藤井浩行の「よりよく生きる力を育む」ブログ -4ページ目

藤井浩行の「よりよく生きる力を育む」ブログ

※「夢サポートクラブ」からタイトルを変更しました(2011年11月20日) 
※「『貢献する力」を生きる』藤井浩行のブログ」からタイトル変更をしました(2019年6月30日)

数か月に一度、予定が無い日などに、まったくふとんから出たくない時があります。
身体が疲れていたり、心が疲れていたりするのでしょう。
そのような時、以前は「これではいけない。起き上がって何か活動しなければ、、、」と自分をムチ打っていたように思います。(もちろん勤め人の立場の時は、簡単に当日に欠勤などできなかったので)
そのような状態の自分を怠け者、弱い者として許せなかったのだと思います。

今は自然に任せます。二度寝、三度寝する時もあります。
自分を責めることはしません。
「今日は何もしない休養日」と割り切ります。

これはものごとに囚われない「完了」の状態です。
「完了」せずに休んでもあまり効果的ではないと思います。
また無理をして活動しても生産性は低いでしょう。
それであれば「今日は休養日」と完了して、十分に英気を養うことが次の行動の効果性や生産性を上げるでしょう。

「完了」とは「自分にOKを出す」「自分を赦す」ということでもあるように思います。
僕の師匠である鈴木博氏は「完了こそ人生のマスター」と言います。
その言葉はよく理解できるようになってきました。

今を「完了」し「次の一歩」を踏み出して未来を創造し続けることが大切なのだと思います。

「何もしない日」があってもいいじゃないか♪
 

「空即是色」は般若心経の一節です。
「色即是空 空即是色」と続きます。
「色」は主に物質世界を言うようです。
般若心経においては、物質世界を含む「色」の世界では、物事に固定的・絶対的なものはなく常に変化していると言います。
つまり「諸行無常」のことであり「空」の世界ですね。
そのような世界だから物事に執着するなという訳です。
執着が不満を産み悩みや苦しみにつながっていくと言うのです。

「無」と「空」とは違うようです。
「無」は文字通り何も存在しないということですが「空」はそうではないようです。
それでは「空」の世界には何があるのでしょうか。
僕はそれをすべての「色」を起こす「可能性」だと解釈しています。
今どんな状況(現象)があったとしても、それを望むカタチに変えることができる可能性は常にあるということです。

物理学では物質をすべて取り除いて真空をつくることがあります。
ところがその物質が無いと考えられている空間では常識では考えられないようなことが起きているらしいと言うのです。
それはごく短い時間で、素粒子があらわれたり消えたりしているということです。
つまり何も無いはずの所で物質が生まれたり消えたりしているのです。
また私たちの意識が素粒子のふるまいに影響を与えているということが物理学的に証明されています。
もしかすると私たちは無から有を創り出す力を持っているのかもしれません。
これは「可能性」のことではないでしょうか。

ところで僕はずいぶんと嫉妬深い人間です。
これは幼少期のに身に着けた性格、クセのようです。
いろいろと学んで来てだいぶ小さくなったのですが、それでも今も時々その存在を感じる時があります。
例えば素晴らしい結果を創った人の話を聞いてうらやましく思って嫉妬したりするわけです。
そのような時はとても「幸せ」とは言えない状態にあります。
この時「人の話」を僕は刺激として受け取り反応しているわけです。
でも同じ話を聞いても反応しない人もいます。
(どんな時でも人は反応していますがここで言う反応とは特に「強い」反応のことです)
だから反応は自分が創っていると言えます。
つまり自分で自分を「幸せでない状態」「不幸な状態」にしているのです。
これほど馬鹿げたことはありません。
嫉妬することで自分が幸せになるなら、嫉妬する甲斐もあるのですが。

「空」の世界には無限の「可能性」があると考えています。
「色」の物質世界と表裏をなす世界です。
そしてその「可能性」とは、「色」の世界のものごとをどのように捉えるかという「意識の自由さ」のことでもあるように思います。
「意識」「ものごとの捉え方」は自分の意思でコントロールできそうです。
「色」の世界で起こる事を、どのように捉えるかは自分の自由です。
そうであれば自分にとって「幸せ」な捉え方を訓練して身に着けていくことが大切ですね。

