ゲムシタビン/ドセタキセル、10サイクル目が終わりました
副作用などにやられて、ぜんぜん元気ないです
出かけられないし。
私のここ1週間の楽しみは、
Amazonで「うる星やつら」をみたこと。
庭のレモン🍋を一日2個くらいずつ、収穫してること。
今ごろ実ができたトマトを、なんとか赤くしようと、実にビニール袋をかけて見守っていること。
キクは秋に相次いで死んだインコたちの命日のために。レモンとともに、ナスも収穫。
夕べは38.5度まで熱が上がったけど、よろめきながら夕飯にシーフードグラタンを作りました。
でもそれは偉くはない。
動けるなら動きたいし、具合悪いと外食は口に合わないからやってるだけ。テキトーでもグラタンは熱々で美味しかった。
完璧は目指さない。
というか目指せない。
だってがん病人だもの
と、偉そうにいうものの、心がしぼしぼになりかけてますほんとに元気なんかない。
振り返れば、化学療法が効いてないなどの理由で次の薬に乗り換えても、おサルとともに仕事もできて、出かけて、なんでも食べて、日常をあまり変わらず送れるなら、心は元気でした。
変わらずに日常を送れる毎日の軌道から離れていくほど、心の生きる元気がしぼんでいっちゃうのかな。
さらに元気を失いそうな、副作用の痛みや苦しみとお付き合いしているワタシ
一つのサイクルにつき、
- 1週目にゲムシタビン点滴
- 2週目にゲムシタビンとドセタキセル点滴
- ドセタキセル点滴から24時間以降にジーラスタ注射。
- 3週目は休薬
という治療を、静脈ポートをつくる手術をして今年の4月半ばから受けてきました。
およそ半年間。
それまでの抗がん剤治療の単剤から、薬が2種類になり、月に3回は病院に行って意外と忙しくても、途中までは新しい治療への期待で元気でした。
弁当屋さんやドラッグストアや八百屋をのぞいて買い物したり。それらがだんだんとできなくなり…
新しい治療への期待は、効かなきゃただのムダ遣いだし、効いてもQOLの低下や副作用とのジレンマがあるから、最初から何にも考えない方がよかったわ。
ゲムシタビン/ドセタキセルは苦しい治療だとは初めに聞きました
開始時、年度末の仕事を終えたばかりで疲れていたし、副作用に備えようと休職しました。
仕事を休めばそれはそれで悩みは深くて、いろいろあって。心はつらいけれど、体には休職して良かったかな。いまだ職場のお情けで休職中。戻るならフルタイム勤務が条件?いつまで首の皮がつながるかなぁ
そして、よく言われているように、サイクル数を追うごとに副作用は時に厳しく、多様になってきたかもで…
昨日は倦怠感と下痢と発熱で、苦しみました。呼吸はピーピーいって、鳥さんきたかな? と思うと自分の喉の音だし、鼻血は出るし。朝晩ステロイド吸入をぶち込みます。
今や両肺に胸水がたまる水浸しの体になってしまった。今日も少し動けばハアハアだし
腕が曲がらない。前屈みの姿勢では、弾性ストッキングの脱ぎ履きだけで、ぶっ倒れ…
ケモ室で、治療の終わったおばあちゃんが
「助けてくださ〜い」
と、弱々しい声で看護師さんを呼びました。タキサン系の薬の治療中には着用するように言われている白い弾性ストッキングを、途中から脱げずに困っていたようで。
わかる。
つらいよね
私も真似して、息子に助けを求め、脱ぎ履きを手伝ってもらって、大変なことだと分かってもらえたみたい。
胸水は血中アルブミンを持って行ってしまい、体は低栄養状態らしい…。タンパク質摂取につとめてるのに。もったいない。
浮腫んだ脚が、ときどき、ピシピシ痛いのは、副作用の関節痛らしい…
くるぶしやら足首やら、膝やら、思わず悲鳴が出ちゃう。
浮腫んだ脚の皮膚が真っ赤に熱を持って痛いのは、医療者がバラバラのことをいうから、どうしていいか分からない。
なぜそうなるのかと首を傾げるし、皮膚が広がって痛いのだろうともいうし、じゃああ痛い時に皮膚科に行ったらいいかと聞くと変わらないというし、痛くて泣いたと言ったら抗生剤の点滴が必要だったかもという。
とにかく両脚が赤く腫れると泣くほど痛いわけで、お腹は腫れないから下半身の見た目は赤いパンダといったところ
思わず母に電話して、初めて痛い痛いと泣きました。母を泣かせてしまいました。
そして、あんまり歩けないから自分で運転して白血球を増やすジーラスタ注射を受けに行ったとき、新任の看護師さんは子供が3人いると連呼しました。私と歳も同じだと。もっと産みたかったと。それ昨日もこの前も聞いたぞ
すまんのう。
私は事情があって1人産むのが精一杯だったのよ。あなたと同じく、もっと子どもが欲しかったのよ。大変ですね、と言うしかない…
薬剤を常温に戻しておいてくれて、地味に痛い皮下注射を楽にしてくれたのはよかったけど、皮下注射の話を少ししたら、
「ランマークとかもされているんですか?」
と言われたのは、びっくりした
美容室でも美容外科でもないのよ??
