残された私たち -12ページ目
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夫の主治医

最初の病院は知人から教えてもらった小さな個人病院でした。いつも混んでいる病院で先生はよく話を聞いてくれました。
しかしなかなか症状が変わらず国道沿いに看板のある大きな精神病院へかかる事を決めました。
気さくな先生で夫も話やすそうでした。
受診には毎回付き添っていました。
3回目の受診時、主治医の先生が 
薬を飲んでどうですか?
と聞き 夫が 
変わりません。
と答えると
え~変わらない?そうなの?からかってる?
と言われました。
夫は困った笑顔で
からかってないです~
と答えました。

主治医はその病院の副院長。50代後半位の男性
あのときすぐに病院をかえるべきでした。

私の判断ミス
後悔



夫のお葬式で…

夫が自死と言うのを夫の親族で知っているのは義弟夫婦のみです
義弟が義母や義姉妹には言わないでおこう。と言って決めました

お葬式は本当に ごく身内で行いました。
義母、義姉、義妹親子が来てくれたので長男と挨拶に行くと
ゆりあさんが殺したんだよ。と挨拶も何もなく最初に言われました。
長男には給料いくらもらってるんだ。息子は(夫)いつも金がない金がないと言うからあげてたんだ。と。
離婚しろ。って言ってたのに別れないから殺されたんだ。と言われました。自死と知らないのにここまで言われるとは…あまりのことに葬儀社の担当の方が私をよんでくれて話は終わりました
私は言われても仕方ない。でも孫にここまで言うなんてひどい。そのあと一言も私や息子達と話すことはありませんでした。
私がとても悲しかったのは義母は義妹の子と笑いながら話していました。うちの三男と同じ中3。
中学生で父親を亡くした三男には一言優しい言葉をかけてほしかったです。


あれから2年がたちました

主人が自死して2年がたちました。
うつ病でした
はやく月日がたって苦しさから逃れたいと思っていました。でも月日がたつと 楽しかった事、子供たちと主人の色んな思い出が浮かび なぜこんなことになってしまったのか。ともっとつらくなってきています
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