般若心経の中には「照見五蘊皆空」(しょうけんごうんかいくう)という一節もあります。
五蘊とは色・受・想・行・識(しき・じゅ・そう・ぎょう・しき)のことを言います。
色は物質のこと、受・想・行・識は精神作用のことを言っています。
そして、物質だけでなく精神作用もすべて「空」だというわけです。
このことを僕は、精神作用には自由で無限の可能性があるのだから、自分が幸せになるように物事を捉えたらいいよと理解しています。

心理学や宗教・スピリチュアルの世界では「赦す(許す)」ことの大切さについて語られることがあります。
「こだわり」や「執着」から解放されることにより「自由」(選択の自由)が得られるということなのだと思います。

「自分自身」を赦し、自分の人間関係の原点となっている「父母」を赦すことで、仕事やプライベートにおいて「成功」や「幸せ」をつかむことができるようです。
これは自分自身の経験や成功している人の話を聴くことで、僕の確信となっていることです。

「赦す(許す)」ことが何故、「成功」や「幸せ」につながるのでしょうか。
僕は次のように考えています。
「赦していない状態」=自己の価値観(偏見や迷信など含む)にがんじがらめになっていて、他の可能性が見えていない状態。(
つまり「不自由」な状態)
いつも同じように考え、同じように行動し、同じような結果を繰り返している状態。
そして「赦し(許し)」=「本来の姿はそうではない」と信じている状態。例えば「意地悪なヤツ」という存在があったとします。
「赦せない状態」では、その人は「意地悪なヤツ」以外の可能性はありません。
ところが「赦す(許す)」ということは「意地悪なヤツ」以外の部分を期待し信じているから出来るわけです。
ふつうは「意地悪なヤツ」以外の部分を発見して「あ~そうか」と納得できるような証拠を見つけてから「赦す(許す)」のかもしれません。
可能性の証拠発見→赦す(許す)
しかし「意地悪なヤツ」というフレーム(フィルター)がある限り、それ以外の部分は見えてこないことが多いようです。
だから「先に赦してしまう」ことが大切なのです。
赦す(許す)→フレームからの解放(自由)→可能性の発見

これによりものごとの関係性や関連性に変化が起き、これまでとは違った結果が起き始めるわけです。
もちろんポジティブな変化ですから、ポジティブな結果につながっていくのです。

僕はどんな人にも人間としての良心というか美点というか、そういったものがあると信じています。(信じるようにトレーニングしています)
人にはエゴがあります。そのエゴは煩悩を生みます。それが悪いということではなく、それが人間としての当たり前の状態です。
「意地悪なヤツ」は、その人のエゴが育ってくる過程で身に着けたものです。
その人の顕在意識には「意地悪なヤツ」を構成する条件や材料がたくさんあるのでしょう。
だから普段の言動は「意地悪なヤツ」にふさわしいものになっているのです。
しかしその人の潜在意識には、本人も気づいていない人間としての本質があると思います。
スピリチュアル的な表現を使うと「魂」とか「ハイヤーセルフ」という部分かもしれません。
それはきっとエゴとは無縁の人間の本質的な美しさや価値を持っていると思います。
ちょっとスケールが大きくなりますが、人間を構成する物質、意識、生命が「宇宙の意思」が創り出したものだとしたら、それは「自然」で「素晴らしいもの」「善」であると思います。(そうでなかったらこの世は何のためにあるのでしょうか)

なので顕在的にはどうしようもない人に見える人でも、潜在的には人としての美しさ、すばらしさを持った人なのです。
とは言っても、それを信じることはなかなかできません。
だからトレーニングが必要なのです。

それを根拠に「赦す(許す)」のです。
赦すことで、そこを原点としてポジティブな「新しい可能性」が拡がっていきます。
それが「成功」や「幸せ」につながっていくことでしょう。

また自分自身を「赦す(許す)」ことも重要です。
これは自分自身を「全肯定」するということです。
自分の無限の素晴らしさ、可能性を受け入れるということです。
これもトレーニングの要る事です。

毎日の生活の中で、自分自身を愛してあげてください。
あなたは素晴らしい存在なのです。
 

定期的な社員研修を、僕が担当している企業さんがあります。
「お客様本位」を「在り方」から探究するものです。
1週間ほど前にもその研修があり、そのメンバーの中に今年新卒で入社したYさんがいました。

