雪組『海辺のストルーエンセ』②(2023KAAT)  【何ものかになる】 | ラピュタをさがして

ラピュタをさがして

宝塚のこと。
気ままに。
自由に。

この週末も

あまりお天気が良くないと聞いて

心配だったのですが

移動中の電車には

日が差し込んできています晴れ

あ、でも夕方からは雨が降り出しました傘


今日は花組東京公演初日ですね

おめでとうございます流れ星



そして、電子版LEE3月号イルカキラキラ

読みました〜おねがいグリーンハーツ

やっぱり電子版慣れなくて

使い勝手がよくわからないけれど

ことばの力 雪組 朝美絢さん


『ストルーエンセ先生が仰るには、健全な精神は健全な肉体に宿るっ』

を思い出しますねウインク音符



そういえば

作品中のテニスのシーンが楽しいですテニス

サーブにレシーブ

バックハンドとか…

フォームとか練習されるだろうし

当然なんでしょうけれど、

皆さまフォームがちゃんとキマっててびっくり

普通にテニスしそうで🎾

なんか楽しい笑い


ユリアーネさまは

運動音痴設定なんですね笑

『うっ…もう、どうにでもなれっっ!!

とサーブを打たれて

スカーンと抜かれる様子とか笑い


アドリブ入る

ウォーミングアップシーンも笑ううさぎ

自転車漕ぎに、腹筋に…ヨガに…

またまた見慣れているんだけど

皆さま身体軽いっランニング笑い



さて…またびっくりマーク

うだうだ徒然なるままに。

文句ぶつぶつでもありますが

いつものことながら

どうしたらよいとかでなく

観て感じるだけですアセアセ

どの口がってなりそうだけど

この作品とても好きですハートのバルーン




『ふたりともまだ子どもだ』


ブラントに言うように、

でもたぶん自分に確認するように

独り言のように

そう言ったあと

舞台奥海の方へ去るストルーエンセ


my初回観劇した時に

暗転間際にヨハンが

振り返って見せる表情を

観ることができなくて、

次は必ず落ち着いて見ようと思ったのに

見るには見たけど

間際に大慌てでオペラをあげるっあせるあせる

っていうね!!!

一階のある程度オペラなしで観られる席は

裸眼で視線を移すだけなので

気を張って構えてなくても

なんとか間に合うけれど…

なんとなく構成が微妙だと思うのうーん


上手でのクリスチャンたちの

会話による物語の動きを

必然的に観ている観客の

物語を追いかける流れと、

そのあとのヨハンの心のあらわれの場面の

つなぎが悪いというか…

大切な場面を見落とすことになるんだよね。

演技の問題というか

少し前から続く会話を観ているのに

途中で別の空間に

目を移す人はいないですよね

その注目させる時間配分が微妙なんです


あの表情って

物語上、大切だと思うんです。

表情を見落とすと


『ふたりともまだ子どもだ』


は、ただ文面どおりの意味なだけしか

感じられない

ただのその場のヨハンの感想でしかない。

でも、この時

この言葉を言いながら

ストルーエンセは

野心を実行する決意というか、

気の迷いを掴んだというか、

よくある悪い言い方をすれば

悪魔の囁きに気づいたというか…

ではないのかな。はてなマーク

まぁもう少し清らかで

古く凝り固まった王室、

デンマーク王国を

変えられるかもしれないという

啓蒙的な気持ちとも言えるけれど。


そのヨハンの気持ちの動きを

観客にしっかり見せつけないと

ほとんどの場面で仮面を被った

仲間であり先生である

ストルーエンセ先生なのだから

ヨハンの本心が

ちょっとキレイなままというか

あっさりしているように見えるんです

野心は感じられるんですけどね

別にキレイならキレイでも良い…けど

でも物語的には

当初のヨハンの野心は

決定的な方がよいですよねはてなマーク


カロリーネがラストあたりで

『王妃になんかならなければ良かった』

と言った時に

ストルーエンセが必死で否定しながら

悲しみ後悔するんですけど

自分の野心と気の迷いを

後悔したのでしょうか。

my初回などは

ここは特にわかりにくかったのですが、

前述の表情を観れなかったせいも大きい

ヨハンが野心を実現するために

(中身が)子どもであった

王と王妃を啓蒙しているつもりもあった

という前提を強く感じていれば

なんとなくわかるというか。


ストルーエンセの気の迷い

つい手を伸ばしてしまったために

まさかの青天の霹靂

愛に囚われて

足元まで掬われるなんて…

愛を知る前なら

王妃の言葉にもまた

『ふんっ、やっぱりまだ子どもだっDASH!』って

思っていたかな


何ものかになろうとしなければ

良かった

だけど

何ものかになろうとしなかったら

カロリーネに興味も持たなかったし

フォレルスケットも

感じることがなかった

そして、もともと

何ものか(王妃)であったカロリーネに

何ものかであることを

後悔させることもなかった



いろいろ書いているけれど、

実は『何ものかになる』っていう

この物語の肝になる言葉が

あんまりピンとこないんですニコあせる

言葉としてですが…。

観劇で感じたことからすると

『自分の理想像になる』

『世に名をなす』

『理想を実現する』

といった感じでしょうか。


単なる言葉のあやだけど

世界中の人、ひとりひとりが

『何ものか』ではあるっていうか…。

私の感覚ですけど。

どちらかと言うと

最後にクリスチャンが

大切なふたりを失って

『何ものであるかわからなくなった』

って言うなら何となくわかるけど…

という感じ個人的な感覚です



ソフィの

『今は、何ものにもなれるわ』

はわかるし

ニュアンスはわかるんだけどにっこりあせる




こんな感じで徒然に…花