年の瀬の誕生でした。
その当時のメンバーは主に社会人だったので、みんなで集れるのがその日だったのです。
私は大学の授業でプレイバック・シアターと出会い、その後、同大学の学生相談室が主催していたプレイバック・シアターのワークショップに皆勤賞で参加していました。
卒業して大学生ではなくなってしまうと、学生相談室のイベントには参加出来なくなってしまうので、当時主催者で、私がとてもよくお世話になった先生の配慮で、学生以外の外部の人も参加可能な、プレイバック・シアターのワークショップを開催してくれたのです。
しかし、その先生が東京に異動することになりました。
そしてやはり、大学で外部の人が参加するイベントを開催していくのは難しいらしく、その先生から、山梨でプレイバック・シアターの団体を作って、そこで開催しないか?と提案されました。
当時の私は、だいぶプレイバック・シアターにハマっていたので、すぐさまOKしました。
でもまさか自分が代表を務めるとは思ってもいませんでした。
学生相談室にて最後のプレイバック・シアターが開催された後、有志が集まり、そのメンバーで始めることになりました。
まずは名前決めです。
マインドマップという手法を使って、名前を決めました。
マインドマップと言うのは無地の紙の中央に目的となる言葉を書いてその言葉から思い描くものをみんなで順番に書いていく手法です。
紙の真ん中にプレイバック・シアターと書き、プレイバック・シアターから連想するものを、みんなで書いていきました。
分かち合い、つながり、暖かさなど、みんなで連想するものを書いていきます。
そして、今度は書いたものから連想するものも含めて書いていきます。
レインボー、クレヨンなど、いろんな言葉達が並んでいきました。
紙一面に書き終えて、さて、どんな名前にしようかと思っていた時、ある人がマインドマップ全体を見て、「なんかぶどうの木みたいだね」と言いました。
その人には、みんなで書いたマインドマップ自体が、ぶどうが実を実らせて棚一面に広がっているように見えたそうです。
そこから、ぶどうの樹という名前が決まりました。
山梨はぶどうの産地なので、山梨らしさもあっていいよね!ということになりました。
とてもいい名前だと私も思っています。私のお気に入りです☆
ですから、ぶどうの樹という名前には、ぶどうの実がたわわに実って枝が裾野を広げていくように、プレイバック・シアターの輪も広がっていったらいいな、という想いが込められています。
後日、ぶどうの樹メンバーで集まり、どうやって運営していくかなどの詳細を決めていきました。
その時、誰が代表をするか?という話に、満場一致で私が指名されました。
私はビックリ(°_°)
私が戸惑っていると…「だってこの中で一番プレイバックへの情熱が強いでしょ?」と言われ、みんなはうんうんと頷いていますが、私自身は無自覚でした。
…まぁプレイバックは好きでしょうがない事は自覚していたので、とりあえずOKしました。
こんな感じでプレイバック・シアターぶどうの樹は誕生したのです。
それから約一年後、メンバーはみんな辞めてしまい、一人でもぶどうの樹を続けて行く!と決めた時に、みんなに言われた「だってこの中で一番プレイバックへの情熱が強いでしょ?」を自分でも確信することになるのです。
ですが、このストーリーはまたの機会に。