残された私たち -9ページ目

いまだに実感がありません…

夫が亡くなり周りの人はみんな心配してくれました。

大丈夫?
ちゃんと食べてる?

私は大丈夫。頑張る。
未亡人になっちゃったよ~

なんておちゃらけて答えていました。
泣いたらとまらなくなるし私のキャラではありません

でも一人の友達が
いいんだよ。そんな風に言わなくても。
と言ってくれました

心の中が見透かされてるようでした。

私は大丈夫。
私は大丈夫。

おまじないのように、自分に言い聞かせるように

私は大丈夫。聞かれるたびに言ってきました。

何かあった時こそ ちゃんと食事をしないといけない。という母の昔からの言葉を守り食事もきちんとしていました

夫が亡くなっても
食べられるんだな
と思いました。

人前では
大丈夫、大丈夫
と笑顔もできました

でも一人の時はすぐに涙。

一緒に通った道

二人で行ったうどん屋さん

子供たちを連れていった公園

いつも最初に思い出すのは

笑顔の夫

でも必ずその後すぐに

うつが重くなってしまった時の

暗くつらい顔の夫

涙が出てしまう

なんでこんなことになってしまったんだろう。

あの頃 家族はみんな自分のことでいっぱいで夫に寄り添って優しくしてあげることが出来ませんでした。

死ぬんだ

と言っていなくなって次男が見つけて帰ってきた時、
子供の事を考えたらそんなこと出来ないでしょ
と言った私に
子供、子供って俺のことも考えろよ
と言われたの忘れられません。

2年以上経つのにまだ夫が亡くなった事が実感としてありません










三男②

夫が亡くなったのは三男が中3の夏休み2日前でした。

前日から夫が帰宅せず何ともいえない空気の中、部活があるため7時には家を出た三男。

その1時間後に警察官が来て

ご主人はいらっしゃいますか?

昨夜から帰宅してません。

ご主人の車の近くで人が病院に運ばれました

意識はあるんですか?

私たちにはわかりません。と警察官に言われました

出勤済みの次男から夫が帰宅したかどうかの電話が有り

警察がきてる

と休みで家にいた長男が話をすると
次男は電話で
そうか…そうか…
と泣いていたそうです。

そして運ばれた病院から
亡くなった
と連絡が入りました。

中学校に電話して父親が亡くなったのですぐに三男を帰して貰うようにお願いしました
亡くなったことは言わないでと頼みました。

三男は家の前に警察がいて夫が事故でも起こしたのかと思ったようです。

亡くなったことを話してみんなでパパに会いに行こう。迎えに行こう。と話すと泣いていました。

中学に入り念願のクラブチームに入り先輩にいじめられて大泣きした三男。

あれ以来泣いたところは見たことは有りませんでした

そしてお葬式の時からまた泣いたところを見たことが有りません。

亡くなった翌日は終業式。
最後だからと出席して中学校最後の大会があるからと部活も出ようとしましたが顧問の先生から帰った方がいいと言われ帰宅しました。

気持ちが強い子だなぁと思いました。

でも
私と二人になった時にボソッと
パパが死んだなんて実感無いんだよね
と三男。

うん。お母さんもそうなんだ。

お墓参りもいってるけど実感ないよね

こんな話も出来る時もあるのに
すぐにムカッイラッとなり不機嫌顔

私の罪は大きいってことですね…

我が家は パパ、お母さん というチグハグな呼び方でした。


三男

高校2年生の三男はもうすぐ修学旅行です。

荷造りをして足りないものを買いに行き帰りにスーパ-へ付き合ってもらいました

たくさんの人に誰かに会ったら嫌だなーと不機嫌になった三男

私もイラッとして車に戻っていい‼と鍵を渡しました。

こんな遠くで会うなんてまずない‼
そんなに私と一緒が恥ずかしいの?
悲しく寂しい

反抗期が長い三男。
最近は髪型を気にするようにもなった思春期真っ只中

反抗期が長いのも私と一緒なのを見られるのが嫌なのも夫を死なせてしまった罰なんだ。と思います。

私だけが楽になってはいけないんだ。