視床痛熟女の行ったり来たり -32ページ目

視床痛熟女の行ったり来たり

視床痛の痛み・痺れと闘う女のブログです。


それでは、


数少ない試飲でしたが、厳選に厳選を重ねた、

“私の毎日豆乳”の結果を発表したいと思います。


1位…麦芽のコーヒー味

2位…アールグレイ風味の紅茶味


これらを飽きないよう交互に飲みたいと思います。


皆様、色々な情報ありがとうございました。

m(_ _ )m



さて今日は、初めての食事、好みの変化、そして謎の習慣と…

食についての話題を中心に、色々記録していきたいと思います。




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いつものように、間仕切りカーテンを背にし、車椅子に座っていた。

すぐ左には離れないようピタリとベッド。

前にはテレビがあり、その左には私の枕があった。


その枕の上には妙な文字が縦に並んでいる。

【左、上、右、上、…】

なんとなく不思議に思い、なんとなくお母さんに尋ねた。


「床ずれしないように寝返りさせていたのよ。看護師さんが。」

「ふ~ん」と、私はそんなに気にはならなかった。


それよりも気になっていたことがあったのだ。

これから始まるランチタイムである。

口からの栄養補給が始まるのだ。


妙な文字列のことを尋ねているとき、お母さんはセッティングをしていた。


「これから食べるんだってー。なんだろねぇ~」

と言いながらお母さんは、私の胸の前あたりまで、

ゴロゴロと、飾り気のないテーブルを移動させた。


しばらく待っていると、高級レストランのウエイトレスのように、

面白おかしく看護師さんはやって来て、テーブルに“それ”を置いた。

場を和ませようとしたのであろう…


わざとらしく丁寧に置かれた“それ”だが…


“食べ物”ではなかった。

“飲み物”だった…


がっかりした…


お母さんに注意点を述べた看護師さんは、おずおずと下がった。

そして私は、耐え難い食事を、おずおずと始めるのであった。



お母さんはスプーンですくい、私の口へ。


『何だこれは…強烈に不味い!味がない!』

まるで、工作の時間に使っていたあの“のり”を、

お湯でゆるゆるに溶いたような代物であった。


聞いたことはあるが、食したことのない“重湯”である。


お母さんは続けて食べさせようとする。

「もういらない」…と私。



お母さんは考えたのだろう…

次の日、“秘密のアイテム”を持ってきたのである。

それは、私の大好きな、



“ごはんですよ!”



そして、酷く不味い工作の“のり”は、美味しい佃煮の“のり”によって、

この上ないご馳走に変化したのだった。


当たり前だが言わせてもらう。


味というのはとても大事だ。




もちろん看護師さんには内緒である。

出されるもの以外は食べさせないよう、言われていた。

でも、少しなら?食べないよりは?とお母さんは考えたのだろう。



私は我儘である。

段々固形の粒が増えていくたびに、そのアイテムの種類も増えていった。

そして普通のお粥になる頃には、細かく刻んだお新香まで登場するのであった。



調子に乗った私は、お母さんに駄々をこね、飴が欲しいとしきりに頼んだ。

その時の私は、お母さんに言えば何でも通ると思っていたのだ。

救いようのない我儘姫である。


何故だか、異様に甘いものが欲しかったのだ。

しつこく「飴、飴、飴、飴」と言っていたそうだ。

お母さんが帰るときは必ず、3つぐらいの飴をもらい、

枕の下に隠していたのを鮮明に憶えている。



その行為だが、それは安心を意味していたのだろうか…

その後に移ったリハビリ病院でもやっていた行為なのだ。


リハビリ病院では、枕の下に飴を隠す以外にも、

枕の横にも好きな食べ物を隠していた。

大事なものが入っているから開けないで、と言わんばかりのポーチに、

倒れる前から好きだった“柿ピー”の小袋をたんまりと…


その“柿ピー”だが、

倒れる前は、“ピー”よりも“柿”が好きで、

“ピー”はほとんど捨てていたのだ。

それが、リハビリ病院に来て食べてみると、

これまた何故だか異様にピーナッツの方が美味しく感じたのだ。


好みの変化である。


それから甘いものだが、飴だけではおさまらず、サイドテーブルの引き出しに、

アーモンドチョコやクッキーなどを、たくさん隠し持っていたのだ。

甘いものなど、倒れる前はまったく見向きもしなかったのに…


好みの変化である。


これらおやつを、看護師さんの目を盗み、食べまくっていたのだ。

さぞかし手に負えない、問題児患者だったことであろう。


何故なら私は、食事制限を受けていたからなのである。



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驚くことにその隠す行為ですが、いまだに止められないのです。

さすがに今は食べ物ではありませんが、枕の下や横に、

色々と必要なものをたくさん置いているのです。

隠しているというわけではないですが、自分の中では近いかもしれませんね…


実に不思議です。


倒れる前には全くなかった習慣なのです。


退院した後の家の中でも、寝たきりになったこともあり、

一人で寝ていることが多かった為、自分の中では必要行為であると認識し、

続けているのかもしれません。


そして、この“隠す行為”を経験し、思うことなのですが、

安心する物に囲まれた自分のベッドの上が、

一番安心で一番安らげる場所であると、

潜在意識として刷り込まれたのではないでしょうか。


今でも、寝たきりではありませんが、やはりベッドで寝ころんでいる時が、

一番ホッとする、私のくつろぎタイムであることには、間違いありません。





初めて車椅子に座らされ、

初めてベッドから離れたときに感じた、

とてつもない恐怖を想い出します。





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昨日は、視床痛人の醜い泣き言ブログですみませんでした。

m(_ _ )m



私は、いつか、油絵を、左手で、描きます!


