時に添削されて残存している歴史の全てはパシャン(貼り付き)である。パシャンより先にあるヌーン(混沌)は、言(ロゴス)にて輪郭づいている。そして言は、縁と木立てと叩きである。それは生である。初めに言があり、あなたに葉として訪れる。


神(エロヒーム)いひたまふ「天の下の水は一つの所に集まりて乾ける所あらはれよ。」


現代というのは、縁に連環する各々に現れている時代のいずれか。縁の中でそれぞれの現代が連環している。(あなた方はそれを字(歴史)で照合できる。)弥生から古墳に膨らんでいる。膨らみ縄文にて万世一系の天皇あり。

私は弥生の上に生きているが、あなた方も望むならば、その様に生きるだろう。私はあなた方を木で誘う。



地理について簡単に述べるならば、田舎、都会、丘の3つで考えること。縁とは東から西へ至る流れであり、地理上では、丘から都会に至る流れ。

(丘の上は、必要最小限のものがあり、都では膨らみ、田舎では必要最低限のものが散らばってあり、交通にて労働を余儀なくされる。)

何でも小から連なる。それは膨らんで行く。(※土分けの際、存在論(身、体)(五)を知らずに、上下連環を変えれば力を発揮出来ないので意味がない。)


出エジプトの際、あなたの人生でファラオの軍勢は西から(都市から)追われる。イスラエル共同体は東へ。主はイスラエルをエジプト人の上を過ぎ越して救われた。過越祭。朝まで家の外に出てはならない。出エジプト記12、22

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一、万物の根本原理、二、イザナギ、イザナミ、三(現れ、二と父母子の関係、王。)、十(中央、クロス、針)、(五(悟る、舞う、存在、正、木火土金水、蘊)、六(二と三が結ばれて重なり連なる。北(子)の連環。)、七(刀で縦横に断ち切る。最の後ろの審判)、八(入り口から広がり膨らむ。)、九(鳩、徳。)


これが甲骨文字の形成順。(四は成立が遅れる。)


一、二、三、十、五、六、七、八、九の流れは、四(口、ル)である。(だから言(亖(よん)の口)それは木立てと叩きである。)(経文で七覚する。教学で八に入る。九が生の最低保証になる。物と徳は全く同一である。舞う。)


「初めに言(ロゴス)があった。」(ヨハネ1:1)

「言(ロゴス)のうちに命(一に連なる叩き)があった。」「この命は人の光であった」(ヨハネ1:4)


百(頭の長い毛が満ちる。)(一義にて人々の人生が更新する様子。)(こちらは旧約聖書ではなく、新約聖書なので甲骨文字対応の二(アダムの名)ではない。一人子の名(以下「A部」にて後述あり)。


以下、百について

あなたがたはどう思うか。神が百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷いを出たとしたら、九十九匹を山に残して、迷った一匹を探しに行かないだろうか。マタイ18:12(神は迷い出た一人を全体の中の一部ではなく、全体そのものとして扱う。)


千(満ち溢れる。)、万(より満ち溢れる。万物、萬(サソリ)、亀、爬虫類、地を這う)、億(アラビア数字内を分割して数える。憶測して図りごとをする。天秤にかける。)


要するに一という根本原理から「万物」に膨らんで連環している。根とは艮(北東)ノ木。それは東からの木。(奈良にて一義を示し、連なりの尾が平安に入れば百人一首である。)人類(正しい人類)はいつも一義と非ず心(不)で昇る。回収は必ず悲しみで昇るよう強制される。必要なものは必ず与えられている。)



言(論理)、言ノ葉(次にやらなければならないこと)、言語(language、形式)、文字(パシャン、文化)の順。


この前ダウンジャケットが汚れたが、衣類の汚れは、布をお湯に濡らして、中性洗剤で、外側に向かってとんとん叩くと汚れが落ちる。湯は30度前後がベスト、40度になると汚れが定着して落ちない。



ーー「A部注釈」ーー

一人の人(アダム)の「不」従順に由りて、多くの人は罪人(四、最初にあらず)となり、一人の人(キリスト)の従順に由りて、多くの人は義とならん。

アダムの名の下にあるのは古い人類であり、キリストの名の下に時代にあるのは新しい人類である。それら人類は連環している。(旧約、紀元前千二百年〜紀元前二百年。)(新約、紀元五十年〜紀元百年。キリストの甦りは紀元三十年。聖書では十字架に磔にされて三日目に甦る。)


旧約のアダムの名は新約の一人子のイエスキリストの名に成る。イヴの名は、金入れ袋を預かっていたイスカリオテのユダが祭司長に「彼を引き渡せばいくらくださるのですか」と尋ねて銀三十枚を支払う事を約束し、引き換えにイエスを十字架に磔て、三日目にイエスキリストは甦る。その際の最初の目撃者はマグダラのマリアである。ここが旧約のイヴの名の昇り連環。)


