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文筆家hideの徒然ブログ

文筆家、そして経営学の大学教員として活動するhideが、日々の雑感を徒然なるままに綴る。
日々の取材のこと、出会った人々、世相・ライフスタイル、音楽、美術、読書、歴史、旅、そしてグルメなど。

昨日、主治医のところに、

先日の「胃がん大腸がん検診+特定健診結果」を訊きに行った走る人DASH!

 

結論的には、

1年前から続けているダイエットで、安定的に8キログラム減量したことが幸いして、

様々な検査データが、ここ数年の中で、最良の数値になっているというウシシ

 

メタボでもないし、糖尿でもないし、肺もキレイ、心臓の機能も良好!!

もちろん、胃がん・大腸がん検診の結果も、「問題なし」照れ

 

特に胃については、伸縮度合い、柔軟性において「ギャル曽根さん並み

と太鼓判を押してくださったので、

「じゃあ、私も大食いにチャレンジしてもよいですかはてなマーク」と

訊ねたところ、「絶対にダメ」と言われたポーンダウン

 

それにしても、

やはり、心身に負担をかけない方法で行うダイエットというのは、

身体に良いのだあ・・・と実感目

 

ちなみに、私の主治医が勧めてくれたダイエット法というのが、

何と、タレントのパパイヤ鈴木さんの本に書かれていた方法ガーン

 

私の主治医は、ある病院の院長先生なのだけれど、

”医師の権威”をふりかざして素人の言うことを鼻で嗤うタイプの人ではなく、

誰の発言にも耳を傾け、その上で「良い」と思ったものは受け入れ、

自分で試した上で、自分の患者さんにも勧める

という、お医者さんには珍しいタイプだ合格

 

今回の結果を踏まえて、パパイヤ鈴木さん流ダイエットは

今後も継続する一方、

念のために、大腸の内視鏡検査もやっておくことに決めたウシシ

 

主治医のお知り合いの「名医」を教えてもらい、近々、実施することにビックリマーク

 

なにせ、私の父親が、大腸がんの肝臓転移で死んでいるので、

便潜血の検査だけでは調べきれないところを、

内視鏡で調べておいた方が、より安心だ

という判断にもとづいている。

 

もし、内視鏡検査で問題がなければ、

向こう5年間は安心

なのだそうだニコニコ

 

大腸の内視鏡検査というのは、

かなりハードというか、肉体的な負担が重いようで

私には気が重いのだけれども、

まさに七転八倒、のたうち回って悶え死んだ父親のことを思えば、

早いうちに検査しておいた方がよいのは確かだドンッ

 

「命あっての物種」なので、

やれることは、面倒がらず、

やるようにしないとねニヒヒ

 

 

 

リオ五輪観戦記②を書こうと思っているうちに、
あっという間に終わってしまい、書く機会を逃してしまったヽ(;´Д`)ノあせる


今回の五輪では
広く生活者の間で、五輪を話題にし、あるいはテレビ観戦する
という、昭和の頃を彷彿させる光景が甦ったことが、
各方面で注目された目


経済の停滞は、過去最長と言って良い四半世紀の長きにわたり、
それと共に、日本の国際的プレゼンスは低下し続け、
国民全体が、自信喪失状態に陥っている中、

日本選手団が過去最多のメダルを獲得したことは、一筋の光明になっている
ということかもしれない合格


1964年の東京五輪の時が、まさにそうした状況だったことが思い出される。

敗戦の打撃から徐々に立ち直りつつあったとはいえ、
精神的には完全な自信喪失状態にあった1950~60年代初期の日本では、
「怪傑ハリマオ」「月光仮面」「少年ジェット」などのテレビ番組がヒットし、
特別な能力や使命感を持った正義のヒーローが悪党(主に国籍不明の外国人たち)を
やっつけるというストーリーが多くの国民に支持された。

