)を、今日(むふ)もかも、問(と)ひたまはまし、明日(あす)もかも、見(め)したまはまし、その山を、振(ふ)り放(さ)け見(み)つつ、夕(ゆふ)されば、あやに悲(かな)しみ、明け来れば、うらさび暮(く)らし、荒栲(あらたへ)の、衣(ころも)の袖(そで)は、干(ふ)る時もなし

(大君が夕方になるとご覧になり、朝になるとご覧になった神岳(かむおか)の山の黄葉(もみち)を、(生きていらしたら)きょうもきっとご覧においでになるでしょう、あすもおいでになるでしょう。(私は)その山を仰(あお)ぎながら夕暮れにはとても悲しみ、夜明けにはさみしく過ごし、衣(ころも)の袖(そで)は乾(かわ)くことがありません。)

 燃ゆる火も取りて包みて袋には入ると言はずやも智男雲

(燃える火を取って袋に包んで入れることができると言うではありませんか。だったら・・・・・・・)

 北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて

(北山にたなびいている青雲が、遠くへ離れていってしまいます。星たちから離れて、月からも離れて遠くに。。。。。)

 長歌

 明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君高照らす 日の御子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡みたる波に 潮気のみ 香れる国に 味凝り あやにともしき 高照らす 日の御子

(明日香の 清御原の宮で天下を治められた我が大君の日の御子、どのようにお思いになってか、伊勢の国の沖の藻も靡く波に、潮の香りがする国にお出でになったまま。無性にお会いしたい、日の御子さま。)

 いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり