私と油絵 | 視床痛熟女の行ったり来たり

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視床痛の痛み・痺れと闘う女のブログです。


昨日は、視床痛人の醜い泣き言ブログですみませんでした。

m(_ _ )m



私は、いつか、油絵を、左手で、描きます!


なので、今日は私が油絵に出会ってからの経緯を、記したいと思います。








私は小学生の頃、水彩画が得意で、もちろん大好きだった。



6年生のある日の出来事。


図画の時間、担任の先生が私たちに、ある絵を見せた。

模写をするための絵だった。


私は見た瞬間、思わず息を飲んだ。


それは…


“アルルの跳ね橋”



青い空と青い川に、黄色い跳ね橋が眩しく浮かんでいた。

跳ね橋の真ん中には馬車が。

手前には茶色い土手と、洗濯をしている女の人達がいた。



ゴッホとの電撃的な出会いがこれだった。

私のゴッホ好きの始まりである。


そして、心を踊らせ模写が始まった。


私のそれまでの独自の画法は、

水で溶いた絵の具を筆にふくませ、様々な色を乗せながら、

布で叩いてむらを出していき、なじませていくというものだった。


自分なりに感じ取った、自分の世界観で絵を完成させていたのだ。



その世界観をすべて打ち消すような、衝撃的なことが起こった。


“模写”そのものである。

真似をするのだ。

私はそれまで、ひとの真似などしたことがなかった。


必死で考えた。

どうすれば、あの深みが出せるのかと。

眩しい色合いが出せるのかと。


自分のそれまでの画法では無理だ…


他の授業の時も、頭の中は“跳ね橋”でいっぱい。

家に帰ってからも、遊びになど行かない。

その頃好きで習っていた、ピアノの練習すらそっちのけ。

何枚も“跳ね橋”を描いた。


その頃の遊びの中に、“今日は絵を描く”というチョイスもあったのだ。

そのため、常に画材は豊富に取り揃えていた。

描き損じては描き直し…

納得いくまで描き続けた。


そして、ついにあみだしたのだ。

子供の考えることなので、今思うと笑ってしまうが、

その時は、感動の真っただ中にいる自分に酔っていた。



それは、とても親を困らせたであろう、究極な“無駄遣い画法”である。


そのゴッホの絵は、油絵だと書いてある。

でも、油絵の具がどんなものかわからない。

もらったその絵は写真。

本物が見たかった…


でも、じーっと見つめるしかない。

とんでもないことを思いついた!

絵の具をそのままのせていく。

なんだか近い!



そう。

絵の具だ。

絵の具の無駄遣い。



絵の具を水で溶くのを止めたのだ。


私は、お母さんにたくさんの絵の具をねだった。

黄色、青、茶色、白、たくさん手に入れた私は、

ついに、油絵風で模写を完成させることができたのだ。



そんな体験をさせてくれた先生の事はとてもよく覚えている。

私が小学校の先生になろうと思ったのも、この時である。

こんな先生になりたいと…


これがきっかけで、私は油絵に興味深々。。。

画集を観るのが好きになった。



中学生になった。

以前、記事に記したように、中2で私は結核になってしまった。


じっとしていなければならない私に、何か興味を…と考えたのか、

父は一眼レフのカメラを私に与えた。

もちろん中古だったが嬉しかった。

そして、油絵の他にも、カメラへの興味がプラスされ、

充実した闘病生活になった。


可哀そうに思ったのであろう…

今度は母だ…

いきなり、私を、大好きな海に連れ出したのだ。

医者の許可を取り、一泊二日で…

びっくりした。


大人になって聞いたことだが、

その頃の我が家の家計は、火の車だったそうだ。

ホテルのチェックアウトのお金も、帰りの電車代もないまま、

なんとかお金を作って迎えにくる父の事を、ホテルで待っていたそうだ。

その光景は覚えている。

ロビーのソファーで、長い間父を待っていたことを…


そんな究極に苦しい旅行であったにもかかわらず、

お母さんは行きの電車の中でこう言った。

「思いっきり写真を撮って、思いっきり絵を描きなさい」と…


私は本当に思いっきり撮った。そして描いた。

嬉しかった。




そして中学3年生になり、念願の油絵セットを買ってもらったのだ!

天にも昇る心地だった!

待ってました!とばかりに私は描いた!

連れて行ってもらた海の絵を!


1作目 “昇る朝日”

眠い目を擦りながら、ベストポジションを確保して朝日を撮った。

その、朝日が昇る瞬間の写真を観て、その時の空気を感じ、描いた。


2作目 “狂う波”

目の前の岩場に、波が荒れ狂うように打ちつけている。

その、何枚かのスケッチと写真を観て、磯の香りを思い出し、描いた。


この二つの風景は、海に行った時からどうしても油絵で描きたかったのだ。





その後、高校生では油絵教室に通わせてもらい、

大学では美術を専攻し、心置きなく油絵と共に大人へと向かっていくのであった。




これが“私と油絵”である。







昨日は、悲観的な靄が頭をしぶとく覆っていましたが、

このような経過を思い出すにつれ、もしかして、

この先の自分の残りの人生にも、何か方向性が出てくるのでは…

そう思えることができました。


今後は『またいつか油絵を描くぞ!』という気持ちを持つ所存です。




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