あるいは、力道山が欧米の白人レスラーを叩きのめすプロレス番組が絶大な人気を誇ったものだ。
新宿駅西口広場に設置されたたった2台のテレビで、その試合を見るために、驚くべきことに1万2千人もの群衆が殺到した記録も残っている(下記写真、Wikipedia)。




そうした時代背景の中で行われた1964年の東京五輪では、
日本女子バレーボールチームが「東洋の魔女」と称される活躍を見せ優勝したのをはじめ、
各種目で大活躍したことが、日本人の士気を大いに高めることになった。

以降、テレビの人気番組にも明確な変化が現れる。

それまでのヒーロー物に代わって、いわゆる「スポーツ根性物」が大人気を博すようになり、
「サインはV」など、今なお語り継がれるようなヒット番組が続出した。

もはや、架空の正義のヒーローではなく、自分自身が当事者になって、様々な願い・夢を実現することができるという段階に移行したのである。
要するに、国民ひとりひとりの「マインド」が明確にシフトしたということだ。

そうした「マインド・シフト」と併行して、日本経済は飛躍的に発展し、あっという間に、自由主義陣営において米国に次ぐ経済力を有する「大国」になってしまった。


2012年のロンドン五輪もまた、
それまで保守的だった英国民に「マインド・シフト」を起し、
以降、英国では、政治・外交、経済・産業など諸側面で、
革新的な取組みが相次いでいる。
事の是非はともかくとして、「EU離脱」もそうした動きのひとつだ。


バブル経済崩壊以降、25年にもわたって、やることなすことうまく行かず、
経済の低迷が続き、軍事・外交面では、中国の脅威に晒されている現代日本にあっては、
2020年の東京五輪だけが、国際的に再浮揚する「最後の頼みの綱」になっている。

五輪効果を否定する人々も多く、建設業者と、一部のホテル観光業者が潤うだけで、
五輪が終われば、経済はさらに悪化すると主張する。

しかし、何よりも重要なことは、上記のような「マインド・シフト」を起こすことだ。

一時的に誰が儲かるとか儲からないとかいう話ではなく、国民一人一人が、また自ら当事者になって、世の中をよくしていこうと決意し、自ら動くようになることが肝要だ。

昨今の言論を見ていても、「政府が悪い」「政治家が悪い」と、常に「お上」に全責任を転嫁する人が目につくが、これでは世の中はよくなる訳もなく、それが日本の停滞の要因になっているとも言える。

では、上記のような「マインド・シフト」を起こすには、
どうすればよいのか?

もっともシンプルな方法は、
東京五輪2020において、多種多様な競技種目で、
日本選手が「想定外」の活躍を見せることだクラッカー

絶対王者が期待通りに勝つだけではなく、
今回のリオ五輪でもあったように、
思いもかけなかったような種目で思いもかけなかったような選手が
勝つ「ドラマ」が、次々に起こることだろうドンッ

それが、すべての「基本」だと思う。

リオ五輪閉会式で見せたような日本らしいポップカルチャーを駆使した演出は
世界に向けては非常に有効だが、国内向けには、日本人選手の活躍がもっとも効果的であることは
間違いないチョキ


リオ五輪が終わったからと言って、スポーツ全般への関心を薄くすることなく、
どうすれば、そのための支援ができるだろうかと、自分なりの方法を考え、
小さな力でも、実行に移すことが、4年後に大きな成果となった現れるのかもしれないニコニコ


おそらくは、むこう数十年、もう日本に夏の五輪が来ることはないのだから、
多くの人にとっては、人生(最初で)最後の五輪体験となる訳で、
そうであるならば、せっかくの機会を活かし、日本の再浮揚の契機となるよう
したいものである。









仕事を終えて、新宿駅で京王線に乗ろうとしたら、
ぎゅうぎゅう詰めの大混雑( ̄□ ̄;)!!DASH!


