私はその後も抗がん剤の副作用に苦しんでいます 前のブログから日が経ってませんが。
発熱と下痢でいったん減った体重を、また体は水分を溜め込もうとし始め、体重増加を繰り返す…まだそんな感じ。
胸水が減る、倦怠感が終わる、熱が下がる、後者からでよいので良くなると良いなーと心から思っています
ヘタレなブログが続いてますが、今日は祖父のちょっと不思議な話しなんです。
父方の祖父はオーダーメイド紳士服の仕立をしていて、胃がんで亡くなりました。70歳くらいだったかな。私が中学1年のとき。
祖父は、盆と正月に親族全員が行っても無口。笑っているのを見たことなかったと思う
無口な祖父とは、小学生のとき泊まりに行っても、やっぱり何も話すことが出来ずにいました。
ただ一度だけ、一緒だった姉に腹が立ったらときに、わざとえんぴつを突き立てるそぷりをしてみました(悪い子)
そうしたら、祖父は思いの外すぐそばにいて、大きな声も出さず、私の手をさっと握ってくれました。それでほっとしたのを覚えています
40年近く前になりますが、そんな祖父は胃がんの診断で余命6ヶ月の宣告をされたそうです。その宣告どおりに亡くなった、という話ししか祖父の死について、長い間知りませんでした。
本人への告知はなかったらしく、二度手術をして、一度目でかなり広がっていて長い手術だったそうですが、二度目で胃を全摘したそうです。
化学療法や放射線などの治療はなかったようで、最後にアメリカの薬を使えば治ると、保険適用外の薬を紹介されたそうです。当時、今ほど医師とのコミュニケーションもなく、情報もなく、家族も治療のことはよくわからなかったようです。
病床の祖父の様子は私たち孫には伝えられず、病院や家にお見舞いに行っても顔をみられた記憶がありません。
その祖父の激烈な痛みは、亡くなった直後に初めて知ることになりました。
祖父が亡くなった晩のこと。
私はベランダの下の芝生のほうから、
うー うー うー
という、猛獣のような声が聞こえてきて、怖くて、眠れずにいました
うぅー ううーっ うううー!
その声は、だんだん激しくなり、地面を広がり、這い上がるようにして届いてきて、止まりませんでした
猫が集会をすることもあるから、今日は大きい猫、野良犬もいるのかな…と、まだ中学生になりたての私は考えた末に思いました。
でも、音量おかしくない? 1匹だけの声って変じゃない? などなど考え、勇気を出してベランダの下を覗いたけど、
なにもいなかった…
そっと、母のいる居間をのぞくとまだ起きていて、外を気にしている様子はなし。
気づかれないように、いそいで布団に潜ってそのうち寝てしまい、朝になって母に一番に聞きました
「夕べ、芝生にすごい犬か獣がいなかった? 声が怖かったよ」
「ええ? 何にも聞こえなかったよ?」
母は私より遅くまで起きていたのに? 居眠りしてた? そう思ってもう忘れようとしたとき、電話がかかってきました。
珍しく朝から家にいた父が電話に出て、何かをはいはいと聞いて、電話を切って私に振り向いた時は笑顔でしたが少し涙がにじんでいて、
「じいさん、死んじゃったよ」
と言いました。
祖父が死にかけていたなんて知らずにいたので、本当は何も受け止められていませんでした
祖父が亡くなる前の晩、父は病院で祖父に付き添っていたそうです。起きていたのを私が覗き見た母は、遅く戻る父を待っていたのでした。
うめき続ける祖父に父が
「痛いのか?」
と聞いたら
「うん」
と答えたそうです。それで看護師さんを呼んだところ、看護師さんは「大丈夫ですよー」と言い、何をしたのかはわからないが、その後にとても静かになって、
「大丈夫か?!」
と聞くと
「うん」
と答えたので、まだ大丈夫だろう、兄も近くにいるからと思って帰ってきたのだそうです。
そして翌朝、亡くなったのでした。
私は父にあの声のことを言えなくて、心の中でだけ、もしかして、あれはおじいさんのうめき声だったのかなと思いました。でも心霊っぽい話だから、ずっと黙っていました
そして今年の4月ごろ、私は左下半身のがん性疼痛を初めて経験しました。悶絶し、うなり、叫び、長い間忘れていた祖父を思い出しました。
それで、この前帰省して父とお茶を飲んでいたときに、気になっていた祖父の話をしました。
祖父が亡くなる前、看護師さんはどんな処置をしたのか。2度の手術も、昔の治療は何をしているのか。よくわからなかった。苦しんだだろうに、何も言わなかったのだね、と。
私は、あの晩、獣のようなうめき声を聞いたことを、初めて話してみました。
父は、ためらいなく、
「そりゃあ、じいさんのうめき声だったかもしれないな。一番かわいがっていた孫に知らせたかったのかもな」
と、言いました。
話したこともなく、孫はたくさんいるので、一番かわいがっていた孫は違うよと否定したけれど、父が私の話を聞いてくれて、とてもほっとしました。
私が鉛筆で暴力を振るったのを止めてくれたことも父に話すと、父はうれしそうに聞いてくれました。
父と、祖父の苦しみを共有できたかもしれず、少ない思い出も話せたことがよかったな…
祖父の写真は少なく、赤ちゃんの私を笑顔で抱っこする写真は、唯一。これを見たから、話したかったのだけど…
2人の祖母もがんになり、亡くなったけれど2人ともお見舞いでは笑顔で、長く患っていたのに、やっぱり苦しむ姿はみていません。
でも、見たらどうだったろう…
見せたらどうだろう…
嫌だな
ても痛いときはうめいちゃうよ。
息子よ、ゴメン。
まだへとへとへろへろなんだけど、新月が近づいたらまた一人旅に出たい!
と思うくらい、
元気出てきたかも