〜“怖い”の奥に、信じてる証〜
休日。
家族でおもちゃ屋さんに行った帰り道🧸🎈
「これ買って〜!」と主張する子供と、
「今日は買わないよ」と言うパパで、
小さなバトルが勃発⚡️💦
お店を出ても納得できない子供は、
駐車場でグズグズ。
車に乗らず、腕を組んで、じっと動かない🚗💭
パパもイライラ。
車内にピリピリした空気がたまっていく。
私は少し離れて見ていたけど、
「そろそろ行かないと」と思って、静かに近づいた。
すると――
それまで全身で抵抗していた子供が、
私の顔を見た瞬間、何も言わず、すっと車に乗った。
びっくりした。
え、なんで?
私が来ただけで?
その後、子供は言った。
「ママが来たから、怖くて車🚗に乗った。」
ああ、そうか。
やっぱりそうか。
ちょっとだけ期待してた自分もいたのかな。
「安心して乗ったのかも」って。
でも、どこかで予想してた言葉でもあった。
“怖い”って、ほんとうに恐怖だけ?
「怒られる」とか、「叩かれる」とか、そういう怖さ?
たぶん違う。
きっとこの子の中では、
🟡「ママが来た=もうごまかせない」
🟡「ここで気持ちを切り替えよう」
🟡「本気の相手が来たから、進むときだ」
そんな、**けじめとか区切りの“怖さ”**だったのかもしれない。
それってある意味、
**「信じてるから効く怖さ」**だったのかもしれない。
だから私は、伝えた。
「怖くても、ちゃんと乗れたの、えらかったね」って。
🌿ゆることば🌿
“怖い”の奥に、
ちゃんと信じてる気持ちがあった。
だから動けた。だから届いた。
🧸その翌日
次の日、私はもう一度、そっと聞いてみた。
「ねえ、昨日、どうして乗ったの?」
「ほんとうに怖かったの?」って。
子供は少し照れくさそうに、
でも小さな声でこう言った。
「うん。ちょっとだけ……でもママが来たから、大丈夫って思った。」
その言葉に、私はじんわり、胸があたたかくなった。
“怖さ”と“安心”は、きっと紙一重。
どちらも本気で向き合ってる証拠なんだと思う。
🌿ゆることば(しめのことば)🌿
こわいって感じながらも、
「ママが来たから大丈夫」って思えたなら。
それはきっと、やさしい信頼。
「今日も、ゆるっといい一日になりますように。( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )☕💛」