一体全体どうなっているのだろうと思ったら、
なんと、調布市花火大会に向かうお客さんたちだという。


吉祥寺から調布に転居して9年にもなるのに、
地元の花火大会に都心からお客さんが殺到するなんて、
全然知らなかったにひひ


私は一度も行ったことがない叫び
死んだ母が、戦時中の空襲を思い出すと言って、嫌っていたこともあり、
連れていってやることもなかったドンッ


今、盛大に打ち上げる音が聞こえてくるが、
たしかに、対空砲火のようでもあるクラッカー


母は高等女学校時代に軍需工場に動員され、戦闘機の防弾タンクを製造していたため、
たびたび、空襲に直面した訳だが、大空を埋め尽くすB29の銀色の機体が、キラキラととてもキレイだったと、よく言っていた飛行機


自分の周囲で、首や手足を吹き飛ばされ、あるいは内臓が飛び出し、人々が死んでゆく極限状況の中で、
「キラキラとキレイ」という、静謐ささえ感じさせる冷静な観察眼をもつことに、
とても不思議な感覚を抱いたものだが、

戦争の体験というものは、我々が思うほど、「恐怖」とか「憎悪」といった単純な用語だけでは推し量れないものなのかもしれない。


戦後71年が経過し、生々しい戦争体験を語れる人、
とりわけ、大局的な立場から、当時の戦況の推移を見ていたような
指導的な方々は、ほぼ皆無になってしまった。。。。。


そうしたことも影響しているのだろうか、
日本の行く末に関する政策論議は、
右派であれ、左派であれ、
大局観の欠落した「感情論」ばかりになってしまっていると私は感じるショック!

どんなに優れた政策案であっても、パーフェクトなどということはありえず、
それを実行することによって、必ず失うものが出てくるし、
国や国民に大きなリスクを負わせる面が出てくるものだ。

そうであるならば、
自分の主張することのメリットはもとより、
そうしたデメリット、リスクをも含めて、
きちんと、データを踏まえ、冷静かつ論理的に説明する責任があるのではないだろうか!?


ところが、昨今の議論は、自分の主張のメリットを一方的かつ感情的に
述べたてるだけで、左派・右派いずれも、説得力に欠けている。

そもそも、情報の「一面的提示」というのは、知性や教養のない人々に対して有効とされる、
ある意味、とても失礼な主張のしかただガーン汗


思えば、私の大学時代は、まだ70年安保の余韻の中にあったものだが、
きちんと「語れる」人は、たしかに存在した。

憲法学の教授もそのひとり。
彼は、戦時中、応召で大陸にわたり、何年にもわたって最前線で戦い続けた歴戦の軍人であった。
そして、戦後復員すると復学し、「非武装・中立」を唱える学者となった。


非武装・中立論者は、今流に言うと、「脳内お花畑」状態の人という、能天気な空想論者的な見方をされがちであったが、しかし、彼はリアリストであった。
彼の主張通りに国が動けば、やがて他国に軍事的に制圧され占領下に置かれることを、
彼は、ちゃんと認めていた。

そして、いったん、そうなったならば、
日本人は、略奪・暴行・殺戮の限りを尽くされ、
妻・娘、姉・妹、恋人などが、連日連夜、多数の兵士たちに、公衆の面前で強姦され続け、
少しでも抵抗の気配を見せれば、家族全員虐殺される、
まさに生き地獄のような日々が、
何年間も、
そして、いつ果てるともなく続くであろうことを彼はちゃんと認めていた。
自分の周囲の人々も例外ではあり得ず、それを直視せざるを得なくなることも認めていた。

そして、それでも、彼は、「無抵抗」を貫くべしと唱え続けた、ある意味、信念の人であった。


彼の軍隊経験は、軍部の暴走と狂気だけは許してはいけないという終生変わることのない想いを彼に植え付けたのだろう。

私には受け入れ難い主張ではあったが、彼の信念は尊敬に値すると感じたものだ。


翻って、現代。
自分の政治的主張が、良くも悪くもどんな事態を招く可能性があるのか、
冷静かつ客観的に語れている人は、いったい、どれほどいるだろうか!?


そこにあるのは、一面的で、しかも客観性に欠ける感情論だけではないのか!?


