きょう9月8日は、母の三回忌だ。
パーキンソン病で、身体の自由が効かなくなった母を
10年半に及び、ひとりで在宅介護していたが、
入院した病院のお粗末な対応によって
2年前の今日、あっけなく死んでしまった。
高齢で衰弱した病人は、胃の内容物を逆流させて気管を塞ぎ、
窒息状態に陥る、ということが往々にして起きるものだ。
2年前、母もそうなった。
ところが、入院先の病院の院長も、看護師たちも、
すっかり気が動転し、パニックになってしまったようで、
一応、ちゃんとした「病院」であるはずなのに、
こともあろうに、救急車を呼んで、息ができず顔面蒼白になった母を、
他の病院に搬送させてしまった![]()
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搬送先の病院では、実に1時間半にも及ぶ必死の救命措置を
行ってくれたが、間に合わなかった。。。
九州の病院だったので、取るものも取り敢えず、私が駆け付け得たのは、
翌日のことだった。母は搬送先の病院の霊安室に横たわっていた。
1時間半もの救命措置を行ってくれた医師は、
申しわけないという気持ちをいっぱいに滲ませて、
その時の状況を詳細に話してくれた。
誠意のある態度だ。
それに引き比べ、
窒息状態で苦しむ母に適切な処置をせず、
救急車を呼んで、他の病院に「丸投げ」した病院の院長は、
私に対して、何の挨拶も満足のいく説明もなく、
面会してもそっぽを向いて、
パソコンの画面をのぞき込む「ふり」をするばかり。。。
「荷物をまとめて、さっさと失せろ
」と
言わんばかりの態度だった。
結局、ただの1度も私の方を向かなかった。
九州で火葬だけして、帰京した私に、
何人かの知人は訴訟を勧めてくれたし、
ある大病院のスタッフからは「うちの顧問弁護士を紹介するから・・・」
と熱心に言われたが、私は何もしなかった。
母の思いもかけない死の直接の原因となったのは、
入院先の院長であることは明白だったが、
しかし、
その病院を入院先として選んだのは、誰あろう、この私であり、
そういう意味では、もっとも重大な責任を負っているのは私自身なのだ。
それに、当時の私には、1人で訴訟を起こして何年も戦うだけのパワーもなかったし、
そもそも、そんなことをしたからといって、母が還ってくるわけでもなかった。
因果応報という。
私が何もしなくても、
その愚かな院長は、いずれ、相応の「しっぺ返し」を喰らうに違いない。
もし、仮に、彼が、何の代償も支払うことなく、
巧みに生き切ったとしても、
彼の子どもたちや、孫たちの代に、
重い重い代償を払わされることになるだろう。
人間の歴史というのは、それの繰り返しだと私は思う。
だからこそ、自分がしでかした不始末は、
できるだけ早く、自分自身で誠意ある後処理をすべきだし、
その不始末を補って余りあるほどの、世のため人のための奉仕・献身が
必要となるのだと思う。
そんなことを思いながら、きょうは、仏壇に供えた「豆大福」
を、食べている(笑)![]()
しょぼくれた和菓子屋だったので期待していなかったのだけれども、
これがめったやたらに美味い![]()
「この豆大福、母にも食べさせてやりたかったな・・・・」











