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のブログの続きのストーリーです。


2007年の年末に誕生したプレイバック・シアターぶどうの樹。


オープンで開催すると、困った人が来たら困るという理由で紹介制のセミクローズドでの開催となりました。

私としては多くの人にプレイバック・シアターを知って欲しかったので、オープンに開催し、たくさんの人を呼びたいと言いました。

しかし、他のメンバー達は困った人が来たら困るから、としきりに言っていました。

今でも私にはよくわからないのですが、その当時のメンバー達はそのことをとても心配していました。

困った人とはどんな人なのでしょう?

確かに普通とはちょっと違う変わった人が来ることはありますが、プレイバック・シアターは許容範囲が広いので、何も問題はないと今ならわかります。

でも、出来たばかりの団体で不安だったのかもしれませんね。


山梨にはまだプレイバック・シアターの実践者はいなかったので、東京から講師を呼ばなければ開催出来ません。そこで、大学と連携して、大学でプレイバック・シアターの講師を呼んでワークショップをした日の夜に、ぶどうの樹でのプレイバック・シアターを開催することで、講師の交通費の負担を軽減し、経費を抑えました。


なので、参加費は500円か1,000円くらいだったと思います。


さて、そんな感じでスタートしたぶどうの樹でしたが、開催してもみんな友達を連れてくるどころか、ほとんど参加することがありませんでした。


話が違うのでは?と思い、話し合いの場を設けようとしましたが、既にメンバー全員に集まって話すというほど想いもなく、メールで済まされました。


今後は、オープンでの開催とし、事務手続きは私が一人ですること。

事実上の解散です。

5人ほどいたメンバーは、あっという間に私一人になってしまいました。

さて、一人となると団体ではなくなります。

解散したので、ぶどうの樹と名乗ることは出来ない、と思っていたのですが、当時ぶどうの樹に呼んでいた講師の人が、一人でもぶどうの樹って名乗っていいんじゃない?と言ってくれて、ぶどうの樹の名前は残るとことになりました。

私としてもとても愛着のある名前だったので、なくならなくて良かったと思っています。


大学の学生相談室の先生からは、山梨の大友康平と呼ばれました(笑)

私はよく知らないのですが、大友康平さんも一人でもハウンド・ドックと名乗っているそうですね。


さて、一人になったぶどうの樹代表のみかっちぃ。


この日から、プレイバック・シアターのワークショップを開催する度に、参加者集めに奔走することになりました。

チラシを作って配ったり、過去の参加者にメールを送り、とにかく頑張りました。

チラシもプレイバック・シアターだとよく分からないので、心理療法とか、語り合いの場とか、演劇ワークショップとか、いろいろな書き方をして工夫したりしました。


それでも、参加者はほぼ0

参加するのは、私と学生相談室の先生達で、いつも45人くらいでした。

いろいろ試しましたが、一番効果があったのは一本釣り。

その人個人宛にメールを送るというのが一番効果がありました。

チラシなら手配りの方が効果がありました。

掲示されたチラシを見て来てくれた人は、一年に一人とかの割合でした(笑)


でも続けていくうちに、リピーターとして参加してくれる人も何人か出てきました。

それから、塩山にある談話室コロボックルが場所を提供してくれたり、私の友達でデザインを勉強してる人がチラシを作ってくれたりなど、協力してくれる人達も現れ始めました。


そして、何よりも嬉しかったのは、一人だったぶどうの樹にスタッフになりたい!という人が現れたこと!!


想いを持って続けていれば、力になると言ってくれる人は現れるんだと、本当に嬉しかったのを覚えています。

そして、今回のスタッフは本気でした!

本当に想いがあり、手伝うとかって出てくれたのです。


スタッフが2人加わったぶどうの樹はさらに活動を広げていくことになるのです!

ですが、そのストーリーはまたの機会に