「殺す」は共同体秩序の所有(勘定)生きているものを奪う。(殺すことは罪。(四の羽が左右に離れ合っている様子。)」

「死ぬ」は神の国への入場。(舞う日月。)


パウロは言った「罪に対して死んだ者は自由である。」(ローマ6:7)、「罪の報酬は死である。」(ローマ6:23)



聖母マリアはイエスが十字架に磔にされた際に共にいるが、三日目の復活後は交流せず、マグダラのマリアが甦りをはじめて見る。マリアが最初にラボニ(先生)と応答する。その後、エマオ途上の二人の弟子と会い、ペテロ(シモン)に現れ、エルサレムの十の人の弟子(ヤコブ(ゼベダイの子)、ヨハネ(ゼベダイの子)、アンデレと共に食事をした。イエスと最初に会った名はアンデレと当時無名のもう一人の弟子ヨハネ)(アンデレはペテロと五千人給食をする少年をイエスキリストに連れて来た。)

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ーインド史ー

例えば、古代ヴァルナの四姓の枠組みにおいて、私は当初クシャトリヤに生まれて、シュードラから経験した。

クシャトリヤになるものは、ヴァイシャに生まれてシュードラから経験している。ヴァイシャになるものはシュードラに生まれて、シュードラから経験している。シュードラになるものは、アチュートに生まれて、アチュートから経験している。(これらの下に、千、万、億がある。)(だから完成の際、アチュートは存在しない。シュードラになれている。社会的世俗概念のヴァルナにのみアチュートは仮に存在する。)

ヴァルナ(四姓)の上には、イーシュヴァラ(主)がおり、ブラフマン(万物の根本原理)、アートマン(内なる我) と連環している。そしてイーシュヴァラの働きから三神(創造・維持・破壊)が現れている。


ヴァルナは紀元前千五百年〜千年。(そして、紀元前五世紀には、二ルヴァーナである。(二神を悟る、ル(流)、ウ(冠)、ナ(土地)、尚、紀元前二百年〜紀元後五百年の真ん中に生きる場合、ヴァル二(女性原理と男性原理から流れ行く)になる。

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尚、日本史の涅槃は古墳〜飛鳥(土分け)(三蔵(経、律、論)飛鳥〜平安に流れる)(奈良は一義を示す。)私は義人の土分けにて四に向かい、教会(経云(口伝)の肖り)が、飛鳥〜平安の流れることを知っている。その後、物と徳が同一でそれは十と四の義)になる事を知る。


月の十四日まで保ち、イスラエルの全会衆その夕にこれを屠る(邪気を退治する)べし。出エジプト記 12章6節

正月の十四日、日没のころ、主の過越祭あり。レビ記 23章5節

過ぎ越し祭りは十四日である。




あなた方は万年に居住するべきではない。その証拠に、時間的関係上、あなたの周囲の祖父母(血液の意味で)や、両親、親戚、旧友の多くは万年に生きていたはずである。あなた方はそれを通過している。決して血液に流れてはならない。加齢で万年になるのではない。そのラインを通過しているのである。(逆に言えば縁を切れば誰でも万年に生きてしまうということ。)(だから血液の祖父母等に、甘えずに孝行するに留めよ。)(思い出(渇愛)を裏切る。縁(時)を裏切らない。「不」である。)血に生きるのである。血迷うものは万年に入るように出来ている。それは淵の黒である。血迷いから出た者達で万世一系は形成される。それはあなた方にとって「不思議」であるが事実である。


この杯は汝ら(ヌンに居るあなた方)の為に流す、新しい過越である。一人子の血は、罪(四の羽が左右に離れあって行く様子)の赦し(汚れを除く)である。その血はあなた方にとって神(エロヒーム)との新しい契約を成立させるものである。



三世紀(弥生〜古墳)はじきに訪れる。倭国は中国と朝鮮半島とは既に交流している。和は丸い。三蔵(経、律、論)と三ノ蔵(斎、内、大)は既に形成された。(環濠集落がまだないが)

あとは一般性を正しく知らせること。一般であることが事実だからである。



イザナギは、イザナミを追いかけて、腐敗(蔵、打たれている。)を知り、八雷神に囲まれている姿を見る。イザナギは恐れて逃げ帰り、イザナミの千、イザナギ(千五百)の関係になり、立場が逆転する。その後、黄和泉比良坂(よもつひらさか)で千引石(ちびきのいわ)を置いて、国を断絶(国に行かずに流す。)黄泉の不浄(不の争い)を清めるために禊(身を削ぐ)をして女性原理(アマテラス)、智慧原理(ツクヨミ)、労働原理(須佐男原理)が現される。(須佐男は労働原理の全体だが、それは木立てと叩きの連環である。)