その時に知ったのですが、Yさんは仕事のストレスからメンタルを崩し、1か月前から休職中とのことでした。しかも現在は九州の実家で療養中だというのです。(会社は東京にあります)
そんな中で、なぜこの研修に参加しているのだろうと興味を持った僕は、休憩時間にYさんに訊いてみました。
「Yさんは、どうして今日、この研修に参加しているの?」
するとすぐに次のような回答が返ってきました。
「会社のみんなに会いたかったからです」
彼によると会社のメンバーと話をするとカウンセリングを受けているようだと言います。
「会社の人たちは、母親や病院の先生と同じくらい自分の事を大切にしてくれるんです」
と言うのです。

僕はこの企業をここ15年近く、そばで見てきました。
その期間(特にこの10年で)で、この企業では理念が明確になり、共通言語としての「源の在り方」を社内に浸透し「お客様価値の向上」を追求し続けてきました。
もちろん最初の頃に比べて業績も伸び、東北大震災、コロナ禍といった試練も乗り越えてきました。
そのようなプロセスを見て来た僕は、Yさんの話を聴いて心から「本当に良い会社になったなぁ」と感じました。
感心するとともに大きな感動が湧いてきました。

代表者のK氏はまだ40歳前半でですが、職場を単に「生活の糧を得る場」ではなく「社員の人生が輝く場」と捉えて、しっかりとした会社経営をしている人です。
その在り方は、この10年ほどブレたことがありません。
歳は僕よりだいぶ若いですが、僕の尊敬する経営者の一人です。

だからこそYさんが、どこよりも安心して居れる場としての企業風土、組織土壌が創られたのだと思います。
しかし、だからと言って「甘い会社」ではありません。
3か月ごとに査定があり、成長の度合いがチェックされます。
当然給与にも反映します。
ですから会議などではコミットと実績とのギャップについて、するどいフィードバックもあります。
ただ一見厳しいフィードバックでも、その根底には愛があり最終的な選択は本人がするという了解があるので、受け取る側としても受け取りやすいのです。
そして論点は「お客様本位」「お客様満足の追求」がベースにあるので、個人批判になることはありません。

もちろんこのような組織土壌を創る意図をもって、これまで活動をしてきたわけですが尊敬できるのは「やり続けて来た」ということです。

組織土壌づくり、企業風土づくりに取り組む経営者はたくさんいます。
しかし多くの経営者は、3年4年するとあきらめてしまうことが多いようです。
その原因には「効果が見えずらい」ということがあります。
意図した風土や土壌ができるには時間がかかるのです。
だからこそ経営者には「信念」「覚悟」が必要なのです。

僕が知っている優秀な企業さんには共通点があります。
それは従業員の皆さんが会社や職場を好いていて「職場大好き!」ということです。
そこに自分の居場所がしっかりとあるし、そのような環境を企業が創っているということなのです。

このような素敵な企業さんと関わらせてもらっている自分はつくづく幸せだなぁと思います。

自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。


・・・これは、松下幸之助さんの「道」という詩の冒頭の文章です。
松下幸之助さんは現在のパナソニックの創業者です。
そして僕の尊敬する方です。

先日、ある経営者の方々の勉強会に参加したところ、配布された資料の中にこの詩の一部が紹介されていました。
この詩は偉大な松下さんが創ったものにふさわしく、気高く高い志が伝わってきます。
この詩の全編を読むと内容があまりに立派なので、僕には近寄りがたい感じがします。
しかし幸之助さんが言いたいのは「どんな人生でもいいから自分らしく生きたらいい」という事なのかもしれません。

「どんな状態であっても人生には価値がある」と、心理療法家のヴィクトール・フランクルは言っています。

・「創造価値」(何かを創り出すことで満たされる価値)

・「体験価値」(何かを体験することで満たされる価値)

・「態度価値」(自身のとる態度によって満たされる価値)

そしてその人だけの一回きりの人生だから価値があり素晴らしいのだと言っています。
これは自分自身と人生の全肯定です。

幸之助さんが「道」で伝えたいのは、そういうことかもしれないなぁとも思えます。
「鼓舞」しているようにも感じられるし「そのままでいいよ」と許しをもらえている感じもします。

自分自身を最終的に評価できるのは自分だけです。
他の人が評価したり価値を決めたりすることはできません。

自分自身を愛し、信頼し、慈しむことが大切です。