「この身」が朽ちたあと、色界ではその「体」相応の「身」が形成される。(正確には「体」形成元の「識」「行」が根本情報を担い、身が形成される。)
天の形はこの世の形ではない。だからこの世の形(経済状況(普通経済)、伝統的夫婦状況、顔的な残る友人(先輩、後輩)の段々)は只今で証拠である。
経済や友人等の物事が立てられて通っており、段々の連環を見ている様子。連環のままヨコの回転は在る。西洋近代科学はなぜいつも近代か。サービス(原意、servus(奴隷する物と僕)が回転しているからである。(西洋近代科学を知らないものが、西洋近代科学を信じる。)(何を見ても、何を聞いても、汝の想は、汝の想であり、そのまま事実では無い。)
色界において、体に依拠したこの身の再生のときには、娶ることも、稼ぐこともなく、そのまま天の形になる。
結婚は命の発現から連環されて、社会制度の一部であり、永い命の世界にそれは無い。性別的区分や、貨幣の上流も汲まれていて、完全に行われている領域であり、実際はびっしり敷き詰められている現在系(ご縁)の段々の隙間の無数の体と身がそのままお供されている。(だから古来より神々の踊りの中で、無数の人間達が踊っているとされる。)
色界というのは、全くこの世界と異なり、かつ全くこの世界のままである。現在の只中に在る。
色界に身は在る。でも肉ではない。体に依拠して完全に行われていて身が変容されている。
誰もみな霊魂(五蘊)の成長の為に命(メイ)を受けて生きている。命ある生の様体が形成されている。命題にこの身(六根)を駆使すること。
命から逃げた身がこの世で既に裁かれているように、死後その者達は裁かれる。
「人間」とは、人の道に続く間である。それは以下である。いつの時代も以下で形成されている。(五蘊の状態。)
自立系(バラモン)
現在系(クシャトリア)
現在拡張系(政権的クシャトリア)
流体系(ヴァイシャ)部分系(シュードラ)
信妙(極道)
義、仁(武士道)
言語的生産諸関係(太陽神信仰、国家)
回転と現在拡張系への納税(未来信仰)
無量、無数の民(部分隊列、注文受け)
極道(中道を極めた者。)は、赦された言葉で縁(宇(空間) 宙(時間))を統べる。武士道は、縁(義理と仁業)に所以して経済が連環されており、太陽神信仰(国家)は、枠組み的生産諸関係に帰依して以下商い人、民を統率する。
商い人は交通(流通)や社交を循環させて、循環速度(税等)を太陽神信仰(国家)へ上納する。以下民の注文を形成する。無数の民は部分的な命題応答(注文)の部分隊列(侍)であれ。
つまり実際の物理的連環は肩書きなんかではなくて、徳(過去の行)である。徳の連環(カースト)は全ての人間は命題応答者であるが、行の構成上段々と連なり、民は既に命題が具体化されて注文(既に文になったものが注がれる)となって、各自的生活を形成している。
近年の日本史において尊崇されるべき部分注文の象徴(最大)とは神風の特攻である。
侍(軍の分隊)はいつも農民出身者(民)(職業者)である。(現代でも物理的な注文を受ける(運ぶ)者で変わっていない。例えば商い人から注文を受けてコードをプログラムする等。)
無数の民の弁証法運動において核家族が惜しみながら、命題未達のカエシに玉砕をもって国家(現在拡張系)に上納した英霊である。
この文化的序列は、いつの時代も変わっていない。展開時の普遍の火(欲、昇華)の神(アグニ)の顕れ四姓(ヴァルナ)(欲の現象化)とはこの様である。
釈迦が火(欲)を吹き消すことが出来ると言うとき、ここから解脱出来るという意味である。


