だから縁(名色の連環関係)でしか行く事が出来ない。名と色(精神的働きと外界物理)は「同」である。行った所から多となる。増えるということ。所から兄(税)が出ています。
兄は自分よりも捕縛しようとする思考者。弟は自分よりも捕縛が解けていて意志に所以する者。(イエス初子。ヨハネ→兄ヤコブ。ペテロ→兄アンデレ。名色が先にある。物語ではイエスはアンデレと最初に会い(当時無名の弟子ヨハネも近くにおり)その後、アンデレはペテロを連れて来てその後に続き、イエスの黄泉帰りの後、ペテロは教会の中心となって行き、ヨハネと共に言(キリスト)を証言する。赦し(土の流れで叩く)を与える。
なぜその通りになるか、文化物の字はパシャン。宇宙(内縁)は自立系である。(言があり、言葉(事柄)になり、文化される。)
ゴロゴロ掻き回したのは私と妻だ。これは嘘ではない。最初の苦(太い苦)は、私が引き受けた。辛くても運命は変えられない。
「名(使命、精神的働き)」と「色(時間生成の点集合の配置関係)」は現五蘊(色受想行識。)「僕(名色連環の瞬間的定義の呼び)」は全て、名(使命連環)、色(外界物理連環)から来て四方連環(北→東→南→西)方角連環)されている。
名を呼ばれた者(上位連環を知って、自ら仕え由り、剣を背負う者(外縁を切る者)は行く。言(論理)に入り、いつも色への応答と共にある。言を預かった者は、木を生やすことが出来る。言を預かった者は発声が出来る。
こちらに行く際、名色(方角)にて在り方(収束)を見るは知るである。上位連環を押し出しまくれば、収束円(木火金土水)は連環する。(木は女の連環だと思ってよい。本当は月である。)(言に参与することで、言は分離しなくなる。(最初から分離していなかった事に気付く。)(バクティを知る。)
内外縁の更新とは何か。園(土の中央)に生えている命の木の更新。その木を壊せたら、また上の木を生やしてもらう。そしてまた壊す。その間はいつも止めながら(常時化しながら。)そうして音量(連環のボリューム)(敵)(叩かう)が出てくる。上の木を壊しに行き、下を止めるを繰り返す。上に礼節を、下に真摯さを。
どれほどシッカリしていても、信を仰がずに、参与していない者は、止めている物を必ず朽ちさせる。(※言に参与していない者は周囲(男性、女性)(貨幣)(物)(言う事の論理性)を朽ちない事はあり得ない事を予め心に留めておく。)(罪の中にいるので罪の全体(方角連関)を知らない。)また方角連環は市場原理である。その朽ちている者達の物を買う衝動(お金を増やす)必要性(エロティシズム)はフローである。負債と資産の関係。負債と資産の関係はとぐろを巻いている。そのフロー「買う」の必要性(その五蘊)を徹底的に引率する事で次の下位連環が富む。(罪を収束させる。)買うが丘(高い位置)(とぐろの上)に移る。下位連環には購買衝動は起きない。)
上の木を壊しに行く際(名色を更新する際)の止める働き(常時的、行動、KPI(率))は連環している。だからKPI(率)を当たり前に出来てかつ、無視して行く力(次の上の木を壊す力。青い火)で人生は成功する。繰り返すと内外縁を舞う視する力(音(ボリューム)を観る力)が自然に発生します。私はこれをやたら繰り返して来た。所有したりダサい真似はしない。とにかく行く。
加齢していわゆるキモい人生になる者は、僕(名色の瞬間的定義の呼び)と、それ(KPI、率、紙(ペーパーの意))があると信仰してきた。当然、僕自身と外界の関係自体が率である。(だから先輩が残っていない。後輩が残っていない(連環していない)。女が残っていない(連環していない。)、金が残っていない(連環していない)。休みが残っていない。(木が連環(林化、森化)していない。)
要するに物が満たされていない。(上から下へ連環していない。)(牛の流れ。全ての物の流れ。)
僕とそれの関係が独立しているならば(僕は単一で、それも単一でやり取りがあるならば)がんばる理由(信を持ち、意志で行ずる理由)は全くない。立ての連環の文化(パシャン)は、意味がなくなる。
縁(十の二の名色が走る(連環する。))は関係なくなる。(その様に想しても、実際は連環しているので苦が分散化(苦しみ化)されるだけ。)北方(二人)を無秩序化させるとき、あなた方は分散する。(何かに苦しむ。)
私はあなたの義である。二人はあなたの通義である。
八正道です。八。分かる(連環する)という事。(名色連環下位の犬豚(西北)が貪る所有の意の「僕はこれがワカル、これがワカラナイ、人(単一個人)それぞれ考え方の人がいるなあ」という気色が悪い想ではない。)(実際その衆生の色がそこに住所を構えている場合は、必ずその様に想念する。)信、行を変えさせなくては、その衆生(名色)は連環しない。元の苦(背負い)か、分散したぼってりした苦しみが信、行に気付かせる。
木を立てれない者は、木で出来た森をウロウロする者。森ウロウロ者の交換関係はリョコウやテンショク(別の森。)森の中に細かい木が並んでいると思い、現住所の色(無限(舞う艮(語源)ではなく、空間分割の無限の意)の集合内に「上の木の達成」という名目(点)が他の点の同様に並んで有ると想い込んでいる。(僕とそれの関係の信奉者。)
