今日もお散歩中に雪がチラチラ❄️
寒さも増してます
雪組『海辺のストルーエンセ』
梅田シアタードラマシティ公演を
観てきました
そういえば
キャトルに寄って
『KAATのポスターはもうないんですか?』
ってお姉さんに聞いたら
『畳一枚分の大きさです』
と案内されました
畳一枚分…
シアタードラマシティは
何回も観劇してるけど
実は観やすいですよね
視界がクリアで意外に舞台が近くて
安心感がすごい
オペラはいるけどどの席でも大丈夫な感じ
あ、KAAT好きですけど
雰囲気とか、音とか、立地も
何かを褒めると何かが下がるという図式ではなく
でも一番観やすいのは大劇場
さて、かなり徒然に。
思いついたまま
感じたまま。
KAATから細かい?けれど
とても変化を感じた観劇でした
始まりの町医者のシーン
ヨハンの歌声が好き
追い出されたあとの
ヨハンの歌声も好き
オープニングの
三人の物語が始まる感じが増してた
ヨハンには
は?好きとか
それどころじゃないよっ!
って言われそうですけど
カロリーネの若い頃が可愛い
衣装もめちゃくちゃ可愛い
クリスチャンの若い頃も
可哀想だけど可愛い
『いや、ちがう、
変えようとしなくていいんだ
新しく私たちの議会をつくればいい!』
完全にニュアンス、間違えてます
突然目が開いたように言うヨハン、
だんだんストルーエンセが
政治を操っていくシーン、
ストルーエンセの高揚感と心酔感が
音楽の流れにピッタリ合って、
まわりの勅令の洋紙の動きだとか
ユリアーネさまたちの動きだとかに
リンクしていて、
全体の作り出す高揚感と
ストルーエンセ先生のちょっと恍惚とした
陶酔した表情と空気感に引っ張られて
とても臨場感が増して感じました
先生以外の方々のセリフも
かなり印象的に
ユリアーネさまの
『貴族の特権がなくなっているではないか…!』
とかね。
『国がどんどん新しくなっていく…!』
ほんとに新しくなっていく感じがして、
ストルーエンセにとってそのことが
正義、善でしかなくて、
その早さに
クリスチャンが追いつけなくて
病んでしまっても、
正しいと信じた道を作ることに夢中で
何も見えなくなっている
ストルーエンセ
私、こういう不思議な空気を作っちゃう
朝美さんの演技が好き
もちろん全員で作っているんだけど
なんていうか
そこに朝美さんの表情とか様子があるから
ふわっと現れてる感じ
そういう空気感というか
ひとつの世界が
ふわっと舞台上に出来ているのを
観るのが好き
KAATでも千秋楽あたりは
それを感じたけど、
ますますパワーアップしていて
my初日付近では
愛の物語という印象がメインだったけれど、
愛の物語でありながらこれも進化してた
ある国の啓蒙主義思想の出来事のひとつ
という側面も強く感じられて、
物語の印象が少し変わり、
というか重層的なものがかなり整理されて
折り重なる要素が
素敵に組み合わされて良き
個人的な愛のかたち
社会的な啓蒙思想の変遷
そして、芝居と人生と史実の関係性
役者たちの役割も
華やかさ楽しさはそのままに
劇中芝居やセリフを通しての暗示が
よりクッキリしてきて、
しかも雪組さんの“お箱”の私が勝手に思ってる
舞台上で自然な
まるで日常を持ってきたような
人々の動き、会話、ざわめき
いろんなことが複数起こりながら
その中で複数の注目すべき演技が
違和感なく、でもちゃんと注目できる
たくさんの人物等が描かれた絵画みたいな
そんな場面
より要点がクリアになっていて
でも全体の雰囲気も塊で押し寄せてくる…
良いなぁって思う
ブラントが計った劇中劇
ブラントの冷たい刺すような視線
ラストの結末への流れと
狼狽えるカロリーネ
青ざめ、押し殺した怒りで
ブラントに詰め寄るストルーエンセ
ここのヨハンの抑えた感情の動き
目が離せない
思いもかけない離反と
怒りと戸惑い
スサンナをはじめとした役者たちの
『♪…決まったセリフと決まった役割…』
を歌いながらの表情が
酒場で会話しているときとは全然違って
ちょっとマリオネットというか
別世界なんですよね
そのあたりが
ずいぶんはっきり伝わってくるようになって
作中の流れ、人物たちと
それを物語る、
外から見ているような表現が
別視点からしっかり浮かんでくる
劇中劇自体も
ヘンリック(一禾あお)の神
ディドリック?(霧乃あさと)の王
スサンナ(白峰ゆり)の姫
の芝居の印象がはっきりしてきて
