視床痛熟女の行ったり来たり -35ページ目

視床痛熟女の行ったり来たり

視床痛の痛み・痺れと闘う女のブログです。


私の家族や友達が、私を思い浮かべるとき、

必ずと言っていいほどお酒をイメージすることでしょう。


それほど私はお酒が好きなのです。



覚えたのは中学校2年のとき。(笑)


その頃私は肺結核を患っていて、大好きなスポーツを取り上げられ…

走ることは勿論、スキップもダメ、ボールを投げるのもダメ…

最悪でした。


で、覚えちゃったのです…(^o^;)



そうそう、ちょっとだけ覚えている嫌なシーンがあります。



中学2年生の待ちに待ったプール開きの日です。


水着を抱え、友達とぺちゃくちゃしゃべりながら、

更衣室に向かっていました。

わくわくぎみに廊下を歩いていると、後ろで私の名前を呼ぶ声が…


「ちょっとこっち来て」

保健の先生が呼び止めました。


言われるままに保健室に入ると…



というのが今でも鮮明に残っている一コマなんですが、

そのあとの事はもうパニックで覚えてませんわ…


肺結核生活の始まりです。



スポーツを取り上げられた他にも辛いことが…



本当ならば、

注射治療をして1年後には治るはずの結核だったのですが、

私にはその注射が合わなかったのです。

もう少しで耳が聞こえなくなるという副作用でした。


ストレプトマイシンというやつです。


それで仕方なく飲み薬での治療に変えたのです。


それは、完治するまでに3年もかかるという代物でした。

量も半端じゃありません…

粉薬が苦手で(今もですが…)、オブラートに包み(今もですが…)、

飲むたびに薬とにらめっこです。

逆流はするわで、毎回涙目です。(T_T)


学校は埃を吸ってはいけないため、昼の掃除の前にお帰りです…

体育は恨めしそうに見学していました。


やなこと続き…そして反抗期…

そりゃあ暴れたくもなりますって…


あ、家の中だけね…小心なもので。

私は人間できてませんから…弱いですから…


お母さんを泣かせたこともあるなぁ…

ごめんなさい…(ノ_-。)



そしてその時に、覚えたのですよ。

お酒とタバコを…


夜、家族が寝静まる頃になると、コップになみなみの日本酒2杯と、

灰皿にするお皿に父からちょろまかしたタバコ数本を持って、

自分の部屋に閉じこもり、一人でくだを巻いていました。


ほとんど毎日です。

さえないオヤジのようですな…(^_^;)



というのが、私とお酒との出会いです。



その後反抗期もおさまり、

普通のJK(昔はこう言いませんよね…ははは)になっても、

お酒は大好きでした。


私の酒好きと、酒の強さは父譲りなのです。


高校1年の終わりに結核が完治した頃からは、

堂々とリビングでも呑んでいました。


父も、その頃私が好きだった“ジョニ黒”を、時々買ってくれたりと、

私がお酒を呑むことには大いに賛成していました。


女の子はお酒が弱いと危ないから、強い方が良いとゆう自論で。

(・ω・)b



体質もあると思いますが、今となっては、

お酒が呑めるということはとてもありがたいことに感じます。

お父さんありがとう。(笑)


痛いというストレスから逃げられる上、

呑んでいる間は痛みが楽になるからです。


でも激痛が酷い時など、あまり食べられもしないのに、

昼から呑んでしまって…

それが続き、お酒が受けつけなくなり呑めなくなったこともしばしば…

辛いでっせ~そうなると…


でも鍼灸の先生がここまで激痛を抑えてくれたので、

そうゆうことは今はなくなりました!(^O^)

感謝します!


それでも夕方までは何とか耐えられるのだけれど…

通常の痛みでも耐えるのってしんどいねん…(iДi)

呑むと次の日が痛いてゆう人もおるけど、

その時に耐えることができない私は、

やっぱりお酒に逃げてしまいます…( ̄_ ̄ i)





まぁ上手くお酒と付き合っていきますわっ!


ちなみに今の私の大好きなお酒はジャックダニエルです!

結構ブーム長いです。








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トモコレをしていて、マイケルジャクソンは好きだったけれど…