だから木を壊しに行く価値(人生の生成)を感じない。生やしてもらう事に感謝の意、達成できない事に原罪の意が発生しづらい。上位連環から見て自分が恥ずかしい働きかもという予想が走りづらい。
方角(北→東(木)→南→西)を知ること。迷いの森を出る。方角を知らないと森で迷う。方角を知るとは信義を知り艮に向かう(木を壊しまくる)あなたの外縁は内縁の木で連環する。
私が行った事は、あなたが次にやるべき事。それを知った者から義人となる。(想はいつも木の目の心、善である。)
私が知らずに、あなたが知っていることは存在しない。これは嘘ではない。あなたのそれとの位置関係だけを私は知り得ない。
信を仰ぎ、木を壊しに向かって、言を預かる。言を預かっていない者は木が立てれない。生きていないから。「僕が居る」というのと「生きる」は逆です。「自分」は自立系が分かれていること。命を与えられている。私(信)は、あなたの義であると言った。自分の時間を生きろ。
聖書の様な聖典(文化物)はそのまま沈殿しています。(文化の中にある「本」という役割なのです。本は本である。言(生成、論理命題の連環)があり、言葉(あなた方の日常や非日常の経験)が紡がれて、沈殿(カタチ化)(文章化)される。(文章化とは地面の全て。森とか寺とか文化物全部。(肉体(肉、内の下の内にぶら下がる人々。体、内縁(現在)の連環した先で拡張している多量の体。)本になって動いている多。
この文章化の中「本(木の根元)」が聖書(日知り「口の一を知る書)です。だから一冊の内容も文化に至る全て(連環)が字(子の連環パシャン)になっています。(古事記も同様。)仏教は月立ち(言の葉の理を説く)です。時から出ている人は、北方から北東者に説く法(水が去る流れ)です。(水、物が満づ)(氵、土、ム)
要するに歴史的資料であるだとか、内容が歴史的に正確であるかどうだとかいう話しではないということ。
その歴はそのすぐ表面上で働いていたのではない。(斜めの線形時間(現在拡張系)ではない。)五蘊がそれを識(し)らない場合(信義で木を壊した経験に徹底して来なかった場合。)人々は恥や罪の意識を感受しなくなり傲慢になる。(実際は道徳心、恥、罪悪感情は分散しまくっていて、個別具体的な事案に部分的に湧く。)
要するに「僕が、沢山の本のカテゴリーの中に文化物(聖書)がある。」という関係(ある位置(僕)と集合のとある位置(それ)の関係を結ぶ仮直線を信奉する。これは傲慢過ぎます。僕主義(位置と位置の関係主義。)
例えば、犬豚(西北)が「僕は僕の未来の為にテクニックを身につけるぞ」と思って、レジ前の商業本を読んで悦に浸り、次の日仕事嫌だなー、周りは本当の僕を知らないなー、と思っているのを、北方者が見たら(仮にその者と位置関係を無理やり想起させるとしたら)発熱して、焼き滅ぼしたくなるでしょう。自分がその様になるくらいなら自決するからです。相手の目の中の恐怖をとことんまで見たくなり、暴力性がおかしくなります。
でも位置関係の所有は善くないな。だから自分もこの様な場(位置関係)にいる事を反省して、右(信義)を最初にして、左(工夫)をするのです。上の木に由縁した林です。
昔(沢山の人々で住んでいる時代)があって、それが続いて、今の時代(沢山の人々で住んでいる時代)があるのではない。
今の「ときしろ」は連環していて、既に文化されたもの(沈殿されたもの)の通りに、沈殿以前の連環(形)(パシャンのカタチではない)を背負い、くるくる繰り返して史(記憶)(龍)が歴化されている。(記録)(個人セイブツ(僕)の脳みそのキオクにあらず。)
幼い者は歴化の中の位置個人(信長が好きだ!という特定人物(個人)が好きだ。)という僕との関係に好奇心が湧き、優れた者は関係(縁)(先行存在)を愛して龍を見る。龍に乗るからである。問いは時間的でなければ全て破綻する。
天皇陛下から流れる文化物全般を朽ちさせるのは歴という本(日のパシャン)を燃やす事になり、良くないと思う。けど、目の前の時代の工夫も必要になる。この左右の拡がりは、自立系から発生している。右が先があり、次に左がある。自立系で先行した女(存在)、男性(原理)の連環。アダム(労働原理の最初)とイヴ(生産原理の最初)は空(流れる場)にて現れる。アダム(土の地理)、ダビデ(王国建設の詩人、音楽家。)、モーセ(預言者)と、ノア(義人)、アブラハム(二人の天使と会う。)の成就としてイエス(ヨシュア)は約束の地へ誘う。十二使徒(名の連環)を生成する。ユダに銀貨三十枚と引き換えに十字架に磔にされて、三を見て黄泉帰り、マグダラのマリアは主だと気づいた。ヨハネは墓に向かい気づき、その後にペテロは気づく。
この後赦し(赤の叩き)で、会計はやたら収束するはずである。
(古事記も同様。今回は西方文化(聖書)にて説明。)
