今日 見ていて悲しく、しかも人間の本音みたいなものを感じてしまった。
それは
茨城県つくば市の福島からの人達に対してとった行動である。
私としては
心情としては 受け入れる方向でいるのはわかるが、そのもっと奥深いところの「本音」をつくば市の行動で感じた。
たしかに つくば市のとった行動はわかる気がする。眼に見えないもの、あまり身近に感じない「放射能」に対する恐怖、など不安があるがゆえの事なんだろう。
でも、でも、ですね、本当に どうしようもなく、故郷をあとにせざるをえない、離れなければいけない、という苦渋の決断をしてやっとたどり着いた土地で「そんなこと」をされたり、言われたりしたら その人達はどんな気持ちになるんでしょうか?
聞くところによると、つくば市は「ひらかれた町、市」らしいのですが、何に対して「ひらかれた」町なんでしょうか?自分達にとって都合のいい人達に対して、なんでしょうか?
受け入れる側の不安になる面もわかります。でも、色んな事をひっくるめても今回のつくば市のとった行動は「行政」としては 如何なものか、と思います。
私の友人も住んでいますが、友人曰く、「お金のある人達には住みやすいし、ない人達には最近色んな料金が上がってきたから住みにくいかも・・・」と言っていました。
色んな事があるのはわかりますが、一応「被災地」の県なんですから まともな行政で、対応してほしいです。
今日は 雨一時雷、
そんな 天気を ぼーっと、見てました。
本当なら やるべきことは 山積み、なのにです。
何もやる気がでないまま 今に至る、そんな 感じです。

毎日、地震に怯え、ニュースを見ては・・・しんどい です。
気を緩めたらなんか危なそうで・・・
いつも 気を張り詰めていた、そんな時の雨・雷、なんかふっと、気が緩んで・・・

あぁ、いつまで こんな感じで 過ごすんだろう?

ニュースでは
消費税増税などこれから先、見通しが不安になる話しばかり。

この「日本」という国は本当にどうなるんだろ?
本当に 住みにくい国だなぁ、と感じた瞬間でした。
今日も 孫さんのツイッターを見て新たな発見をしました。
何やら我が国の放射能の検査の仕方が諸外国のやり方、世界基準ではないらしい・・・
とのこと。(簡単に言えば。)

どうして、改ざんして、ごまかして、大事な情報を政治家「先生」や官僚「様」達は発表するのだろう?
昔からあったとはいえ、今はこの国の存続や未来がかかった分かれ目の時にしっかりとした情報を開示しないのは如何なものか。
「全て」を包み隠さず、とは言わないが、(混乱させないためにも)ある程度の「本当の事」は隠さないで、ごまかさないでほしい。今現在の東海村の原発の情報や鹿嶋?の火力発電所の増設やネット規制法案、などなど・・・
どさくさまぎれに 色んなことが水面下でどんどんながされていく。(あまり、いいとはいえない方向に)

今の政府は 僕だけではなく、まわりにいる人達がほとんど思っているが 「最低、最悪」である。
いっこうに 国民のためには進まず、先生方のために毎日頑張っているようにしかうつらない。
議員数削減、酒税見直し、など・・・どこへいったのやら。

消費税は上がるのは確実だが、その前にやることはたくさんあるだろう。
議員の数がへれば、自ずとお金は浮くし、よしんば、今の数でいくなら 議員先生の毎月の支給額から一人20万円くらいでも復興費用にあてたら少ない額だが1年間でみれば少しはまとまった額になるんじゃないか?(しかもふるさと納税にしたらいいと思う)
自分達の身銭は切らずにまず国民の身銭を切らせるなんて なんか順番が違うんじゃないかなぁ?
これでは大半の消費が冷え込むし、景気なんてよくなるはずないじゃん。

賛否両論はあるとは思うが、実際に「現地」で、「被災地」で踏ん張っている人を知っているだけに書きました。
もっと 本気でやってほしいですね。
「先生」方・・・
今 また 地震がありましたね。
なんか 昨日お昼、夜遅く、に違う地域でありました。
範囲が広がった?のかなぁ?
ここ2、3日は感じなかったのに、また・・・って感じです。

精神的に嫌ですね。
今 尊敬している孫さんのツイッターを見て思いましたが、
私は確かに孫さんを尊敬していますが、反対の気持ちも持っています。
人間、だれしも完全な人はいないし、その人に対して賛否両論があっていいと思います。非難するだけ、または尊敬するだけ、は簡単な事ですが(特に日本は匿名性が高いので)、そのどちらの意見も理解し、自分の中で昇華し、物事をとらえていく眼が必要だと感じたので少しブログに記してみました。

私自身、そんな「眼」はまだまだ持ち合わせていないので身につけたいな、と思っています。

孫 正義氏 みたいな
何事にも「突出、目立つ」人は非難されやすいと思います。
一般社会でもそれはたくさんあると思います。
それだけ
人、個人、を
受け入れる、認める、ということは
なかなか容易ではないんだな、とあらためて思い勉強させてもらった瞬間でした。