分かりやすく感じましたKAAT後半からだけど
イェルク(壮海はるま)
ヒルガ(莉奈くるみ)
のダンス、リフトも素敵
一禾さんはクリスチャン憧れの
ドイツのフリードリヒ2世もされていて
なんかあのあたりは楽しい
my初日から
ストルーエンセがひとり
勅令を書くシーンが好きで
大きな布の勅令洋紙に
ストルーエンセがサラサラと書く様子
このセットが好き。
それに
ものを書く朝美さん好きなんですよね
目線とかもだけど
手の動きというかそういうの。
だからこのシーンが好きなんですけど
いつの間にか眼鏡まで掛けちゃってて
SNSでヨハンが眼鏡!って読んで
プログラムで見ていたのもあって
わ〜観たい観たいっっっ
ってなったけど
特別バージョンかもーって思ってたら
ちゃんと眼鏡が普通になってた
冷徹に徹したフラットなヨハン
仕事モードの冷たい
心がない感じ…
ランツァウ伯爵がね、また
だんだん役がより入ってきているというか
含蓄の余韻がよいんです
それを受けての
『…先人のご忠告、痛み入ります。』
もね、よりランツァウが言う通りの
傲慢さも感じる
そこからの芝居がかったセリフ
180度変わった
『…雨雲に隠れていた月よ…!』
ヨハンの絶頂期
そしてそれに続く
カロリーネとのやり取りが
際立つというか。
私的にこの作品は
芝居がかったセリフが
実は難しい作品だなぁと思っていて、
それはセリフ全部がそうなのでなく
むしろ現代的な言葉が多用されているのに
時々文学的な?言葉が挿入されているから
このシーンの
『…貴方を曇らせてしまう』とかもだけど、
『…私は無敵になった気がする』とか
『…愛らしい人だ』とか。
でも朝美ヨハンが言うから
良いんだけどね
いろいろ話は飛びますが、
ストルーエンセは一幕から
my初日から観てきている人物像と
同じでありながら
声音に落ち着きと低音が強くなって
癖のある人物像の表現が顕著に。
チャラ男の外形は保ちつつ
啓蒙主義の医師としての
患者への慈愛が強くなり、
一幕の印象がはっきりして感じました
場面の少し気になっていた流れも
気にならなくなり、
なんか…どうなってるのかわからないけど
ヨハンの気持ちの流れが分かりやすくなった
それはワンシーンじゃなくて
ずっと流れていく表情とかで。
見逃しもなくなったけど、
見逃しても大丈夫になったよね
ヨハンは無意識に心底
王と王妃を、王室を、デンマークを
良く(啓蒙)したいって
思っているんですね
ここからの
二幕のヨハンのソロ
『…すべてが愛しい…』
いつの間にデンマーク自身を
愛してしまったのか。
愛が強いストルーエンセ先生
無意識に博愛主義なヨハン
何故、砂と火から?
歌詞が難解なのだけど
メイドさんも、
ヨハンも、
カロリーネも。
デンマークは寒くて何もないのねきっと。
そして、その上でヨハンの恋が
ほんとうに思いもかけない
運命だったんだなと
より感じる
一幕最後のシーン
my初日から好きなシーン。
ふいのキスのあと
カロリーネとヨハン
どちらもの戸惑いが感じられて、
ヨハンの表情が好き
…好きっていうのは違うけど、
すごく結末を感じる表情
ここも目が離せない
何を思っているのかと目を凝らして観る
言葉にできないけれど
その表情から目が離せない
これは何
何が起こった
あぁ…どういうことなのか
運命
でもその運命の結末は幸せではない
何故
何故今なのか
何故彼女なのか
想像する未来は幸せではないように思う
私が悪いのか、運命に嫌われたのか
…いや…。幸せになれる、きっと。
幸せの中にいるのだから
梅田院で観たら
ヨハン以外も全員変化して
進化していたけど、
カロリーネは
数段演技が馴染んできていて
初日あたりは
イギリス訛りを表しているんだろうに
言い回しが下手なようにも感じられて
ちょっと可哀想だなって感じでいたのが
しっかり訛りだとわかるように。
それに特に歌声が良くなって
本来の音彩さんの声が聴けて
嬉しくなりましたKAAT後半からだけど
そのせいで
歌から受け取るカロリーネの気持ちも
よく分かって
はじめにストルーエンセ先生の
治療?を受ける海辺での
故郷イギリスへの想い
幼い頃の未来への憧れ
憧れの前王妃ルイーセ(美影くらら)と
心に影をひく叔母
ゾフィア・ドロテア(白峰ゆり)
への想いがよく伝わってきました
このシーンがより美しく感じて
下手から観たとき