亡くなってしまったしどうしようかなぁって、夕べ悩んでしまいました。


結局登録はやめました。

哀しくなるだけだなぁって…



では今日は、哀しいけど、泣いてしまうかもしれないけど、

書きます…



不思議な“私の感覚”です。






~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


私は、昼のコンビニの仕事とは別に、夜2か所の店で働いていた。


そのうちの一つの店に、私の第二の母がいた。


大好きな“ママ”である。


初めはお客として行っていたのだが、私の事をとても気に入ってくれて、

そのうち働かせてもらうようになったのだ。



ママは、私のことを本当の娘のように想ってくれていた。

私もママのことを本当のお母さんのように慕っていた。


店に行くと、私は「ただいまぁ~」

ママは「おかえりー。おつかれー」と…


働くかどうするかは、好きなようにさせてくれていた。


疲れた時は、カウンター席の隅に座った。

すると黙ってお酒とグラス、

そして、あまり食べられなかった私の事を気遣うように、

体に良い食べ物が、すっと出された。


優しい笑顔で、「食べなさい」と…


私は、そんな時は隣のお客さんの相手をするくらいでした。



お客さんが途切れると、私はママと、たわいもない会話をした。

ママは語りかけてくれる。

「今日はどうだったぁ?」

「うん疲れたぁ。あのねぇ~………」

という具合に。


店を閉めた後など、よく二人でプライベートで呑みに出かけたりと、

とても楽しかった。


とっても心休まるひと時だった。






悲しいことに、それをすべて失ってしまったのだ。


私が倒れる少し前の出来事。


ママはいつも、お腹と腰が痛い痛いと言っていた。

心配で、病院に早く行くよう言っていたのだが、

ママも私同様、時間もお金もないとゆう生活だったのだ。


一人で店をきりもりしていて、買い出しやら何やらすべてやっていた。

余裕などなかったのだ。






癌だとわかったときは、もう末期だった。


私は病院に駆け付けた。


最後に会ったときは、もう誰だかわからなかった。

骨と皮だった…


そっと近づき、泣くのを堪え、小さな声で「ママ…」と言った。

するとママは目を開け、私を見つけると、涙をこぼした。

私も耐えきれず涙がこぼれた。

会話はなかったが、心は通じていた。

しばらく見つめ合ったが、ママは疲れたように目を閉じた。


その時、付き添っていた長女は言っていた。

いつもは目を開けてもうつろで、泣くなど感情を出すようなことはなかったと。

きっと、みっちに会えて嬉しかったんだよ、と…


そう言ってくれた。





そして、数日後、訃報が届いた。


通夜、葬式…と、とても辛く哀しい時が過ぎて行った。


ママはもういないんだ…

にっこり笑って「みっち」って…もう言ってくれないんだ…

私、夜どこに帰ればいいの?


こんなことばかり思っていた。

毎日頭から離れなかった。







それから幾日かして私は倒れたのだ。


一般病棟に移ってからの“不思議な感覚”だが、

それは、ママの存在なのである。



まだ手術をしていないうつろな頃…

あの霊らしきものを見ていた頃…


何故か、いつもママがそばにいるような感じがしていたのだ。

ママが亡くなっているという事実はわかっていた。

夢に出てきてくれたのか、本当にそばにいてくれているのか…



少し話せるようになったとき、私はお母さんに聞いてみた。

「その左の窓の外じゃなくて、反対側の右の向こうにお墓ない?」

「ママのお墓があると思うんだけど」

と…


私はどうしても、

ママのお墓がそこにあるとゆう感じがしてならなかった。

ここの病院は、ママのお墓のそばにあるのだと思い込んでいた。



でも返ってきた答えに、またもや愕然とした。

「全然違うよぉ?というか逆方向だよ?」

「ママのお墓は車に乗ってずっと遠いとこだよ?」


お母さんは変な顔をしてそう言っていた。


『なんでよ~ママいるもん!』

そう思った。



自分の目で確かめるまでは、どうしても納得できなかった。


手術を終え、車いすに乗れるようになったとき、

私は、お墓が見えるはずだと思う窓まで、連れて行ってもらった。

どうしても、確認したかったのだ。



なかった…



自分で車いすを動かせるようになってからも、

何度も何度も探しに行った。


その窓のすぐ横に、いつもいるようになっていた。

他の人がそこにいると、どいてくれるまで待った。


その光景は今でも憶えている。

そこの病院で目にする記憶は本当に少ないが、

その窓と、そこから見える景色は、くっきりと目に浮かぶ。



そんなふうに、私はママのことを追っていたのだ…



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





去年、ママの次女から突然電話があったのです。

憶えていますか?と…


憶えてるもなにも!