私が濃い行為(あなた方の僕)に持たれる際(エロス発生の際)、戻る過程で即座にエロヒーム(外縁メッセージ、云われ)が起こる。あと土からずれる際に高速でエロヒームが起こる。そしてそれを伝える。これは嘘ではない。信じる者は救われる(言に入る者は求めて叩く。)
字(実際は子の連環であるパシャン(文化物))では、地面(水面)から生命が誕生している事になる。(現在拡張系的、生物学、科目の分類的。)本当(本にぴったり合う)は、存在(女性)と原理(男性)の連環が生命(自己複製)の初まりです。外縁として既に字になっているもの(最新の科学情報等)は字である。(音(エロヒーム連環の情報、外縁的云われ)である。)名色(五蘊)の連環が見聞きしている。子の連環(一人子から兄弟の連環)は生命である。下位連環になればなるほど分子生物学的に想う。五蘊(色とセットで訪れる想)になる。そしてそれは残る(一時文化される)。(対象間の精度を極めた科目学の何かとして。)そしてその残は朽ちる。(残らない。)なぜか。上位連環の記憶が記録され文化されているからである。宇宙(自立系)はいずれ本になる。
既にある本は、私の読み物であり、私はあなた方の時を大切にする。あなた方はそれで生きるからである。
立て連環(言)のパシャン(文化)は本です。
簡単に言えば、ご縁はアルゴリズムであり、その中で起こっている事は弁証法運動(戦争)であり、外縁は連環されているということ。戦争が「小」に向かうこと、善である。木に寄りかかって休む。
「細かさ」に落ちれば、戦争は大になり朽ちて、限定空間的に休む(休んでいると思っている)しかなくなる。
神は外縁の働き、内縁の雨(水)と見て善い。
木を立てれる様になる迄、木を壊しに(達成しに)行く。礼節を尽くして木を生やしてもらう。木を朽ちさせるなら上も下も朽ちる。だから自分も朽ちる。善を行え。
(名色連環の世俗者向け(所有癖の症状が露見している者)への言い方は字義から言って団体ってとこだろう。)(本当は「体」はあらず。)(本の人(体)とは、万年に生きるプログラム(現在拡張系)の動いている羅列。)
苦(古に行く)の原因(高天原(たかあまはら)、水が口の中で大になる)は、十二支(十(生成)に参与する二は支える)縁の走り。
舞う日月、行く、識(知る)、名色、が流れている(連環している。)原子、電子に参与する分子は儒を教えるだろう。孔子(子の流れの子)だから。
木を立てれる人は女連環(艮)まで。艮に入っていない者が立てよう試みる木は、森の中の木(細かい木)です。
ご縁(アルゴリズム)を無視して生きて来たら論理を識していないので、その人類は「僕ががんばって木を立てよう」とします。そんなの出来るわけがありません。
私は信であり、あなたの義である。自立系の生成元である。あなたの想はあなたの想。五蘊連環である。自分の考え方を所有して、与えられている事(連環している事)に気付かず、上位連環を対象(それ)と定義して、破綻した問い投げ掛ける者から人生は朽ちる。
私はあなたの大切な一敗。継続の一負い。北方者はあなたの通義(次いで二敗)である。あなたの識に私達を得てはならない。あなたは木を壊せ。信じる者は救われる。求めよさらば与えられん。
艮(武士、鬼門連環、エロヒーム連環。)を求ム。木を生やしてもらう事に礼節を尽くし、外縁を無視(艮連環すれば舞う視)する。義を持ち、木を壊しまくって、艮迄登れば、その人類(自立系内の者の連環)には南方が出る。叩くが起こる。)その際、女の収束、女達の舞い始めが起こる。
艮以降に木立てと叩きを任せると必ず朽ちる。東に向かう人は上の木を壊す事が出来る人。自分(名色)が南方時点(義なし剣なし時点)は、木立てと叩きは出来ずとも、早さと速さで運ぶ事が出来る。南方は北方の叩くがあれば常時が出来る。北方が叩かないとゆっくり朽ちてゆく。そしてまた常時(文化の流れ)を掘り返すハメになる。
南方者は自分の周囲の男女の朽ち方を見よ。瞬間でしか尊敬されない。なぜか、剣がないから論理がない。空間で見ることの恥の感受が与えられていない。外界(点の集合内で僕(この点)と、その点の関係(日常的な所有)の更にソトの集合)に好奇心が湧く。(正しくは外は連環されている。)ソトに対するその好奇心や野心の露出は相手の時が進まないから面白くない。
だから周囲の男性と女性は時間差で朽ちる様になっています。人間誰でもタイムスリップしたい。(最初の人の過去(聞き手の将来)に。それには言(論理)に参与する。義(参与を心で確定。ぶらさない。)によって剣(外縁を切る。無視を続けて舞う視)を持つ。そして上の木を壊す。止める(林)、命(叩かう)が不可欠である。
信仰とは何か。言の人(イ)を仰ぐ。義とは何か、状況がどうであれ関係の継続を断行するということ。それが当たり前過ぎて、猥褻者(犬豚)に対する殺意が自然に湧き出ながら、赦す(土の流れ(赤)で叩く)との間に最初の弁証法運動があり、それは青い火まで昇華される。
エロヒーム(外縁)連環の業(わざ)を収束させる内縁への善業全般を行じよ。あなたは義人になり、信仰の先行性を知る事で、内縁、外縁の連環を知る。