これは、非常に危険な兆候だと私は感じる。


あれほど理知的で合理的と思われたドイツ国民がヒットラーの演説に熱狂し、
あるいはまた、
「鬼畜米英」「一億総玉砕」などと連日大々的に報じて
日本国民を煽りに煽った朝日新聞など大メディアがあったように、

一国の方向性を感情で煽るようになったら、はっきり言っておしまいだ。


左派でも右派でもいい。
上述の憲法学の教授のように、
自分の主張が招来する結末と、
それに対する自己の責任を明確にした上での、
冷静で論理的な議論がこれからの日本に
起きてほしいものだ。

いや、そうでなければ、非常に危ない。
























リオ五輪も、開会から1週間が経過し、折り返し地点を過ぎた(^O^)/

日本は、すでに金メダル7個で、前回のロンドン五輪に並んでおり、
この先、レスリングなどの種目で、その数をさらに伸ばす可能性が高い。

全般的には、まずまず好調だ合格


そして、2020年の東京五輪に向けては、今後、一挙に強化費が増額されるはずだから、
4年後、開催国として、各種目で目覚ましい活躍が期待されるところだ。


さて、今大会(の前半)については、体操・水泳・柔道を重点的に見てきたが、
いろいろと感じることも多い目

特に柔道。

男女各7階級で42個のメダルが競われたわけだが、
メダル獲得国数は、過去最多の実に27か国に及んだ( ̄□ ̄;)!!

以前であれば想像もできなかったような国々の選手たちが実力をつけ、
メダルを争うようになっており、柔道のグローバル化は疑う余地がない。

日本の武道が、ここまで世界で愛好されていることを喜ぶべきなのかもしれないが、
同時に、変容著しいというか、もはや、日本人の手を離れて独自の変化を遂げてしまっているようでもある。

柔道は、世界各国の格闘技と融合し、柔道からJUDOに変容した。
それは換言するならば、日本の「武道」から、グローバルな「スポーツ」への変容である。

その結果、武道としての「礼節」は失われつつあるように思える。

試合に勝利した直後に見せる(少なからぬ)外国人選手たちの乱痴気ぶりを見ても、
それは明らかだムンクの叫び


また、これは柔道に限ったことではなく、五輪の「採点種目」全般に言えることだが、
審判のジャッジの不透明感には疑問を感じざるを得ない。

柔道男子100kg超級決勝など、その最たるもの( ̄へ  ̄ 凸。

何年間にもわたって世界の頂点に君臨しているチャンピオンに対してと、
チャレンジャーに対してとでは、審判の判定に、露骨な差異があるプンプン

チャレンジャーに対しては、「疑わしきは罰す」の厳しさで、
ちょっとでも「はてなマーク」な行為があれば、呵責なき過酷さで、どんどん減点する。

ところが、チャンピオンに対しては、「疑わしきは罰せず」で、
非常に寛容に対応する。
それどころか、明らかな減点対象ですら、見て見ぬふりをする。

審判とて「人間」なので、評価の確立したビッグネームに対しては、
大甘になるのか、それとも頭が上がらなくなるのか・・・

これは、フェアであることが求められるスポーツ本来の姿などではなく、一般社会の人間関係の縮図でしかない。

たとえば、有力者の親をもつ子どもが問題を起こしても、
適当にもみ消される一方、
その罪は、貧乏人の子どもに被せられるというのと大して変わりはない。

あるいはまた、
肩書きのある人が、平凡な、そして、時に、間抜けな発言をしても、
「きっと何か深い意味があるのだろう」と多くの人は思い、感動して聴く一方、
肩書きのない人が、どんなに素晴らしい発言をしても、
無視されるか、鼻で嗤われ、そして頓珍漢な批判を受けるだけ・・・というのと、
何ら変わりがない。。。。ダウン

