寒の戻りとも言うのか
肌寒い上に 本降りの雨☔️が降って
東京新聞さんが朝刊に掲載くださった記事の効果は翌日になるだろうなどと思ったりして
3月18日(土)東京新聞朝刊多摩武蔵野のトップ
そんな中
お越しくださいましたお客様の1人
写真家のG a n さん(岩船さんだから岩でがんさん)
丁寧に作品を見てくださいまして
写真も撮ってくださいました。
そしてレビューを書いてくださいました。
あまりにも素敵で何度読んでも
なかなか現実に戻って来られなくて呆然。
引用させていただきます。鈴蘭の宝物なので
ここに残させてください。
作品のキャラクターや材料との出会い、箱と中身の関係、扉と絵の関係、などなど、作品は鈴蘭さんのいるコスモスなのですね。
なにがしかのフィーリングが鈴蘭さんの制作で、綺麗に愛らしくもありそれでいて不可視の異相の空隙がある、作品たちに出現する。十松さんのレイアウトも、命のある身体でした。
箱とその中身は、仮面劇の仮面と演者の関係みたい。
「箱の蓋を閉めて、ずっと開けなくてもいいんです。たまに開けてもいい。そういう作品です。」と鈴蘭さんはおっしゃる。
不可視は不可知ではないですものね。
知る、ということが言葉の順番の制約を見下ろす層から、稲光に照らされるように瞬間的に垣間見える、というのは、アートのコスモスなんです。
ああじれったいけど、言葉には軌道という制約がある。
秘すれば花。
舞台を撮りながら、舞台に現れている不可視だけど感じているナニカを撮りたいと願うGanは、きっとそこにつながるだろう、身体の震えをいただきました。劇場も箱っていいますね。
まるで論理的な文章ではない。
言葉を、感じた感じに、ぺたぺたと貼り付けてみたのです。
より
パントマイムや
その他
舞台に立つ方々のお写真を多く撮られています。
イタリアジャズ🇮🇹のステージをこれから撮られて その作品を展示される予定もあるとお聞きして
ぜひともそちらのステージも観たいと密かに目論んでおります。
石井めぐみさんご多忙中にも関わらずお時間をさいてお立ち寄りいただきタイミング良く撮影いただきました。何という幸運
滅多に撮れない十松オーナーとのショットも
ありがとう存じます。
作品があって空間があって 見る方がおられて
展覧会が完成すると改めて思います。
力ある鑑賞者に支えられて
また
新しい日を生きていけるように思います。
どんなことがあっても
制作する事でどうにか乗り越えてきたと思っているのですが そのことに縛られないためにも
鑑賞者の存在は不可欠
Ganさんに深く感謝を申し上げます。
展覧会は21まで
ぜひ お越し下さいませ
ではまた