救い主の三日目の復活で歴史が見抜かれ、あなた方が歴史を見抜いてゆくとき、歴史の終わりである。死んでいたものは生き返り、共に生きていたものは更に生きる。
(歴史とは、ど真ん中の命の木ではなく、ど真ん中から曲がり流れた林を止めて見ていること。)
此岸(此の世)(迷い、悩み)で、死んだ(魂と肉体が分離した)あと、七日目に三途の川に至り、彼岸(あの世、浄土)へ、渡りはじめます。
渡り方は、生前の行いにより、十王に裁かれ、橋わたり、浅瀬わたり、激流わたりに分かれます。その後も七日ごと計七回の裁きを経て、四十九日に成仏します。(七はとぐろ。四は心の蔵。十は中央の交わり、九は聖なる働きの完成です。)
此の世(此岸)に未練がある場合は、成仏できずに苦しみ、さまよいます。川の流れは激しくなってゆきます。此の世(此岸)は苦であり、苦は十二縁起の無明(四諦と縁起を知らないこと)の行いから展開してゆきます。
文化されたものの上に住む、此の世に住んでいるときのみんなのノスタルジー。万年の時間は伝承となっています。
だから万年の生のときに三途の川など、なんとなく聞いたことがあるのです。(また、あなたの万年の時間の記憶は、千年にて回収されます。)
そして人間は一度死に(万年の夕日を越えて)七日目に、三途の川を渡ります。千年の話しです。千代に八千代に紡がれます。
苦しみを受けて、七日目(とぐろを見る)に川を渡りはじめ、道徳に生きはじめます。
道徳を放棄すれば、永遠の苦しみ(地の国)をさまようことになってしまいます。
あらゆる物は、千年王国の支配者である父なる神のものである。父なる神から万物(あらゆる物)は流れています。
大切なことは、人の話しを聞くこと。相手の気持ちになること。
(人とは内縁の最後の人の話し。相手とは内縁の右上の気持ちと、左下の気持ち。)
罪が深い者は、僕と周囲の人間数になり、それら周囲の人間数の気持ちになって話しを聞いていて何が悪い!となってしまいます。道徳がなくなります。
そうなると、女と金は必ず朽ちてゆきます。女と金が上手くいかなくなり、かつ自我が残ると、周囲と比較して、僕はカツ!僕はマケナイ!やっぱり面倒くさいからどうでもいいや!のセットが発生して、右上から見ると、キモくてボコりたくなり、左下から見ると言うことを聞くに値しない、典型的なコンプレックス系男子になってしまいます。(テレビに出てくる様な人間主義、何でも我の価値観で測ってしまう。)
大切なことは、それらへの気持ち悪さや殺意を越えて、全てを赦しまくること。オレンジ色の炎ではなく、赦して、青い火で、絶対解決(行い)を繰り返すこと。そもそもその状況にならない様、出来るだけ上(かみ)を共有しながら行いを共有すること。吐き気や殺意に熱意が負けて、行いから逸れるなら必ず自分に返って来ます。
外にヨダレを垂らす者は苦しみます。また万年に愛された全ては前借りです。千年から万年があるからです。残るお金と、残る女は、外縁にありません。内にあります。
神の国はあなた方の内縁にあります。内に行くのは道徳です。神への信仰、義によって道徳は養われます。
誰でも身近な人の出来事でなければ、悲しくなれない様に造られています。身近な人との関係は何で出来ているか。それは内縁で出来ており、縁起と四諦を知るは悟りです。
縁起の法により、人生で一度、必ず正しい教えと出会います。それはこれです。その様になっています。




