散乱心、初業定、近行定中盤あたりまでの者(アチュート性の率〜ヴァイシャ性の率の者)は知る必要がある。「経済は、異性は、同性は、苦しみは、悦びは、同じパイを分けて取り合っていない。」

命題が存在として最初にある。引き受けて(抽象苦)達成した(喜び)が最初である。あなたはこれをいつも覚えておかなくてはならない。(いずれ喜びは薄れて楽になる。知っているから。楽と現実的に与えることがメインになる。


縁と契約して、全てを引き受けて近行状に入定し、既に経験している人の正しい教えと、自分の経験を照合。自宅ではバクティヨーガをして、伝統行為を怠らず、縁と契約して引き受けまくれば、近行は定まり、途中同時的に色界第一禅に入定し始める。そして芸術や学問のあり方が統合されてゆくのである。(ここでジュニアーナの思索、自己の脱落の力に渇愛してカルマとバクティ、ラージャを忘れるな。何でも手に入れたものに渇愛すると終わってゆく。私はここから相当長かった。)



散乱心の状態がアチュート性で、そこから初業定に掛けてシュードラ性があり、初業定から近行状に掛けてヴァイシャ性があり、近行状から、第一禅定に掛けてクシャトリア性(保守性)があり、第一禅定から第二禅定に掛けて芸術性が磨かれ、第二禅定から第三禅定に掛けて生産諸関係を認識しているバラモン性があり、第三禅定から第四禅定に掛けて、喜が滅されて、楽に馴染み、言葉の力が赦されるバラモン性があり、第四禅定から無色界禅定を求めて、楽の解決を強く欲求する。(私は自立系でさえ四禅の第四禅も完成されていないが無色に真剣だ。下位段に引っ張られても絶対に負けないというのは縁に義理を通して解決する(与える)ということだ。)

第三の目は第一禅入定で開き、きっと四無色定で溶けるだろう。(近行定の頃から即応する徳としての眼であり、あなたが引き受けて工夫すれば想像以上にかなり変わる。あなたはあなたの成長の可能性を知らないだけである。)


尚、プロフェッショナルとは初業定から近行定に掛けてらへんであり、みんながプロフェッショナルで停滞してしまう理由をシンプル言ってしまえば敗戦の影響である。個人主義促進、3S政策、(初業定で留めてそれを職業者の個人的性格として、ヨコを輸入させて支配下に置く(グローバル的に閉じ込める)為に。(国家は別々であり、下位弁証法運動(段々の戦争が最初)であり、現在系上(ご縁上)の生産で、ドンパチ系の戦争(現在拡張系未満リセット系)は起こりづらくなる。)


このような植民地政策教育によって色々が出来なくなった。(西洋近代科学(厳密にはそれの力学的応用の弁証法運動)の段の俯瞰(認識者)が減った。それを絶対的空間(有は有)として、それが無秩序化しているだけなのにヨコを新ためる事を発展したと感じている。植民地政策は徳の低い者から順に洗脳される。(厳密には既にそのような住所に住んでおり、そのままで合っているよ。もっと個人出そうよと言われて引っかかっている。)

これで瑜伽(歴史そのもの)や、伝統(歴史の流れ)が剥ぎ取られ、初業定から善くて近行定中盤あたりになってしまう。こういうのをリベラリズム社会と言う。小さな嘘に引っかかる人間が量産される社会。道徳教育(文部省の従来の教育)によって一段十五カ年余りで行けた。正しい教えがある場合、一段あたり五カ年程(三倍速度かそれ以上)で行けるだろう。

縁と契約をして、在り方の最大公約数である瑜伽(バクティ(信仰)、ジュニアーナ(聞く、読む、考察する)、カルマ(引き受けて与える。)、グル(師と契約)、マントラ(なーまーさらまんだーらーなー)、ラージャ(行儀、礼儀、集中)を行ずるなら、あなたは身体性(頭胸腹)と外界物理を成就してゆくだろう。(尚、神棚は、バクティからカルマヨーガ、ラージャヨーガの経験である。)この世で瑜伽をやっていない者はいない。既にやっているからその段(自己)なのである。


仏教の三界の神々(欲界)は全ての命題を引き受けて近行定を昇る過程では比喩的に捉えられ、第一禅定の解脱で比喩かつ実在だと知る。

日本の種々諸々の妖怪(仏教における餓鬼界)はin the box(有は固定的実体なのでどのように増やそう)を繰り返した者達に流れている霊的な感情の起伏であり、比喩かつ実在である。(あなたにとっては比喩であり、それで仕用がない。)


アチュート性の回復は注文を受けること(既に文になったことが注がれること。)

例えば、社会主義国家では注文を受ける方が偉くなる。注文がお願いと定義されるからである個人が独立して存在していると仮定するので。)


臨時タスクがお願いではないように、お客の注文はお願いではない。アチュート性を回復するには出来る限り文を注がれる男性になるように。


クシャトリア性を求めるならば、自ら命題に接近して、お客さんに対して沿う(注文を受ける)ヨコ以下(シュードラ性、アチュート性)の人達に与えれる人になれ(経世済民。)

そのような人は近行定に入定して縁を知り(保守性を知り)色界第一禅定に入場する。



神社とは女。神社を守るのは男。神社は、守る宮司に付き従う。女は男に守られなければ社会主義になり、男は女を守らないならば、常にトレードオフ(社会主義)である。男と女は一対一対応になっていない。女達は善い男(頭胸腹と外界物理)が整っている男(強い人)に付き従う。強い男は、自分に擦り寄って来る女達を利用してやるな。与えてやれ。


不快の解決を自分でやるのが文化行為で、誰かにやってもらうのが文明主義である。

文化的に生きた老人は楽しみを得る。これは真理である。

文明的に生きた老人は介護が必要になる。これは真理である。文明に介護された若者は、そのあと介護される。(命題からの離反による罪の意識や恐怖はこのような事柄に即している。)



治っている者がちらほら現れているだろう。成長が続いている者がいるだろう。これからもっと治るぞ。

弱小で運動をしたと思い、モテないまま妥協のぶつかり合いを好かれたと思い、部分構造を学びだと思い、周囲にエゴを露出することに快楽を覚える人間達(人人人の最後らへんの間達)が治って来ている。私とあなたが努力しているからだ。


最初教えを聞いて、自分否定から入り第一の不幸(成功)に入る。ここでは自己肯定が下がったままなので、目上と契約して、伝統行為と、他(自分と相手の間)の為に全てを引き受けて働く。すると縁との契約を知って、不義理な人じゃなくなる。そうしたら治り、生きる(生命)を知る。

戒定慧を知り、五常が生起して物の理に守られる。