まぁ、肉腫と副作用の問屋みたいになってるとはいえ、骨転移はまだないはずなのよ
治療についてきてくれた息子は疲れていて、不安定でした
今回、10サイクル目は、ステロイドのカラ元気が効きませんでした
そして、今日!
やっと、口がきけるようになってきた感じなのよね
まだ、「体調どうですか?」などの連絡を、4件くらいかな? 読んでも返してもいない。まだ心がぺちゃんこ。
貴重なお約束も辞退しました。
ぱんぱんになった手を、腕を、やっぱり見せたくない。すぐハアハアして並んで歩けない。顔も膨らんでる。聞かれても笑って答える元気はない。うまく握れない手を、黙って見せてる自信もない。コロナも怖いし。
膨らんだ体にはゆるい服でないとつらいし、白い弾性ストッキングを履いた変に太い醜い脚は、服の丈にきをつかい、ロングスカートのみ。パンツスタイルは苦しいし。
家にいたらハゲもそのまま。パジャマで良いわけよ
まあ、なんてヘロヘロ!
ひとに会えなくなるなんて。
最悪。
以上、個人差があるから、この苦しみは私のお話し。
まあ、これでしばらく治療はお休み。
でも、
「この薬ももう限界かな」
と主治医に言われたのは、モヤモヤ。
お腹のおサルは増大してる
という感じの暮らしでしたが、副作用が抜けるまで、鴨川から連絡が来るまで、明日は今日よりは元気になることを望んで暮らしています!
朝、洗濯機回して暗くなってからやっと干したり、歩けないから日向ぼっこして、ぼけーっとしたり、息子と平和的な距離を保ちながら食事の支度をしたり。
しかし、鴨川には一度、電話したほうがいいと主治医に言われました。
腫瘍外科の先生のお名前をいただいたので、鴨川の病院の肉腫科に電話して、主治医からお名前だけご紹介いただいたことを伝え、私の手術予定はまだまだ先ですよね? と言ったら、なかなかの剣幕でいきなりダメ出し
順序を飛ばしてはダメです! 化学療法の終了から4週を置いてこれからカンファレンスです! 私から連絡します!
と。
お忙しかったんでしょうが。
傷ついた。
ついでに医師に対する苦情を書こう。
医師はときどき、患者に対して傍若無人を平気でやるわね。
この日は出かけるから忙しいとか、知ったことか。
仕事へのスタンスはそれぞれあるだろうけれど、ちゃんと患者の話を聞けよ。聞いて答えろよ。仕事だろ。
そもそも、いろんな意味で対等ではなかったんだなと、ガッカリします。
患者より病気のことをいろいろ知ってるのは当たり前だろ。そのプロだろ。患者は別のプロて生きているんだよ。命を尊重しろ。
医師が、
主治医を信じて頑張れ
なんて、言ってんじゃないわよ。
そいつがどんなダメ治療をするか、知ったかぶりするかわからんのよ。
医師同士、病気じゃなくて患者をみて切磋琢磨しな!
治療に優先順位だってあるのも分かる。通ってきた道だから
前の大学病院では、転移再発後は、他の患者がいなくなるまで5時間くらいは普通に待たされて、シャッター閉まるし。
すぐ切れば救える可能性大の患者。
手術しても腫瘍が残る患者。
手術はもうしない患者。
診る、切る、とは分業して患者のメンタルのつらさは緩和ケアへ、ですね
完治しないのは分かってるし、薬も後がなくなったけど、まだ生きている人間なのよ。自分の命なんだから、分かってるよ。
行きたいところへ行き、食べたいものを食べて、とにかく平和に閉じていく方向に考えて…残りを幸せに生きたいのよね。
だから、つらい医療からは離れたくなるけど、離れられない運命よね…
熱が出るとあちこち痛い
痛いよー