日本人について 新渡戸稲造「武士道」 | 松尾文化研究所

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日本人について 新渡戸稲造「武士道」

 Kindle Unlimitedから選んだ本。他にもベネディクトの「菊と刀」選び、日本人について考えようとしたが、この本で十分考えることが出来たので、後日、「菊と刀」も読みさらに深めてみたいと思っている。

「武士道」。五千円札に掲げられていた新渡戸稲造は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。国際連盟事務次長も務め、この本は英文で書かれ、長年読み続けられている。「武士道とは、日本の象徴である桜花と同じように、日本の国土に咲く固有の華である。それは我が国の歴史の標本室に保存されているような古めかしい道徳ではない。今なお力と美の対象として、私たちの心の中に生きている」との言葉から始まる。そして、欧州の騎士道と比較するのではなく、我が国の武士道の起源と源流、その特殊な特性や教訓、それらの民衆に及ぼした影響、その影響と継続性、永続性について述べるとしている。珠玉の言葉が鏤められている文章全てをここに掲げてしまいたいが、章を丹念に追うことにより文章の流れが分かる程度に文章を掲げてみた。

第一章 武士道とは何か。

 勇猛果敢なフェアプレー精神。この野性的で子供じみた素朴な感覚の中に、何と豊かな道徳の芽生えがあることか。これこそ、あらゆる文武の徳の根本と言って良い。ラマルティーヌが「宗教、戦争、そして栄誉は、完全なるキリスト教徒の騎士の三つの魂であった」と述べているのと同様に、武士道にもいくつかの源泉があった。

第二章 武士道の源はどこにあるか。仏教は武士道に運命を穏やかに受け入れ、運命に静かに従う心を与えた。それは生に執着せず、死と親しむことである。神道は主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝心を武士道に伝えた。神社の奥に掲げられているものは鏡のみである。それは古代ギリシャのデルフォイの神託「汝自身を知れ」に通じるものがある。神道の自然崇拝は、我々に心の底から国土に慕わせ、祖先崇拝はそれを辿っていくことで皇室を国民全体の祖としたのである。私たちにとって国土とは、先祖の霊の神聖な住処。それ故私たちにとって天皇とは、法治国家の長、あるいは文化国家の単なる保護者ではなく、それ以上の存在となる。言うなれば天皇は地上における天の代表者であり、その人格の中に天の力と慈悲とを融合しているのである。

 武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えが最も豊かな源泉となった。君臣、親子、夫婦、長幼、朋友についての「五倫」は、儒教の書物が中国からもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたもの。孔子の貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に著しく適合した。孟子の強烈で、時には極めて民主的な理論は、気概や思いやりのある性質の人には特に好かれた。

 武士道におけるあらゆる知識は、人生における具体的な日々の行動と合致しなければならない(知行合一、ソクラテス、王明)

 第三章 義-武士道の礎石 「義」は武士の掟の中で、最も厳格な徳目である。「仁は人の良心なり、義は人の道なり」孟子。自らの道を「義の道」と呼び、「我に従えば、失われたものを見いだすことが出来る」イエス・キリスト。 

第四章 勇。 義を見てせざるは勇なきなり。

第五章 仁-慈悲の心。 愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、即ち仁は、常に至高の徳として、人間の魂がもつあらゆる性質の中で、最も気高きものとして認められてきた。仁は優しく柔和で母のような徳である。伊達政宗「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」

 武士の情け。正義に対する適切な配慮を含んでの慈悲。

第六章 礼-仁義を型として表す。礼の最高の形態は愛である。日本人の美しき礼儀の良さは、外国人観光客の誰もが認めるところである。茶の湯は精神的修養の実践方式。

 第七章 誠-武士道に二言はない。武士の約束に証文はいらない。菅原道真「心だに誠の道にかないなば 祈らずとても神や守らん」

第八章 名誉-命以上に大切な価値。恥の感覚こそ、純粋な徳の土壌。忠義こそは封建制の諸道徳を結びつけ、均整のとれたアーチとする要石であった。 武士はどのように教育されたか。最も重視された品格。武士道の枠組みを支える三つの柱は「知恵」「仁愛」「勇気」とされた。

