心霊主義、構造主義、個人主義、ロマン主義

職業主義、平等主義、社会主義、共産主義

国家主義、文化主義、

国、仁義、礼儀、

因縁生起。

主ノ義


構造式(化学)があり、それは不確定性原理(物理)、不完全性定理(数学)まで登り、流体のランダム性になり、伝統学問の物語読みは、国家になり、縁への生産にて国に入り、妻を出し、時の流れで、因縁生起を知り、主ノ義がそれを支える。

(税の流れ、自己資本比率を見れば照合可能)



世界は主の義、因縁からの流れ(段々)で国があり、国家(日ノ本)があり、海外は流体である。(海外事業は共産に流れ、海外旅行はロマンス。)(民間人が世界というのは地球(丸い写真。)球は、王が地方を引率するという意味。


ーーーーーー

まずなぜ仕事があるのか。それは回っているから。止まっているものを自分が回しているのではなく、回っているもののどこかに住んで、仕事を回している。(だから出勤してもしなくても住所上の他との関係は仕事)(円的ではなく、円錐的に回っている。)


仏学では、その住所を名(ナーマ)(知情意)と、色(ルーパ)(外界物理)と言い、または五蘊(色受想行識、同類のものの集積)と言っている。


円錐的な網(ネットワーク)は時間的に連続していてその内に、正義関係、女性関係、同性関係、経済関係、礼儀関係、興味関心関係の残存の在り方(存在の連環)がある。)

(例えば「女」に対して、天(時間)の使い、妻、モテる等ではなく、女房(家、部屋)や、彼女(所有)になるような。)

ーーーーーーー



イスラエル十二部族の十二の石を運ばせた。

祝福(示される兄や器)の六部属と、呪い(咒文(しゅもん)の六部属に分けられた。


分からない部族(示される兄や器)、分かる部族(咒文)があり、分かる部族は、完成(七)であり、分からない部族は元戊(げんぼ)(十干)である。(だから十干十二支は六十年で一巡する。)

十干とは、木・火・土・金・水の五行(ごぎょう)を兄(え)・弟(と)に分けたもの。


二は子(孳、し)(増殖する)と、丑(絡む、伸び悩む)であり、それは七を完成させること。七覚支である。


如来は七覚支に住し、七覚支を以て衆生を済度す。このように正統系統、側室系統があり、分を抱えて尚一つである。


弥勒は五六七(みろく)であり、七から見れば、七五三(しちごさん)である。七から縁で、四に登るのが西遊記(七で食べていたが、四海を三蔵、八戒、悟浄と旅して、天竺で経典を授かり、中国へ戻る)である。



飲食事業(ボックス内注文)の者達にて、借金と売上高が膨らみ、その脚場によって人材事業の溢れに与えることが出来て、人材紹介事業が流通(腿、腹)を担保して、IT事業(腹)として利益、人ノ間以上(内省(胸、腕)(地ノ方の政を整える力、木立て)が生まれて、頭(首長、大人、おびと)は最初の流れを生む。


要するに、団体の脚場を支えているのは飲食事業の者達であり、ボックス事業は基本的に利益を作るというよりは、借り方を引き受けて、守る為にあり、団体の脚場を守ってもらう為にあるということ。(借金が膨らむことと、売上高が膨らむこと。)

IT事業、人材事業の発展の継続に伴って、飲食事業という脚場の政の優先する。予算改正を先行し、脚場が固まれば、人材の人達から飲食への流れに率が形成される。既に昔から働いている飲食の人達の七福を、内務、商長、農村共同体(借り方への付随)が引き受けることになる。次に腿だ。


飲食の一定の者達と、人材の一定の者達、ITの一定の者達は、六の中、四海を抜ける道(器に乗せまくる道。)と、七(完全)を一緒に創る道に分かれるだろう。

四を勝ち抜く為には曜日感覚で、その範囲の地方行政を最大の謙虚心で戦うこと(器に与えまくること)と、木立て(臨時が常時になってゆく感覚)である。器に乗せまくり、木立てをしまくると兄が出る。兄が出ると兄の為に考えて、自らの日常的な供物を疎かにしない。

脚を整えたら、腿、腹までは七である。それらに胸が起これば、二つの内、祝福の六部属である。因縁生起に生きる。


明治以降に「ン(二をくずす)」があり、太陽暦が形成された。(太陰太陽暦(旧暦)に生きる人が引率して、太陽暦が維持される。)

だから弥生時代の前は、縄文時代なのである。縄文の文は七であり、明治だ。(日月の水の流れの土台。)


八咫(古事記)にて、アマテラスは女なので、八百万に編集されれば、変性男子である。太陽暦(七)に合わせられる。本は七であり、現国家からの流体である。因縁より住所は二(分かれる。)ホンになる。

縁を捨てれば日を失う。日ノ「本」に敷かれる。だから明治二年から、菊紋章は十六葉八重表菊(ジュウロクヨウヤエオモテギク)である。

私は今まで縁の木立てと地方行政で妥協をして来なかった。分けることをして来なかったが、分という言葉がある所以を知った。(分、八、刀。切、七、刀。)木立てが出来ない者と、胸がない者を守り、彼らに胸を与えること。