左奥ルイーセ、右中央ドロテア、
手前カロリーネで
ドロテアとカロリーネの間を
水色の短いドレスで軽やかに踊るテレーサ
その時ヨハンが上手奥中央に居て
最奥を横切るユリアーネを
見つめているんですが、
カロリーネの心の中に
ヨハンが入り込んで
見ているんだなと感じて
舞台全体のその空気が素敵でした
それと同時に
ユリアーネの孤独が際立って
それを見ているヨハンの
自分の後ろを振り返るような眼差しと
ラストのユリアーネの言葉
『私にはベルンストッフの気持ちがわからない…』
が悲しく響きます
そして、クリスチャン
めちゃくちゃで
有り余る力が暴発しているクリスチャン
まわりのヨハンや劇団員とのやり取りや
ダンスを使った表現を多用して
my初日からとてもハマって
歌も似合って感じていましたが、
初めの登場での酔っ払いダンス
実はすごいよね
酔っ払らっててぶっ倒れてから
自ら倒れたところから起き上がる振りとか
何気にびっくりしました
すごいのはそこじゃないかもだけど
ダンス素人なので、変なとこにびっくりしてるかも。
で、それは良いけど
梅田院ではそれ以外がかなり変化
ちょっと傍若無人さはダウンしてたかな
そこは勢い余るようなKAATの方が
自然だったけれど
王らしい落ち着きが加わり
一面のみだったクリスチャンに
翳りや考えの厚みが
加わったように感じました
全体的にそうだけど、
特にヨハン、ブラントとのやり取りで
カロリーネが投げ捨てた哲学書を
ヨハンが拾い上げた時のセリフ、
KAATでは
その前にカロリーネに
『…!しんっきくさいんだよっっっ』
っていう時と同じだったのが、
クリスチャンのカロリーネへの
苛立ちや反発が違う方向から感じられて
その時のブラントのセリフも
しっくりくるなと思いました
KAATの感じでも
別に悪くはなかったんですけど…。
それだけじゃなく
ラストもね。
ヨハンの
『…なんかいも言わせんなよっっ…!』がね
なんかすごく響いてきました
この場面、
もちろん話の流れの中の
ヨハンがカロリーネ、ブラントを思い
クリスチャンに思い切らせるため
というのはわかるんです
ずっとそれはmy初日から。
ヨハンの優しさとか
それをうける3人の心の動きとか。
でもなんか
もう一つが見えてきそうなんですよね
芝居がかった
『…愚かな王に、愚かな王妃…!愚かなデンマークの国民…!すべて、愛してなんかいなかったっ!!』
クリスチャンの
『…ほんとうに、芝居が下手だな…』
意味じゃなくて
シーンというか…
そこに挟まる(芝居がかった)
息が止まりそうになる決闘と
ヨハンの死
呼吸音…『なんて綺麗なんだ…』
今でも充分良い場面ですけれどね
あ、『綺麗』のセリフのあと
絶命までの様子のあと、
ヨハンが倒れたところがね
また絵になっていてガン見…
カロリーネが低めの姿勢で
サッと駆け寄る様子
美しいです
そしてヨハンが引きずられる
全体のスローモーションのシーン
ここのスローモーションも
なんだか精度が上がってるのか
目に焼きつくように思いました
作品全体を通してたびたび出てくる
ストップモーションの様子とかもですが。
いろんな人たちが
事後処理などについて
クリスチャンに報告していくシーン
それぞれの内容も
印象がはっきりしましたよね
そしてラストのヨハン
恋人たちの影と
両側にはけていく
カロリーネとクリスチャン
ヨハンがクリスチャンに
初めて会ったあと、
ブラントに連れられて
下手にはけていくシーン
この時に『近いっ!』とか
アドリブ入るのが楽しいけど
上手?の向こうに気を取られたように
見ているヨハン
何に気を取られたのか
あ、ラストとは関係ないです
今ふと思いだした。
ラストは何を思うのかな。
クリスチャンの言った
『何ものにもなれなかったけれど、得たものもあった』?
それとも一幕ラストの気持ちを反復?
『何故カロリーネはダメなんだっ…!』
『むしろ、お前だヨハン。』
そう、ブラントもすごく印象が鮮やかに。
歌声とかは
KAATも後半になるにつれて
より良くなってましたけど、
ひとつひとつの場面での印象が
濃くなりました
あと、私の記憶違い
ファナーレでも勘違いが多数…
日和さんと組んでいるのは
涼花さんですね
だんだん取り留めなくなってしまいました
すべて書いているセリフなどは
ニュアンス&妄想です
わ、わ…妄想酷い。
って思われそうだけど、
感じたままに。