母へはずっとわだかまりがあった。
たぶん多くの人がそうであるように。
私はこれをえらくたいそうなことと紐づけ
人生すべてをコーティングしていたのだが
メンタルコーチになってみて
親へのわだかまりなど
たいていの人があり
それこそが自分を見つける道でもあるのだということに納得がいった
そしてストレスクリアを始めてからは
全く気にならなくなったので
それでいいと思っていた。
で、それ以上は見てなかった。
数年前ふとしたことから
子どもの頃の話をしていて
いつもは面白おかしくネタにしてるような
母や家族の話をしたら
「私、、未だに(自分の本音を)見てなかった」
涙が出て驚いたことに吐いてしまった。
「アキさんはそこだよ。ちゃんと見てごらん。子どもの頃飲み込んだこと、吐き出してごらん。子どもなんだからなんでも言ってよかったんだよ」
それからセッションをして
紙に全部吐き出して破って燃やした。
次の日のセッション
クライアントさんが同じように苦しんでいた。「前よりは全然気にならないんだけど、やっぱりザワザワする」
クライアントとコーチは集合無意識の
深いところで繋がっているので
これは私の問題でもあり
私が抜けることで彼女も抜けられればと思った。
するとひょんなことから
母と出かける機会が。
まともに二人で大した用事もなく
出かけるのは何年ぶりだろう?
母はブランド物などにはお金を使わないが
「ミュージカル友の会」とか
「小田急レディースクラブ」とかに
お金を積み立てて少し割増された商品券を
嬉しそうに使う。
だから子どものころは流行の服ではなく
デパートの服を着るのが窮屈だった。
待ち合わせはいつものように
「小田急デパートの花屋」
そこでお花を買いプレゼントした。
母はお花が好きだ。
「お肉食べる?レディースクラブ溜まってるから」
いつものように小田急デパートの
高層レストランでランチをした。
子どものころと随分景色は変わっていたけど
町田の空の感じはいつも変わらない。
新しい分野の仕事をするかもしれなくて
そのための服を探そうかな、と思ってたら
「なんか服買ってあげようか?レディースクラブ溜まってるから」
それで、顔まわりが明るく見えるような
ワンピースを買ってもらった。
母は本当は違うほうがよかったみたいだけど、ちょっと言っただけで
それ以上は言わなかった。
仕事の話をしたら「何それ?!」と驚いていたけど、なんだか嬉しそうにしてた。
母に仕事の話や、まだ未定な話をしたのは
生まれて初めてで、自分としてはかなり珍しいことだったから話すとき少しぎこちなかった。
それから
イベント用のテーブルクロスを
探していると言ったら
母お得意の手芸屋さんに連れて行ってくれた。サーモンピンクの
柔らかいシフォンの布を買った。
帰りに「なんか美味しいもの買ってく?」
と振り向いた母は
小田急デパートの地下食品街に
降りて行っていつものように
高級なハムとポンパドールのフランスパンを
買ってくれた。
母はハムとカマボコがすきだ。
いつもラップをきちんと被せないので
冷蔵庫を開けてはじっこがカリカリになったハムやカマボコを見るたび嫌な気分になった。
地下食品街では「レディースクラブ」は使わなかった。
時を経て変わったのは町田の街並みと
「レディースクラブ」の「商品券」が
「カード」になっていたこと。
たぶんどこからどう見ても
普通に仲の良い母娘だ。
今までこうして普通に歩くことの
どこに何を抗っていたのだろう。
老婆のだまし絵のように
片方の面が突然見えたような日だった。
エスカレーターの前を行く母の帽子の後ろの
ちょこんとしたリボンのほつれを
ずっと見ていた。
ふとリリーフランキー
「東京タワー」の一文が頭をよぎった。
今からあんまり仲良くなっちゃうと困る
そんなようなことが書いてあって
ドキリとした
みるみる涙が滲んで息を整えた。
思えば小さい頃から一度だって
母の愛など疑ったこともなかった。
私が何かを得たり、何かで成功したり
そんなことを100積み重ねるより
ただ一度、にこっと笑ったら
それだけでいいんだけど
そんな簡単なことができずに
随分遠回りをした。
日々はあっという間に過ぎて
時間には限りがある。
今はデパートで買物する人は少なく
デパートもどんどん無くなっていってるという。
「小田急デパート」フリークの
母の楽しみのために
できれば末永く存在していただきたいものだ。
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