本当にびっくりしました。

と同時に彼女もびっくりしていました。


今の私がこんな有様ではね…




そうそう、

ICUで体験したことは、臨死体験であると確信した理由ですが、

ひっぱってもしょうがないのでお話します。



だいぶ後々の事になるのですが、リハビリ病院も退院し、

家でリハビリ暮らしをしていたときのことです。


その頃、お母さんは私の家に通い、家事などをやってくれていました。


何の気ない会話でのことです。

私は、初めてICUで体験した出来事を話しました。



みなさん覚えていらっしゃるでしょうか…

あの、おじさんと目が合った瞬間の出来事を…



そのことをお母さんに話した瞬間!お母さんは言いました。

「あんたが死にそうなときねぇ、

ちょうど隣の、お父さんらしい人が息をひきとったのよ!」と…

「お父さんお父さん!」と、それはそれは家族が泣いていたそうです。


私と目が合った左側にいたおじさんだ!と思いました。

間違いないと。


私はその時、隣に人が寝ている事も、しかもおじさん…だなんて、

お母さんに聞くまで知らないんですから。

それに、右側は看護師さんが出入りするドアがあるので、

ベッドはなかったそうです。



そのICUでは亡くなる人が大勢いて、入れ代わり立ち代わりだったそうです。


カーテンで仕切られていたというのも当たっていました。


私が、その部屋には死にそうな人が3~4人いるように感じたのも、

当たっていたのかもしれませんね。



お母さんと興奮気味に話をしました。


私が、おじいちゃんに会えた事を話すと、

お母さんは涙を浮かべて聞いていました。


お母さんは言いました。

「あなたは、おじいちゃんに赤ちゃんの時から本当に可愛がられてたのよ。」

「あなたを守ってくれているのはおじいちゃんだよ」と…


私も大好きだったので、小学3年生の時でしたが、

おじいちゃんの死顔は今でも忘れられません。


今でも毎年、命日には戒名を唱えて想い出します。

おじいちゃんが小指にしていた指輪も、形見として持っています。

写真もロケットペンダントに…






私が体験した、これらの事、力?とでも言いますか、

残念ながら今では全くないのです。


死の淵にいた頃や、手術前のぼんやりした頃は、あったのでしょう。

手術を終えて、少しずつ理性というものを取り戻すにつれ、

その力はなくなっていきました。

少しずつ…






信じる信じないは、人それぞれの自由だと思います。

しかし、こういった体験を通して私は思います。


魂はあると。


臨死体験では、よく言われるような、

お花畑や川などは出てこなかったのですが、自分の魂は感じました。

以前の記事で、私が何度も書いていた“意識”です。


“意識=魂”


であると、私は信じます。




不快な気持ちにさせてしまったのであれば、お詫びいたします。


m(_ _ )m








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今日は水曜日!


鍼灸の日でーす。


結果は…


経絡は、あまり良くない方に変わっていました…(:_;)

でも何故か今日は痛いし、リハビリも始めたばかりだし、

仕方ないとのこと。


リハビリ中止ーーーーなんて言われないかとハラハラしていましたが、

このまま続行ですって!

筋肉がついてきたら今よりも楽に歩けるようになるし、

回復に向かうようです!


はぁ~~よかった…

メニューは変わらず今までと同じです!


というのが今日の鍼灸のご報告でーす。





そんなことよりですねぇ…

今日はとってもびっくりしたことがあったんですよ!!


この私のブログ、ありがたいことにO先生は読んでくれているのです。

先生は言いました。

「私は信じますねぇ。霊魂はあると。」


そこで私は尋ねました。

「先生は見えるの?」と…


(^o^;)見えないそうです…

でも1回だけ見たものがあるそうです。


それはオーラ!


「でもねぇ、1回だけ若い頃、人のオーラを見たことがあるんだよ~」

「凄かったんだよ~誰だかわかるぅ~?」


わかるわけありません…(・_・)


すると先生は得意げに言いました。



「三浦友和!」



∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

体に電流が走りました!

全身鳥肌状態です!


これを読まれている方で、知っている方もおられるかと…



なんと私は、大の三浦友和ファンでして、

それはそれはきちがいのようでした。


小学校6年生の時に好きになり…

あれは初恋というやつですな…


そして中高大と、ずっとファンクラブに入っていて、

高校と浪人生のときは、追っかけまでやっていました。


ろ、浪人生?勉強やらんかーい。ヽ(`Д´)ノ

ですよね…(^_^;)

いやぁ~でも懐かしいなぁ~



とまぁそんな私でした。



ですから本当に真面目に驚いたわけですよ。


最初先生がもったいぶったのは、

私が三浦友和のファンだって知っててそうしたのかなと思ったのですが、

知らなかったそうです。


O先生がオーラを初めて見た、ただ一人の人物が、

私の大好きな三浦友和であったとは…

これは偶然というか…

私とO先生は出会う運命だったのですよ。


そう言ったら、笑われましたが…(^^ゞ



てゆうか、

先生が三浦友和を見た時、横に可愛らしい女の子がいたとか。

なんかちょっと…いらっ。


まぁあんだけかっこいいとねぇ~などと先生も認めるくらいですからぁ?

当たり前ですけどぉ~~~?


ちなみに百恵ちゃんではなかったそうです。

まだ“赤いシリーズ”の頃みたいでしたから、まぁモテまくりでしょう。

間違いなく。






てことで…

あ!忘れてましたが、今日不思議な機械を先生が持ってきて、

経絡の流れを確認していました!


なんだか筒状の金属を左手に握らされて、

機械を通した何かで一本一本指を押さえていました。


ツボじゃないところにあたると、機械は“トン…トン…トン…”とゆっくり音がし、

ツボにあたると“トトトトトトトトト”


あるんですねぇ~

やっぱりツボってー。

実際耳で聞くと実感しますわ。



しかしこんな大事な報告を忘れるなんて…

いけませんよねぇ…私


つい三浦友和で熱くなりまして…(;^_^A






失礼しました。m(_ _ )m








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