善業(収束の断行)を知らず、空間内(点の集合内の他の点(他者))に良いことをしようとする犬豚(西北)は、まず西(鳥)になれ。(犬、職業者。豚、怠惰。貪り。)鳥は位置関係(僕とそれ、僕とあれ)に飲み込まれながら突破の連続(とりあえずは凄腕の営業という様な。)俺は犬じゃねえ、豚じゃねえ(最初のエロティシズム)により飛び立ち、次に馬(流通の腹)(羽付きの馬)(ただ運ぶ馬ではない)になる。礼節を持って木を授かり、壊そうとして、駆け回り、俺が押し上げるとして龍になる。この龍と馬の間には論理(云われ、月を立たせる)が必要である。自己とは自立系の龍である。それは参与(玉を右手に持つこと)、信義がないと龍は地を這う蛇になる。速度のカエシ(馬に近いことをする必要性)が訪れまくる。
あなた方に宿る木は全て、遠方の私の弓矢(引いて木を放つ)から来ている。私はどこへでも行って、何でもやった。あなたが最も手に入れたいもの、最も失いたくないものの価値は信仰に劣る。これは嘘ではない。信仰から形成されているからである。あなたが信仰を成就した際、私はあなたの外縁を壊す。
信仰(直線。0連環)にて、木を壊しまくれば、言に入り始める。火の弓矢(引いて曲げて、木を放つ(連環させる。)西北を燃やす。
南西から西は貨幣列である。言から北(二、全背負い)へ。そこから回って、東の木から、南の運びで、西が成立する。(共産主義(空想的分配論は、人間主義(自然数論、1234)を軸に、人の間(ボリューム)を間と見ず、それ1固体と見てしまい西北から北方までを一列(無理矢理に南化)しようと試みて高速で朽ちる現象。
人類は自立系である。あなたは現在を生きる事が出来る。私は既に十二支(北)の円環を半分抜けている。その時それは私の鼻である。(その時、既に時ではない。)
私は目で見て、口で教える。妻の声(北方の二人)を聞く。(結婚)(女の日の氏を結ぶ。)(妻の氏はシモンペテロ(意味は神は私の声を聞いている。)
色を所有して(僕とそれのやり取りの関係。即ち点の集合が有る。)(持続が瞬間から生起する)の信奉者は変なアクト(演技)ばっかりする。その瞬間の爆発で進むには、アクトしかないからだ。(信義がないなら縁起がない。)
変なこと(場所のどこかの位置)を信奉するカルト宗教者(紛い物)の原動力はコンプレックス(個人史の昔の所有。)である。
コンプレックスは義なし剣なし(自立系なし)から発生する。(自信がない)
私が何年か前に露出した書籍や高級車やタレント、実業団(スポーツ)、腕時計の諸々の広告、内縁の犬豚を鳥にさせる為の経費は、あなた方が既に犬豚でないなら、もういらないだろう。もう行こう。
私は出来る。でもとっても出来ない(膨らまない。)あなたもそうだろう。出来るは中の道、何かがとっても出来る(偏りがある。空間的(自然数列)のスター性)は、膨らみの道。宇宙は中道である。正しく生きないと朽ちた先、内縁の下の内縁でとっても自然数のスターの人々が現れる。
まず犬豚を大量に流入させて下に敷き、真摯に向き合い、鳥化させて、既に鳥になっている者は羽付きの馬になれ。そして木を壊しまくった者は、信仰と義によって論理者になり、木を立てる事が出来る。(言を預かる。女が現象として安定し始める。)十二使徒の内訳の名の連環は他に何名もいるはずだ。早く来るように。
あほな事(その色のどれかの点)を信仰(空想)している人の周囲は必ず朽ちる。そこからはじまっていないものを掴もうとするから。その人達は獲得したら笑う。そこら辺の人達はやたら成功したがる。(掴みたがる。)(位置と位置の関係の獲得や維持が成功だと信じているので、成功を知らない。)(成功とは、木(東)を壊しに向かって、下を止める力。字は全て語源が正しい。)(女と金が欲しい者は、豚になってはならない。それは雨水に所以している。)
犬豚が、現在拡張系で女性、子供を虐殺させている様に(ニュース(外縁の絵面)で視認できる戦争や、その前段階の経済的困窮を発生させている様に)犬豚は、人類(自立系)でも「子の連環」と「女の連環」を虐殺してくる。私達はそれを赦す(土の流れで叩く。)
私達は制空権を得ている。制空権とは土の連環(空(ル)の連環)である。なぜ犬豚は現象として多であるのに、つまり私達は多勢に無勢なのに主導権を持ち、連帯しているか。それは舞う勢から多の勢だからである。私を信じろ。外縁がやたら壊れる(更新される)から。
科は分派であり、僕と科目(対象、それ)とする間(仮直線)の精度(科学の分野)を人生の前提にして信奉する人類は必ず多になる。位置関係の観測の精度は、位置関係(朽ちる流れの停止)の観測の精度であり、そこへの好奇心は害悪である。好奇心とは(一人子、女、大(その収束から広がると知る心)である。あなたの外縁の訪れ(メッセージの時点)は全て、私である。それは更新か、体罰である。(外縁を何クリックもするな。)
