現在の視床痛生活になるまでの記録9(第二の母) | 視床痛熟女の行ったり来たり

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視床痛の痛み・痺れと闘う女のブログです。


トモコレをしていて、マイケルジャクソンは好きだったけれど…

亡くなってしまったしどうしようかなぁって、夕べ悩んでしまいました。


結局登録はやめました。

哀しくなるだけだなぁって…



では今日は、哀しいけど、泣いてしまうかもしれないけど、

書きます…



不思議な“私の感覚”です。






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私は、昼のコンビニの仕事とは別に、夜2か所の店で働いていた。


そのうちの一つの店に、私の第二の母がいた。


大好きな“ママ”である。


初めはお客として行っていたのだが、私の事をとても気に入ってくれて、

そのうち働かせてもらうようになったのだ。



ママは、私のことを本当の娘のように想ってくれていた。

私もママのことを本当のお母さんのように慕っていた。


店に行くと、私は「ただいまぁ~」

ママは「おかえりー。おつかれー」と…


働くかどうするかは、好きなようにさせてくれていた。


疲れた時は、カウンター席の隅に座った。

すると黙ってお酒とグラス、

そして、あまり食べられなかった私の事を気遣うように、

体に良い食べ物が、すっと出された。


優しい笑顔で、「食べなさい」と…


私は、そんな時は隣のお客さんの相手をするくらいでした。



お客さんが途切れると、私はママと、たわいもない会話をした。

ママは語りかけてくれる。

「今日はどうだったぁ?」

「うん疲れたぁ。あのねぇ~………」

という具合に。


店を閉めた後など、よく二人でプライベートで呑みに出かけたりと、

とても楽しかった。


とっても心休まるひと時だった。






悲しいことに、それをすべて失ってしまったのだ。


私が倒れる少し前の出来事。


ママはいつも、お腹と腰が痛い痛いと言っていた。

心配で、病院に早く行くよう言っていたのだが、

ママも私同様、時間もお金もないとゆう生活だったのだ。


一人で店をきりもりしていて、買い出しやら何やらすべてやっていた。

余裕などなかったのだ。






癌だとわかったときは、もう末期だった。


私は病院に駆け付けた。


最後に会ったときは、もう誰だかわからなかった。

骨と皮だった…


そっと近づき、泣くのを堪え、小さな声で「ママ…」と言った。

するとママは目を開け、私を見つけると、涙をこぼした。

私も耐えきれず涙がこぼれた。

会話はなかったが、心は通じていた。

しばらく見つめ合ったが、ママは疲れたように目を閉じた。


その時、付き添っていた長女は言っていた。

いつもは目を開けてもうつろで、泣くなど感情を出すようなことはなかったと。

きっと、みっちに会えて嬉しかったんだよ、と…


そう言ってくれた。





そして、数日後、訃報が届いた。


通夜、葬式…と、とても辛く哀しい時が過ぎて行った。


ママはもういないんだ…

にっこり笑って「みっち」って…もう言ってくれないんだ…

私、夜どこに帰ればいいの?


こんなことばかり思っていた。

毎日頭から離れなかった。







それから幾日かして私は倒れたのだ。


一般病棟に移ってからの“不思議な感覚”だが、

それは、ママの存在なのである。



まだ手術をしていないうつろな頃…

あの霊らしきものを見ていた頃…


何故か、いつもママがそばにいるような感じがしていたのだ。

ママが亡くなっているという事実はわかっていた。

夢に出てきてくれたのか、本当にそばにいてくれているのか…



少し話せるようになったとき、私はお母さんに聞いてみた。

「その左の窓の外じゃなくて、反対側の右の向こうにお墓ない?」

「ママのお墓があると思うんだけど」

と…


私はどうしても、

ママのお墓がそこにあるとゆう感じがしてならなかった。

ここの病院は、ママのお墓のそばにあるのだと思い込んでいた。



でも返ってきた答えに、またもや愕然とした。

「全然違うよぉ?というか逆方向だよ?」

「ママのお墓は車に乗ってずっと遠いとこだよ?」


お母さんは変な顔をしてそう言っていた。


『なんでよ~ママいるもん!』

そう思った。



自分の目で確かめるまでは、どうしても納得できなかった。


手術を終え、車いすに乗れるようになったとき、

私は、お墓が見えるはずだと思う窓まで、連れて行ってもらった。

どうしても、確認したかったのだ。



なかった…



自分で車いすを動かせるようになってからも、

何度も何度も探しに行った。


その窓のすぐ横に、いつもいるようになっていた。

他の人がそこにいると、どいてくれるまで待った。


その光景は今でも憶えている。

そこの病院で目にする記憶は本当に少ないが、

その窓と、そこから見える景色は、くっきりと目に浮かぶ。



そんなふうに、私はママのことを追っていたのだ…



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去年、ママの次女から突然電話があったのです。

憶えていますか?と…


憶えてるもなにも!


本当にびっくりしました。

と同時に彼女もびっくりしていました。


今の私がこんな有様ではね…




そうそう、

ICUで体験したことは、臨死体験であると確信した理由ですが、

ひっぱってもしょうがないのでお話します。



だいぶ後々の事になるのですが、リハビリ病院も退院し、

家でリハビリ暮らしをしていたときのことです。


その頃、お母さんは私の家に通い、家事などをやってくれていました。


何の気ない会話でのことです。

私は、初めてICUで体験した出来事を話しました。



みなさん覚えていらっしゃるでしょうか…

あの、おじさんと目が合った瞬間の出来事を…



そのことをお母さんに話した瞬間!お母さんは言いました。

「あんたが死にそうなときねぇ、

ちょうど隣の、お父さんらしい人が息をひきとったのよ!」と…

「お父さんお父さん!」と、それはそれは家族が泣いていたそうです。


私と目が合った左側にいたおじさんだ!と思いました。

間違いないと。


私はその時、隣に人が寝ている事も、しかもおじさん…だなんて、

お母さんに聞くまで知らないんですから。

それに、右側は看護師さんが出入りするドアがあるので、

ベッドはなかったそうです。



そのICUでは亡くなる人が大勢いて、入れ代わり立ち代わりだったそうです。


カーテンで仕切られていたというのも当たっていました。


私が、その部屋には死にそうな人が3~4人いるように感じたのも、

当たっていたのかもしれませんね。



お母さんと興奮気味に話をしました。


私が、おじいちゃんに会えた事を話すと、

お母さんは涙を浮かべて聞いていました。


お母さんは言いました。

「あなたは、おじいちゃんに赤ちゃんの時から本当に可愛がられてたのよ。」

「あなたを守ってくれているのはおじいちゃんだよ」と…


私も大好きだったので、小学3年生の時でしたが、

おじいちゃんの死顔は今でも忘れられません。


今でも毎年、命日には戒名を唱えて想い出します。

おじいちゃんが小指にしていた指輪も、形見として持っています。

写真もロケットペンダントに…






私が体験した、これらの事、力?とでも言いますか、

残念ながら今では全くないのです。


死の淵にいた頃や、手術前のぼんやりした頃は、あったのでしょう。

手術を終えて、少しずつ理性というものを取り戻すにつれ、

その力はなくなっていきました。

少しずつ…






信じる信じないは、人それぞれの自由だと思います。

しかし、こういった体験を通して私は思います。


魂はあると。


臨死体験では、よく言われるような、

お花畑や川などは出てこなかったのですが、自分の魂は感じました。

以前の記事で、私が何度も書いていた“意識”です。


“意識=魂”


であると、私は信じます。




不快な気持ちにさせてしまったのであれば、お詫びいたします。


m(_ _ )m








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