蒼芥子(喜馬拉雅花)⑧ | 明鏡 ーもうひとつの信義ー

明鏡 ーもうひとつの信義ー

韓国ドラマ『信義ーシンイー』二次小説



そっとポケットに突っ込んだ指先に触れたあの青い花びら
夢じゃなかったと思うしかない

「どこに行けば私の記憶が辿れるのかしら」

あの時に事故があった坡州市に行ってみるしかない
行ったとしてもあの子は勿論いるわけなどない
でもあやふやなまま終われない

「先生本当に辞めるんですか」
「今のままじゃ、助けられる命も助けられない気がして」
「先生、私待っていますから」

ユ・ウンスは顔に似合わない黒縁の大きな眼鏡をしたまま泣いたわ
取ればきっと美人なのに

「そう遠くないわよ、しばらく坡州市で暮らそうと思うの」
「あの事故のあった所で」
「そうよ、じゃ・・・またね」

先生は手を振って病院のエレベーターに乗り込んだ
全く記憶になかった事が毎晩夢に出てくるようになり
私はどうして今まで忘れていたのかと不安になってきた

「先生」
「どうしました医仙」
「明日行かれますよね」

先生は診察室の整理をやめて私の方を振り返った
「ちょっと」と言った後、奥へ入って行き

「最後のお茶にしましょうか」
「先生、私言っておかなければならない事があります」
「私もそう思っていました」

先生の出してくれた菊花の浮かんだお茶はスッキリとしていていい香りがした
ほんのりと温もりの伝わる茶杯を両手で包みこみ

先生、あの門から向こうに行ったら
「行ったら?」
もしかしたら私が来た時の一年後かもしれない
でももっと後かもしれない
「やはり、貴女もそう考えましたか」
でも、でもね・・・先生
あの人、あの人が私に会いに来たのよ
どの時代でもなく私の時代に・・・アンダスタン?
「隊長は、神医を探しに行き貴女を見つけた」
だから先生、ユンジュン先生を探すんだって思って
あの門をくぐって、お願い
「医仙、其れ以外に私にはありませんよ」
求める心が引き寄せ合い巡り合わせる、私はそう信じているわ





何もないバス停を降りた
非武装地帯ギリギリの街じゃないの
だからあの爆発は色々噂されたのね

「アガッシ、観光かい?」

通りかかったハルモニが私に声をかけてきたの

「アガッシもあの祠を見に来たんだろ」
「どんな祠ですか?」
「違うのかぃ?なんでも神医がおいでなさったと言う祠だよ」

王様がね病気の王妃様を治す為に
なんでも腹心を送り神の手を持つ医者を連れてきた
研修医が名外科医になる祈願をする場所になっちまったよ
あそこだよ、どうせ来たのなら見ておいき

名外科医じゃないけれど、そこそこの外科医ではあるわ
あの子を探すついでに・・・
昔はちゃんとした石の門のような祠だったらしいけど
今は上の石が落ち両方の柱のような石が立っているだけだった

「りんごでも供えてみようかしら」

少し歩いた場所にあったお店に入って
「すみません、りんごあります?」
と聞けばさっき出会ったハルモニが出てきた
「来たねアガッシ。待っていたよ」
「ハルモニ」
「ほらりんご」
真っ赤に色づいたりんごを私の手の平の上においた
「鞄置いてお行きよ。預かってあげるから」
「コマオ、ハルモニ」
肩からかけた小さな鞄一つであの祠の前に立った

「りんご1個で祈願だなんて厚かましいわよね」

崩れた石の上にそのりんご置いて手を合わせた
なんて祈ろう
夢だったのか、現実だったのか・・・教えてください
違うな
あの子どうなりましたか?
どうなったも何年経っているのよ
何度も何度も躊躇って私は祈ったわ

ーどうかあの子の望みが叶っていますようにー

今の私にできることはそれだけだもの
「アガッシ、今日のバスは終わったよ」
「え」
「此処らへんは、バスが終わるのが早いんだ」
「宿ってあります?」
「部屋ならたくさん空いているよ、泊まっておいきアガッシ」
都会にはない温もりがこの街にはあるわ
私はりんごのことをすっかり忘れ
ハルモニに手を引かれるままあの店に戻った

石の祭壇の上に置かれたりんごが僅かに揺れた
祠に蟻の穴ほどの大きさの小さな光が輝きはじめたのを誰も知らない

結局私とハルモニは布団を並べて一緒に寝たのよ
「アガッシ、ありがとう」
「ハルモニ、私の方こそありがとうございます」
「アガッシは、チェヨン将軍を知っているかい?」
「勿論、確かこの近くにお墓がありますよね」

ハルモニは顔をこちらに向けて首を振ったわ
私はそう習ったわよ
「あるのはチェヨン将軍の奥方の墓だよ」
「奥方?」
「そうさ、チェヨン将軍は先に亡くなった奥方の墓に入ったのさ」
「そうなんですか」
「二人で一緒の土塊になる、あの時代の男って言うのはそういう生き方ができたんだね」
「知らなかったわ、ロマンチストだったのね」
「これは確かな話かは分からないよ、あの祠から出てきた」
「神医ですか?」
「そうその神医が、チェ将軍の奥方だった柳氏だったって」
「ユ氏?聞いた事がないわ」
「此処らへんはね、チェ将軍を崇拝しているからね・・・」
男前で、欲は無く、信義を貫き、たった一人の奥方を愛し
そんな男は何度も国を救い、そして何度も国に裏切りられた
それでも怒ることなく闘ったのさ・・・そのユ氏を守る為にね

ハルモニは自分が見てきたように話をしていた
医者と武士、全く反対でどうやって好きになったのかしら

「おも、おも・・・今日は風が強いね」
「本当ですね」

窓ガラスがガタガタと大きな音を立てていた
長い時間バスに揺られハルモニと話していたら、急に瞼が重くなった

「アガッシ、おやすみ」

ハルモニの声があの子の声に重なる
「ユンジュン、おやすみ」
照れた顔をして宵の挨拶をするあの子
もう一度会いたい・・・あって言いたい事がある

「私も好きよ」