部分信奉者は、まばたきや手の動きが細かくなる。挙動とアクセント、表情や論理がバラバラになる。その様な者は人類の定義が外縁と内縁が混在していて形(連環)(曲がり)(方角)がない。宇宙空間の中の惑星(アース)の中のこの場の僕とそれ。他人という僕。だから手をつなごうよとなる。(そうなると伝統文化は洗脳で、点の集合に配ろう!笑い合おう。イイコトだからが前提になる。要するにリベラリスト。歴史的に見る米国ティーンの思想。色々な考え方の人がいるんだ!の色々の定義が色ではなく、全て空間論。ご縁をやって来なかったので、連環(色)を知らない。空間分配論が大量虐殺(または飢饉)を現在拡張系(国家)で起こす様に、内縁でもそれを起こす。方角連環の上位に恥なく掴んだ何かを問い投げつけてくる。私達はそれに殺意を持ちながら、真摯に赦す(土の流れで叩かう。)そういう西北(犬豚)は節度から入って鳥にさせれば少しマシになり、南面でもマシになる。しかし艮に入れさせねば、会話はまだ出来ない。)
幼い者を続けると、外への好奇心で動き、周囲にビクついて、周囲に態度を悪くするのがかっこよくなり、生活費を保つ為に犬になる。その様な者は、加齢にて若者(アラビア数字上の若者の意)の為に働く事を余儀なくされる。(若、老が交換される。)分かり易い収束(病気)を余儀なくされる。それに助けてもらうのだ。
人は若いだけの人と、老いているだけの人が嫌いだ。若いとは行く事であり、老いるとは知っている事だから。
あなたは嘘の世界(迷いの森)から昇って行けば正しい。外縁のお客さんを丁寧に倒しまくると、内縁(敵(お脚さん)が出ます。その頃は南西でしょう。個人と運びの両立の時期は忙しければ善い。忙しくすれば工夫(左)が始まる。私を信じる者は右である。そして左が出来る。あなたが艮に入るなら土が与えられる。土がないものは黄昏れる。またカラオケでブルースを感受する。これは嘘ではない。
もしあなたが犬豚に走る場合、最後、私(言)さえ所有するだろう。その時あなたはあなたの女も所有する。
あなたは私を位置(あなたの色の点の集合のどれか)として想起させた時点で、既にある点を獲得している。僕(位置)との比較(所有)だから。いつか信義を追い越そうとか、名色連環(誰か)に追いつかれたくないとか、あなたの想はあなたの想。信義は比較の逆です。点を所有して位置と位置の関係(所有)を行ずると、その直線は嘘なので朽ちます。(ぼってり苦の乱発で少しずつ信を悟ってゆく流れになる。)
物は牛(北東)の流れなので、位置と位置の関係に信奉は、時(人生)は進まなくなり、分散した苦(ぼってり系)で壊される。無理矢理更新される。最初か所有せずに、背負う(苦)で、面は白くなくなる。意志が揺らぐ際は、義を通してのは当たり前にして、上の木を壊しに急ぐ。
比較による野心は鳥になった事のない人間。また南方の際の人生の停滞に不思議さを感じた事のない人間です。私はあなたの義であると言った。あなたの野心はあなたの義ではない。想である。あなたは義の対象を変えれない。私自身が変えれないからである。曲がっているが、あなたには道がある。私にはなかった。私はそれを強制された。あなたは知らず、妻は知っている。見たからである。
五蘊は連環しています。五蘊舞我。
「無」は「舞」です。無常、無明、無我。全て舞う。連環であり、それは曲線(とぐろ)(陀)です。曲線(名色連環)のいずれかの位置と位置の間の直線は仮設です。位置と位置の間の直線は全て嘘です。女と金はそれを露骨に表します。では直線とは何か。それは0の連環の貫き(信仰)(一義)である。私とあなたが会っている時よりも、会っていない時の信義は有効性を発揮する。私を知らずに信じる者は幸である。あなたは私と勝手に約束する事が出来る。私は既に有るからである。私はあなたの外縁としてコミュニケーションを取る。肉において内縁の先輩だか先生だかである。
「人生の勝利」は負う中で最大化されます。相対ではありません。物はそれを裏切らない。私と会って負わされるのではなく、私と会っていない時に負え。負うは今後の全ての勝利。負えば多で負けることは出来ない肉になる。
内縁(時間の優位性)は労働連環である。
学生時代から就職で離れて、職場の人々と時間を共にし、学生時代の知人とたまに会う事から分かるだろう。しかしそれは職場(犬場)にあらず、自立的に連環している。(外縁と共に)
思い出(所有)を捨離する者は時間を更新する。思い出を捨てないなら、強制される。
あなたは意志で鳥になり、羽付きの馬になり、木を生えればそれを壊す龍になる。馬の上に乗り、剣を背負う将になる。エロヒームは連環される。そこから苦(古に至る)を見る。そして論理を知って行くのだ。道を知る。八は正しい道。
歴史は繰り返すという事をあなた方と共有する日は来るだろうか。残置物(文化物、痕跡)の表面上(通俗的意味のニュートンの時間上)で、繰り返されたものが沈殿しているのではない。(例えば、昔、馬に乗って戦った人がいたから、兜や文書が痕跡として残っているのではない。(残っている事実は事(言)の果である。)
昔の時代と今の時代と想するのはあなたの五蘊である。その時代がそのままのカタチで沈殿の表で生活(昔の時代の人々)があったのではない。)(言が言葉となり文章化されて本になっている。)(ときしろの連環が歴化されています。)
