山梨唯一のプレイバック・シアターカンパニーぶどうの樹代表のみかっちぃです。

5歳の娘は、一年間の登園しぶりを得て、今では毎日幼稚園に通っています。

娘の話を聞いていると、落ち着きがなく衝動的に動いてしまう子が、先生からよく怒られるから悪い子となっていて、のんびりマイペースな子は、遅いからいけないと思っているようです。

そんな話を聞いていて、あぁ…こうやって集団の中で優劣をつけられてレッテルを貼られ、自分はそれから逃げるために嘘の自分を演じるようになっていくんだなぁ…となんだか悲しくなってしまいました。
私が子どもの頃、人と違う自分の存在を自分自身で攻めて攻撃してズタボロになっていったのを思い出しました…
そんなことして、幸せになる人いないよ…って言いたい。

衝動的に動いてしまうのが悪い子、遅くてマイペースな子はダメな子、ではない筈です。
それは個性であって、その子の強みなんです。
それを、大人の都合で良い悪いを判断して、普通になるように指導する。
それって、巡り巡って自分の首を絞めてますよ?と私は思います。

自分のダメなとこ(本当はダメではないのだけど…)、出来てないとこを攻められてダメ出しされて、出来るようにと強要されたら、誰だって嫌じゃありませんか??

その子が将来困らないように?
平均より出来てないこと、普通と違うことによって、自分らしい生活を脅かされる社会の方が間違っています。
誰であっても、どんな自分であっても、自分らしく生きていい筈です。

そんなこと言ったらみんな自分勝手に我儘に動いて社会が成り立たなくなる?
大事なのは『自分で考え行動して、その責任は自分で負う』ってことです。
大人が子どもに教えることってそっちだと思うのです。

出来てないことを出来るように指導する必要はありません。
子どもは自分自身でよりよく生きよう、成長しようとする生き物です。
それを大人の都合で阻害しないで下さい。
子どもは大丈夫。
自分で学んで育っていきます。

なので、出来ていないこと、ダメなことを頑張らせるのではなくて、出来ていること、好きなことは伸ばしてあげて、出来てないこと、ダメなことはそっと見守ってあげる、誰かに助けてもらう、そんな風に関わってもらいたい…そう思うのです。

出来てないことをお互い指摘しあって生きていくよりも、出来てないことをお互い助け合って生きていく方が生きやすい社会だと思いませんか?
子どももお年寄りも障害のある人もない人もみんなみんな一緒に助け合って生きていきましょうよ(*^^*)
その方がみんな幸せになれると私は思います。

とは言っても、先生が…というより日本の教育が…だと思うので、先生ばかり責めても意味がありません(^^;;

差別は、学校で作られている。
もっと言うと、一斉集団教育の中で生まれている。
そして、それがいじめにつながる。
と私は感じています。

一斉集団教育が変わらない限り、差別や生きづらさはなくならない。
そう思いました。

では、どうしたらいいのでしょうか?
私は学校でプレイバック・シアターを活用してほしいと思うのです。

プレイバック・シアターは、1974年にニューヨークのジョナサン・フォックスが生み出した手法です。
プレイバック・シアターは実話を再現し、分かち合う対話型のグループワークです。
彼は対話の持つ治癒力に着目し、プレイバック・シアターを作りました。
プレイバック・シアターの場では、評価されたり、優劣をつけられることはありません。
ただひとりの存在として、誰であっても尊重してもらえます。
例え、落ち着きがなく衝動的に行動しても注意されることはありません。
ゆっくりマイペースでも待ってもらえます。

学校がそんな場になれば、きっとみんなが生きやすくなる。
そして、お互いに優劣をつけて区別する差別もなくなる。
そして、いじめもなくなる。
私はそう思います。

学校関係者の皆さん!
プレイバック・シアターを学んでみませんか??
今抱えてる問題のヒントが見つかるかもしれませんよ(*^^*)


《ぶどうの樹ワークショップ》