第九章 忠義-武士は何のために生きるのか。忠誠心が最高に重んじられたのは、武士道の名誉の掟においてのみである。ソクラテスは生きては自分の良心に従い、死しては国家に自己を捧げたのである。

第十章 武士はどのように教育されたか。

第十一章 克己-自分に克つ。喜怒を色に表さず。

第十二章 切腹と敵討ち-命かけた義の実践。

第十三章 刀-武士の魂。武士道にとって刀は武勇の象徴であった。武士道の究極の理想は平和である。最善の勝利は血を流さずに得た勝利である。

第十四章 武家の女性に求められた理想。家族的かつ勇敢であれ。自らを献身する生涯。武士道が教えた内助の功。

第十五章 武士道はいかにして「大和魂」となったか。桜と武士道は「大和魂」の象徴。本居宣長「敷島の大和心を人とはば 朝日に匂う山桜花」

第十六章 武士道はなお生き続けるのか。吉田松陰「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」 武士道は形式こそ整えていなかったが、過去も現在も、我が国民を鼓舞する精神であり原動力なのである。その反面、日本人の欠点や短所もまた、大いに武士道に責任があることも認めなければならない。

第十七章 武士道が日本人に遺したもの ヨーロッパの騎士道と日本の武士道ほど、歴史的にきちんと比較できるものは極めて稀である。ヨーロッパと日本の場合の際だった違いは、次の点にある。騎士道は封建制から離れた後、キリスト教会に引き取られて、新たな余命を与えられた。だが、日本の武士道にはそのような庇護する大きな宗教がなかったことである。そのため母体の封建制が崩壊すると、武士道は孤児として残され、自力で生きなければならないのだろう。

 この本の優れているところは、論語、孟子をはじめとして、仏教、キリスト教、神道、ギリシャ・ローマの賢人の言葉、哲学者、社会学者、経済学者などあらゆる人々の言葉をその都度引用して、自分の考えが独善でないことを証明していることである。賢人の言葉には共通した真理があり、その一つ一つの言葉を知り、整理できたことだけでもこの本を読んだ価値があったと思っている。また、日本人の長所短所を明快に示しており、そこにはキリスト教信者でありながらいわゆる愛国心がにじみ出ている。但し、矢張りこの本は明治時代と言う時代を背負っている。特に男性優位の立場が端々に見られることは仕方ないことかもしれない。それでも21世紀という時代においても、大いに傾聴に値する考えが鏤められていて一読に値する本であることは間違いない。

最後に次の文章を掲げて終わりにしたい。「擡頭する民主主義はいかなる形式、いかなる形態の特権階級も認めない。従って、知性と文化を独占的に支えた人々によって組織されたサムライと言う名の特権階級の精神だった武士道は消えゆく運命にある。近年、私たちの生活の幅は広がり、向上している。武士道の訴えてきた使命よりも、さらに大きな使命が、今日私たちに要求されている。即ち人生観の広がり、民主主義の成長、他民族や他国家についての知識の増大とともに、孔子の仁の思想、あるいは仏教の慈悲の思想は、キリスト教の愛の観念と結びつき膨らんでいくであろう。人はもはや臣下としての身分ではなく、誰もが平等である市民という存在に成長した。いや、市民を超えて人間そのものなのである。名誉、勇気、そして全ての武徳の優れた遺産は、われわれが預かっている財産に過ぎず、祖先および我々の子孫のものである。それは誰も奪い取ることの出来ない人類永遠の財産である。従って現在、我々の使命はこの遺産を守り、古来の精神を一滴たりとも損なわないことである。そして、未来に課せられた使命は、それらを人生のあらゆる行動と諸関係に応用していくことである。」