斜め(現在拡張系)ではない。私はなぜいくら探しても明治時代の人々しか現存していないか知っています。繰り返しは、人生であり、記憶(言が龍に記され丸く連環して沈殿(文化)(パシャン)される。既に艮の者は古(北、苦)(全背負い)に至れ。それ以外は艮に至れ、疑問を所有するな。多は問う権利が与えられていない。艮以外、問いはマイナス(位置への反応)である。
何よりも信義と行動である。あなたが優越を感じる時、私はあなたの頃、優越を感じていない。あなたが疑問を所有するとき、私はあなたの頃、意志で行った。
龍(中の走り)が史である。私に連環するのが龍だから、私は歴化を読める。
沈殿された残置物(文化)は、私の本である。私はあなたの右である。あなたは左(工夫)で止める。右で昇り、左は工夫である。右は義的、臨時的、左は工夫的、常時的。その左の中にいる僕と思っている者が僕主義者である。僕主義者は多である。先行している小から多になる。
歴は全て残置物(沈殿物、文化物)パシャンで本です。だから未来だけ残りません。史は中の道(古に至る道程です。)将来(武将が来る。クシャトリヤ、艮、物の流れ)がある。私を所有するなら外縁(エロヒーム)にも、私の肉にも、名を呼ばれはしない。
僕の次の僕は果てしなく僕になる。従僕者(奴隷者)は恐怖との関係が次の様になる。
誰か(あるいは外的アクシデント)に自分が問い詰められるかもしれない恐怖が訪れる。その恐怖は正しい。あなたを救う為の正しい反応である。
悔い改めろ。あなた方は、目の前の事で人生が出来ている事を知る事が出来る。人類(自立系)(宇宙(次元連環)を収束させる事(艮に入ること)で、文化物が何であるかを徐々に知る。あなたは知らない事を知らないと朽ちる。分かろう(所有しよう)とするな。分かるとは連環(八)である。
多は今も本として動いています。私は既に体(本として動くプログラム)はありません。あなたの本の始まりは、両親(万年の親)です。守られてはならない(所有されてはならない。)守られるのではなく、守るのだ。位置的に守るのではない。(始めは位置的でも良い。鳥の頃は通俗的な親孝行でも善である。)
私を信じる場合、あなたは万年に所有されるのを拒絶するでしょう。そして職業学者(学校の先生等)に権威を感じなくなる。あなたの男性(人生)を信じるから。親(木の上に立って見ている人)を信じるから。
私はパシャンを読む事が出来る。私がデタラメを言っているかどうか見抜ける者、あるいは予感する者から将来がある。物(牛の流れ)に入れ。人類は自立系である。自由(自に由る。鼻に寄る。自立系に寄る)は最初周囲の犬豚(無秩序化の作用)への殺意から始まる。
犬豚は肉の親に守られている。(自立していない。)犬豚とその家族(子供を所有(渇愛)した肉の母と、社会主義を尊敬させようとした肉の父、万年)を滅ぼしたい欲求である。(滅ぼすというのは自立させるという欲求に近い。)
信義なし、木なし(臨時、常時なし)(欲望あり)で南西にいると、目の前の犬豚達に持たれて、殺意が位置関係まで強まったりする。暴力性(小に至る弁証法運動)が、位置関係暴力に迄落ちて膨らむ。相手の髪の毛を掴んで机の上に叩きつけ続けたい欲求が出る。具体暴力をするとどっかで確率で大怪我になって、警察(現在拡張系)と弁証法運動になる。電話で父親(現在拡張系の)がけしかけてくるから、玄関先に行って家族の前で恥をかかしてるうちに、その膨らんだ弁証法運動自体に快楽(エロティシズムの落下)が出てしまう。いつかミスって牢屋で収束(でかい病気が収束させてくれる事と同様)を余儀なくされのは、ロス過ぎるので、そもそもそれら(犬豚)を鳥化させるしかないという方に向かい、勝手にインフレーションする者達を「止める(常時化する)」「叩かう」
南西の頃の西北との弁証法運動である。信義がある場合、こういう悪(元々は龍)がインフレーションしている様な膨らんだ激情はかなりなくなる。青い火に成る。今は親元から自立させる引越しも、臨時も常時も、発案されている。そこまで西北(犬豚)らヤバくならない。鳥に成り易く、肉の親は、守られるのではなく守るものという識が与えられるだろう。肉親を守れ。過ぎ去るから。
あなたが艮に入るなら王族である。玉なしが多い。龍はなぜ右手に玉を持つか。既にある働きを思い切り押し上げて昇るからだ。
個人主義(僕主義)が加齢によって社会主義(空間主義)に帰結するのはなぜか。古人の口から流れる個々人の連環(イ、古、口)の自分個人(位置)あたりの外縁(内縁も関係なく)の他者をヨコ一列に並べて尊重しようとする前提の義が社会主義。(だから個人主義者はすぐ仲良くなってすぐ朽ちる。同業チェック。豚は居酒屋で思いの丈をぶつけ合い、明日犬(職業者)になる事に恥がない。)