こうした「娑婆の理不尽」と同様の行為が平然と行われるようでは、
スポーツの未来は決して明るくはあるまいオバケ

今大会の柔道競技は、そういう意味で、非常に後味の悪いものとなった。
「何だか、とても嫌なものを最後に見てしまった」
というのが偽らざる気持ち( ̄∩ ̄#。むかっ


リオ五輪も残り1週間。

多くの人に夢を与える展開になってほしいものだ。
そういう意味では、昨日から始まった卓球女子団体はたいへん面白い。

何と言っても、15歳の伊藤美誠選手の物おじしない、変幻自在なプレーぶりは圧巻だメラメラ

あれよあれよという間に、日本女子チームはベスト4に進んでしまった。
明日の準決勝(対ドイツ戦)が楽しみだ音譜


北九州のウマい地酒を飲みながら、観戦する予定ヽ(゚◇゚ )ノ




ついついサボッてしまいがちだけど、今回は、珍しく

掲載誌発売情報を告知させていただきますね照れ

 

昨日(地方は本日もしくは明日)全国発売となった「月刊事業構想9月号」

に、2本の記事を執筆・掲載合格

 

 

同誌では、これまで、毎月、1都道府県ずつ特集してきたが、

今回の「島根県特集」で、全47都道府県を網羅したことになるヽ(゜▽、゜)ノアップ

 

私は、毎号、各都道府県の「地方創生」に関する総括記事(各3100字程度)を書いてきたけれども、それも今回でいったん終了となり、来月号(10月号)では、地方創生に関する結論的な論説を4000~5000字程度でまとめる予定だ(現在、準備中)ニコニコ音譜

 

さて、その島根県特集の総括記事がこちら↓

島根県の超過疎の中山間地域約100集落で、

人口の「社会増」が進んでいることを中心に、

同県の「創生」の可能性と課題について言及している目ひらめき電球

 

地方は、どこもかしこも少子高齢化・過疎化が進展して、

一様に衰退しているような報道が、特に東京を中心になされがちであるが、

現実には、それぞれの地域の有する地域資源であったり、

その地域独特の風土だったり、

あるいは、それぞれの自治体・地場企業の努力によって、

衰退し続けるところと、上向くところの「差異」が、徐々に顕在化しているウシシ

 

語弊はあろうが、地方創生は、ある意味、「ゲリラ戦」の段階に移行しておりドンッ

地域ごとにサバイブしていくための叡智が求められる状況にあって、

国は、必要に応じて、それをサポートしていくという立ち位置だポーン爆弾

 

 

もうひとつの記事は、↓で、「『2020』は何を生みだすか」という全4ページ5100字の論説だ。

 

たしか6月に、雑誌「人間会議」に、1964年の東京五輪を振り返り、そこから、

どんな新事業が創発され、それがその後の日本経済にどのような影響を及ぼしたか、

という記事を掲載した。

今回は、それをさらに発展させて、2020年の東京五輪に関して、どこに日本を変革するチャンスがあるか、東京五輪1964と、ロンドン五輪2012を例に、論じているチョキ

 

特に重要なのは、ロンドン五輪2012である。

これを境に、英国民の間にマインド・シフトが生じて、

歴史上、世界屈指の保守性を示してきた英国民が、イノベーティブな姿勢へと転じたことが

国際的に話題になった。

その変革のリーダーこそは当時ロンドン市長だったボリス・ジョンソン氏であり、本年6月の「国民投票」における同氏率いる「EU離脱派」勝利も、その流れの中で、理解できるものである!!

 

英国は、五輪を機に、「ロンドンから英国を変革した」わけであり、

それを日本に置き換えるならば、

2020年の東京五輪を機に、「東京から日本を変革する」ことだって可能だということだ。

そういう意味で、今回の東京都知事選は、日本の命運を左右する重大な選挙だったとも言えるはずだが、そういう観点からの政策論争もメディア報道も一切なされなかったのは残念であるとともに、

そこに、現代日本の限界を垣間見るような気もするのである。

 

ご興味のある方は是非、お近くの大型書店へ走る人DASH!DASH!