臨時タスク等の命題応答が、あなたの人生である。(命題応答とは、小学校の時は自分より強そうな人と喧嘩すること。中、高のときはスポーツで社会的に通用すること、きちんとモテること等々。)


過去の縁への命題応答(因)に所以して結果(今の名色)が生まれる。

過去に感謝というのは、命題応答によって昇り、確かな成長を実感している状態。(過去のそれら全てがなかったらここまで来れなかったという理解。)

人生の形成。


過去に感謝が出来ない人間は、過去に命題的応答を行っておらず、過去から現在を経験主義的に解釈(こんなことがあった辛かった、あんなことがあった悦んだ)と思い、また現在の縁は解放されるべき辛い場とし、解放先に悦びを想起させるという不理解。

生存から老死の形成。



縁が時の流れの本性だと知らないで、縁から解放を繰り返して、自分のことばかり考えているからそうなる。このような人は猛烈な勢いで苦しみ(命題的応答行為)を引き受ければ善い。縁を発展させようと苦しみに向かえば、苦しみは薄まり、悲惨な人生(何も残らずに生存から老死)は人生まで回復する。



敗戦後、差別用語として規制された「智慧遅れ」という言葉は、前もって行動する事への理解(命題認識と、応答で自分の人生が形成されていることの理解)に乏しく、過去の命題的行いの不足に依拠して、既に意志、意欲に欠陥が生じており、場(トポス)の不快に対して命題認識と解決実行を優先せずに、その場の不快な感情からの解放(逃亡)を優先していく内にその場面、あの場面は限定的であると捉え初め、それら限定的な場面に対して、自分を基軸に好きか嫌いかで色々と判断を下そうとする思いが出てしまう、あるいは実際にそれで判断を下してしまう人間を指している。


この場合「物(縁)(時)」は展開される。

(大(智慧)が遅れて、意考が遅れて、経済関係が遅れて、人間関係が遅れる。)


智慧が遅れると、場(トポス)は、それ自体から生起しており限定的だと知覚されてしまい、場に触して、解放先に渇愛して逃亡すれば、当然場は分解される。分解されまくった人は与えるの定義が立て(引き受けまくって溢し与える)ではなく、そのまま分配するになる。)


怠惰等の自身の逃避的な反命題的行動の影響に対して罪の意識(影響の理解)(引き受けていないことへの恐怖)(恥じること)(与えれる人への愛)を感じる事に乏しく、逆に自分が周囲の視線にプレッシャーを感じて、引き受けるべきことを放り投げ、解放されることに悦びを感じて落ちてゆく人間。


これは命題的行為から逃げてきた、現象としての頭、胸、腹、外界物理関係の欠損である。(十二支縁起の低度な名色)(今の人生)


そのような人間を馬鹿にしてはならない。それらの業衆を力強く済度しながらも養護する器が常に必要とされている。これは歳を取る権利である。


人間主義(反、人の道)政策は、智慧遅れを現象ではなく独立普遍の個的実態であるとして、人間観を段々ではなく、対等(巨大な空間の中に有る個体と個体の関係)に変えようと試みた。(優劣を無くして、一様の空間内で並列に並べようとする政策兵器。)


未来と場の対等が信仰対象の者は、自身の将来の為にご縁に即した命題に応答するのではなく、直近未来のグヘグヘの為に周囲を裏切り、自身の将来に知らないフリをする理由を貪る。自分と老死がぼってり浮き出てくる。そして何も残らない。ご縁が補助要因だと知らない。

補助要因を裏切ってきたら何も残らないようになっている。友人と経済(高度な交換の場)はそれで形成されている。その下に交換経済(売上高、スピード、中度な交換の場)が形成されている。


親は愛情深ければ、子供を智慧遅れには育てない。愛情が希薄な親は、エゴとして対象(子供)を可愛がる。すると子はエゴを濃くして未来を切望して将来がなくなる。


私達は、一気に親のことを被洗脳民として、GHQの占領政策のせいにすることは出来ない。両親は劣っていようが、優れていようが、死んでいようが、生きていようが、掛け替えのないご縁(時)である。


しかしその一方で、自身が積んできた業は業であり、成さなかったことは成さなかったこと。命題的行いを無視して、名色の発展に対して借金をしているに過ぎないファクトがあるのだ。縁を無視して、不快から解放されようと逃げれば、命題はどんどん重くなる。その存在は周囲を重くさせる。(ここで起こるのが弁証法運動である。)





以下聖書より


初めに言(論理、命題)があった。言は神と共にあり、言は神であった。


地は混沌であって、闇が深淵さの面にあり、神の霊が水の面を動いていた。


言(論理)の内に命(命題)があり、この命は人の光であった。


全てのものは言によってできた。言(論理、命題)によって、天地が創造された。混沌(カオス)に秩序(展開)が与えられた。


混沌(カオス)から、領域(ガイア)と欲望(エロス)、深淵さ(タルタロス)が生まれた。(ここで論理と命題に即した人生が展開されている。)



聖書の内容の引用と注釈。


言と命は元々分節されていない。(命題行為を連続すれば、生活、言葉、論理、近命題、が同様になっゆくように。)


言葉は恣意的な記号であり、エゴの為に言葉を使うならば、言(論理)は、成就しない。命題に即し正しい言葉を話す。その場では最も闇の面に応答する。闇の面を共有して解決して行く最中に友(領域)は存在する。


カオス(混沌)とは、色受想行識が分節される前の、構成的関係(縁)の微細構造。(徳が未だ流れていない状態。)


光(明)、昼夜(分節)→、天(領域)→地、海、植物(物の働き)、太陽、月、星々(虚空の形成)→魚と鳥(最初の生命現象)→獣、家畜、這う物、人間(最後の生命現象)→安定。




「神は、男に労働(命題)を義務付けられた。女に命題を宿すことを義務付けられた。」


人を作るとき。「われわれに似せて人を作ろう。」男(命題を打つ者)と女(命題を宿す者)を創造された。人間達は蔓延った。


「神の国とは、見える形(天の上)ではない、あなた方の只中(既に来ている天(領域))にある。」


「言葉を聞いて行う者は、岩の上に家を建てた賢い人である。」


「神の国は人間が畑に撒くからし種のようなものである。それを蒔けば、最も小さいが、成長すれば大きな木になる。


「天の国とは、全てを売り払ってその畑を買う。」(聖書において神の国と、天の国は同義であり領域を指している。)


「植える者も、水を注ぐ者も取るに足らない。ただ成長させてくださる神のみが大切である。我々は神の同労者であり、あなた方は神の畑、建物である。」


「最も小さい者の一人にしたことは、すなわち、わたしにしたことである。」


「天の国に入る者は、心が自我で膨らんでいない者、義理を渇望する者、子供心での全的な信頼がある者である。」


「死後の天国では男女関係や制度関係は無い。義理と平和と聖霊による喜びである。」


「命題応答をしてこなかった者は消えない火に焼かれる。」(霊魂(自分の所属)の分解。)


「真理に従えば天国、虚偽に従えば地獄である。」


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名色や領域(天)発展の連続性の形態化が現在拡張系上の政治、軍隊。すぐ下に流体、その下に職業、その下にエゴと限定空間。