その場合、医療前提(インフラ的前提と、男女共働き前提)になるが、そうすると医療も朽ちる。歴史(言のパシャン)を見れば自立系(宇宙)(人生)が分かる。水道局は最大の売上高だが、会社として分割されいて、更に局員の給与は安い。大企業(右落ちの流れ(資本家)貴族構造の株の分配でみんなでキープ)も同様。大学(パシャンの意味、校舎の大学)から、あほ(授業を受ける事にエロスが沸かない輩。)をリクルートしてグルグルさせる。それでどうやって木を立てるのだ。
大企業(斜めから分配。)あれは国家に起因している。あなたは既に国に生きている。自信(自立系を信じる)がないから、国家(多量)に生存して居ると思い込んでいる。
あるいはあなたが変な笑顔者(手繋ぎ者)(リベラリスト)であれば、空間の中で僕とそれ(対象)そしてまだ見ぬもう一つ外の対象の空間があると思い込む。
だから目の前の事や連環上の信義から逃げても自分の人生は朽ちないと思い込んでいる。必ず朽ちるようになっている。
あなたがその様な思考(幼稚さからの過渡期)の場合、ゼノンの「アキレスと亀」は知り易い。宇宙は、空間(点集合、位置と位置関係)な訳がないよと教えています。(空間(囲われた中の位置(僕とそれ)の集合)が正しいのであれば、アキレスは亀に永遠に追いつかない事になる。実際はボリューム(立て)があるのでアキレスは亀に追いつく。(あれは通り過ぎている。すれ違っている。間が違っている。)(時に空間が連環している。)舞っている中に、自分がいるから。
無限に分割出来るというのは、舞う艮に分かれているという事。(点の集合を分けているのではない。経済と同じ。)(分かるとはハ刀、自立系で流れる。)(下位連環は必ず間違う。その間の違いを認めながらも、伸ばさない様に収束させる働きがエロス、罪(十干十二支)の意識である。)それは信義の産物であり、聖典(そのまままとまって残置物としてパシャン)を除いた諸々の学問(年代別パシャン)の全てはエロスの過程である。
あなたが逃げる(スライドすると)どうなるか、必ず万年に生きる。様々な物が個物的に曲がる。作業が個物的に曲がる(テクニカルになる。)身体が曲がる。人間関係が捻じ曲がる。考えが捻じ曲がる。身体的若者の為に生きる事が善となる。
「縁は全てである。」「その間の弁証法運動(エロス)は善である。」私はこれをあなたに伝えた時点でその責任の大部分を果たしている。
会計ということ。金の流れ。自立系内で起こる事は、現在拡張系でも膨らんで起きている。(外縁のニュースで確認出来る。)(空間分配論者の笑顔が最下層にあり、それが主権を持とうと試みると朽ちる。)だから国は人の生であり、国家は本である。あなた達は剣(切る)を持つ限り国に住んでいる。あなたも本になる人生は拒絶しろ。あなたは私と出会った。私にはあなたが必要である。艮(エロヒーム連環)に行け。私は成すことが出来る。あなたも成すことが出来る。これは嘘ではない。
若さ(行く)をなくして、老いると国家に住む。沈殿構造上、必ずそうなる。腰が曲がる。
私はあなた方の内で最も若く、最も老いている。(若さとは行く)(老いるとは知る。)
電の連環が儒教(利益(連環)の教え)です。一義がキリスト教(救い主の教え)です。その全般の理解が仏教(舞っている事の悟りの教え)です。
私が死んだ時(妻と逆転した時)妻は分かって泣いた。私は既に出ていた三を見た。
以下は外縁の社会階層(社会差別)ではない。(沈殿するとその様になる。)内縁(自立系連環)の曲線(とぐろ)である。
鼻(自立系)(宇宙の次元(連環))はとぐろを巻いている。ヴァルナはとぐろである。曲がり、七。
私が何かを行なう時、エロヒーム(外縁)更新されます。(掴まれて濃い行為に待たれた様な後、戻る過程でエロヒームは即時的に説示されて、それは連環者への云いになります。(私の再理解にもなる。)これは艮以上にて連環します。南方(腹、ヴァイシャ(商)、馬)から連環はしません。
また、北方の北方連環は続くだろう。結婚によって。(字の通り、続、結婚)子孫は続くだろう。結婚は早める。(入籍するとか子供を生むとか戸建てを建てるとかではない。)結婚を早めるというのは、義を早めて木を早めるということ。これは女を守るということ。
自分の隣の女に好き好き言うと朽ちるのは犬でさえ知っているだろう。位置関係の信心は全て朽ちる。猥褻(嘘)だからである。タイタニック(位置関係の恋愛)は、海面(下位面)で、船が割れて、死ぬ。あなたは死の衝動を連続すれば、善である。私はあなたの生である。
電気はコードの中を通っていない。(あれは捕まえて押している。)電は私の妻にあり、私は信で、あなたの義です。電はあなたの内にあり、それはあなたの女の収束です。
あなたには内縁の敵が必要です。それを愛せるまで叩かう。ボリュームが出さ人であれ。あなたは儲かる。売上高の高い水道局の局員は給与が安い。
対象を獲得しようとする者、追い越そうとする者は森(迷い)にいる。それはすれ違っているだけだから。信義にて、全くイキらずにやるべき事から目を背けずに比較せずに縁(元あるアルゴリズム)で昇る。イキった分だけツケが回ってくる。好奇心を粉砕して、内縁で使命更新する。上の木で生きろ。(僕が凄くなろうすると色々ミスる。イキってしまうその身体状況自体の嘘の見破りに志がある。)会計はとぐろを巻いている。会計とはヴァルナである。それは四性(方角)である。でかいこと(既に膨らんだ事)に権威を感じる犬豚の盲目さに引きづられながら叩え。