なので、今日は私が油絵に出会ってからの経緯を、記したいと思います。








私は小学生の頃、水彩画が得意で、もちろん大好きだった。



6年生のある日の出来事。


図画の時間、担任の先生が私たちに、ある絵を見せた。

模写をするための絵だった。


私は見た瞬間、思わず息を飲んだ。


それは…


“アルルの跳ね橋”



青い空と青い川に、黄色い跳ね橋が眩しく浮かんでいた。

跳ね橋の真ん中には馬車が。

手前には茶色い土手と、洗濯をしている女の人達がいた。



ゴッホとの電撃的な出会いがこれだった。

私のゴッホ好きの始まりである。


そして、心を踊らせ模写が始まった。


私のそれまでの独自の画法は、

水で溶いた絵の具を筆にふくませ、様々な色を乗せながら、

布で叩いてむらを出していき、なじませていくというものだった。


自分なりに感じ取った、自分の世界観で絵を完成させていたのだ。



その世界観をすべて打ち消すような、衝撃的なことが起こった。


“模写”そのものである。

真似をするのだ。

私はそれまで、ひとの真似などしたことがなかった。


必死で考えた。

どうすれば、あの深みが出せるのかと。

眩しい色合いが出せるのかと。


自分のそれまでの画法では無理だ…


他の授業の時も、頭の中は“跳ね橋”でいっぱい。

家に帰ってからも、遊びになど行かない。

その頃好きで習っていた、ピアノの練習すらそっちのけ。

何枚も“跳ね橋”を描いた。


その頃の遊びの中に、“今日は絵を描く”というチョイスもあったのだ。

そのため、常に画材は豊富に取り揃えていた。

描き損じては描き直し…

納得いくまで描き続けた。


そして、ついにあみだしたのだ。

子供の考えることなので、今思うと笑ってしまうが、

その時は、感動の真っただ中にいる自分に酔っていた。



それは、とても親を困らせたであろう、究極な“無駄遣い画法”である。


そのゴッホの絵は、油絵だと書いてある。

でも、油絵の具がどんなものかわからない。

もらったその絵は写真。

本物が見たかった…


でも、じーっと見つめるしかない。

とんでもないことを思いついた!

絵の具をそのままのせていく。

なんだか近い!



そう。

絵の具だ。

絵の具の無駄遣い。



絵の具を水で溶くのを止めたのだ。


私は、お母さんにたくさんの絵の具をねだった。

黄色、青、茶色、白、たくさん手に入れた私は、

ついに、油絵風で模写を完成させることができたのだ。



そんな体験をさせてくれた先生の事はとてもよく覚えている。

私が小学校の先生になろうと思ったのも、この時である。

こんな先生になりたいと…


これがきっかけで、私は油絵に興味深々。。。

画集を観るのが好きになった。



中学生になった。

以前、記事に記したように、中2で私は結核になってしまった。


じっとしていなければならない私に、何か興味を…と考えたのか、

父は一眼レフのカメラを私に与えた。

もちろん中古だったが嬉しかった。

そして、油絵の他にも、カメラへの興味がプラスされ、

充実した闘病生活になった。


可哀そうに思ったのであろう…

今度は母だ…

いきなり、私を、大好きな海に連れ出したのだ。

医者の許可を取り、一泊二日で…

びっくりした。


大人になって聞いたことだが、

その頃の我が家の家計は、火の車だったそうだ。

ホテルのチェックアウトのお金も、帰りの電車代もないまま、

なんとかお金を作って迎えにくる父の事を、ホテルで待っていたそうだ。

その光景は覚えている。

ロビーのソファーで、長い間父を待っていたことを…


そんな究極に苦しい旅行であったにもかかわらず、

お母さんは行きの電車の中でこう言った。

「思いっきり写真を撮って、思いっきり絵を描きなさい」と…


私は本当に思いっきり撮った。そして描いた。

嬉しかった。




そして中学3年生になり、念願の油絵セットを買ってもらったのだ!

天にも昇る心地だった!

待ってました!とばかりに私は描いた!

連れて行ってもらた海の絵を!


1作目 “昇る朝日”

眠い目を擦りながら、ベストポジションを確保して朝日を撮った。

その、朝日が昇る瞬間の写真を観て、その時の空気を感じ、描いた。


2作目 “狂う波”

目の前の岩場に、波が荒れ狂うように打ちつけている。

その、何枚かのスケッチと写真を観て、磯の香りを思い出し、描いた。


この二つの風景は、海に行った時からどうしても油絵で描きたかったのだ。





その後、高校生では油絵教室に通わせてもらい、

大学では美術を専攻し、心置きなく油絵と共に大人へと向かっていくのであった。




これが“私と油絵”である。







昨日は、悲観的な靄が頭をしぶとく覆っていましたが、

このような経過を思い出すにつれ、もしかして、

この先の自分の残りの人生にも、何か方向性が出てくるのでは…

そう思えることができました。


今後は『またいつか油絵を描くぞ!』という気持ちを持つ所存です。




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私は絵が好きだ。


ゴッホ、ユトリロが大好き。

見ていると、吸い込まれる。


もちろん、描くこと、もっと好き。


油絵具の匂い、大好き。

想像するだけで匂ってくる…




描きたい…

描きたい…

描きたい…


そこにイーゼル置いて、真っ白なキャンバスに…




もちろん右手でや!!!




左手で、パステル画は描いた。

何枚か描いてみた。


全然違う…



油絵を!右手で!描きたいんよ!




悔しい!

涙が出る…




ごめんなさい。

今日は、ひとりごとで…



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