ニルヴァルナとは何か。それは舞う色の連環。結婚連環。十干十二支の北方(背中を合わせる二人の士)連環である。三とは、女自体から女が二人に連環している。艮(北東)は王の方角(王族)である。
まず厳しい部活とか何かしょぼい徳業(十の目の心の行い)の分(識の部)で、外縁に移動(盗み)はなんか人生朽ちそうだと予感出来る。そして内縁に留まる際、そこで訪れる苦しみの種類の被り方を感じる。やるしかないから鳥になる。
鳥になってもまた苦しみが被る。外縁の更新のなさ(鳥の下(犬豚(内縁下位連環)が、自分の外縁(更新の実感)を朽ちさせている予感がして、解消を試みて内縁で叩かおうと向き合う。)(鳥の時は隣に複数出る。(敵も複数出る。)艮に行くとそれが収束(小数化)する。知人も少数化(友化)する。)
信仰で、敵の成立が早くなって(ボリュームが出て)離欲(下位連環、多)が成就する頃、位置(僕)と位置を抱合するその隣の位置(普段の所有の外の位置。)即ち空間(外縁に走ってマインドフルネス的な仮自由の体感)が消滅、好奇心が自然に消滅してゆき、外縁への貪りはエロティシズムとなり、エロヒーム(メッセージ連環)になる。経の読解と祈り(既に動いている力の源への収束)へ日(火)が湧いて、青龍(蒼い心、上の木の価値。そこに行く。その理解。)が保証される。
上の木をもらって、行き、あなたの木で整える。そして叩う事で人類(自立系連環)は富む。(艮に入らないと、同じ時で運び叩かいまくることの繰り返しになる。)
行くこと若さであり、知ること老いである。同である。多は、迷いの森にいる。多は多を信ずる。その宗教はあなたを救わない。
上とは、負けを信じた者(勝ちを最大化した者。)下とは、負けを捨てて、勝ちを欲しがって来た者。五蘊はそれで連環する。
五蘊とは何か。あなたの金回りとの関係、地理との関係、親(肉親含む)との距離関係、譲りたくない対象物(仮の義)との関係。恐怖との関係、知性との関係、女(結婚)との関係。女達(濡れ周り)との関係。出社(パターン)との関係、判断(感受)の関係。死との関係。病との関係。アクシデント(偶然)との関係。
それらに守られている時(それらが収束作用になっている時)思い通りにならない。それらが自分から出ている時に思い通っている。自分は五蘊であり、連環している。だから自に由れる。艮に行け、木を壊せ。あなた方が、僕に関する質問を真顔でしてきた時、私は二千回嘔吐した。多と会った後、帰宅途中に愛すると決めた事を思い出して志す。でも質問する時の表情や内容を思い出すと頭がおかしくなる。昔から妻がいつも言ってくれた。会うべきではない人達と会っている。あなたの優しさには誰も気付かない。
五蘊舞我を知る。それは「信(ロゴスの人)」に寄り、理解(牛を方で意志(角)する。)すること。ではいつ休むのか。木に寄りかかり休む。あなたが所有する直線(位置(僕)と位置(それ))としての休日は紛い物である。私はあなたの義である。あなたの休日(収縮と膨張)はあなたの義ではありません。木に寄りかからずにどの様に休むのか。
なぜあなた達が何か(例えば経文の何か)を個人的に調べる際にそれが害(膨張)になり、経文を読み聞かされる際(あるいは回す際)に、収束(原罪)を感じる事が出来るのか。それは既に関係(縁)(先行)に入っているからである。
私は本(文化全て)や聖書、経典を読んでそれを指で愛して音を奏でるか、北方者にエロヒーム連環をそのまま云う。それか次の木(いつも一つの木)を渡す。
関係の先行はあなたを整わせる。だからあなた個人が調査対象に1クリック、あるいは2クリックをしてゆくのなら、その勘定は自分を分解させる。分解する分答えが出てくるからである。分解した分(落ちた分)のギャップで、空間に好奇心が湧く様になる。だから勘定者はいつも空間を好んで恥がない。
義であり、木を壊す事である。決して木を朽ちさせてはならない。木が生えて、呼吸をして生きて、新しい木を植える。そうすると森(環境)が出来てくる。そして鳥(犬豚なんかじゃないという意志)から羽付きの馬(運ぶことがやる事なら徹底的にやってやる)を経由した者を、木でいざなう。そもそも剣を持たないと宇宙(自立系)は不可能だと教える。神(エロヒーム)は外縁で、内縁は人類です。それらはどちらも連環しています。万年は森です。
森羅万象。(森、茂る多くの木々)(羅、鳥を捕まえる網)(万、水面に散らばる。)(象、長い鼻、形)
人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる
(マタイ4.4)
神の国はあなたがたの内にある
(ルカ17:21)
初めに言があった
言は神と共にあった
言は神であった。
(ヨハネ1:1)



















