皆さん、こんにちは。今日も私のブログを読みに来てくれて、ありがとうございます🙏
今から20年程前に父の会社が倒産し保証人だった私は、当時、住んでいた家も僅かばかりの預貯金も失いました😭
何より堪えたのは当時、小学生だった息子と娘と離ればなれになってしまったことでした。
ある時、私は、ある事をきっかけに自分の今までの生きてきた道のりを書いてみようと思ったのです。
今回も前回のつづきになります。
前回は高1の夏休みが終わるまでの話しを書きました。それでは、つづきをどうぞ😁
夏休み明けのテストの結果は、案の定、学年順位を少し下げたが、それ程にはがっかりしなかった。又、少し頑張れば元の順位ぐらいには戻せるだろうと安易に考えていた。
Nとの付き合いも続けていた。彼と月に一回ほど、週末の土曜の夜にディスコに行った。麻雀にタバコも自ら吸うようになっていた。そんな生活を続けていたので、当たり前の様に一年生の最後の学期末テストでは、かなり順位を落とした。
二年生になっても私の生活スタイルは変わらなかった。校内で私と同じ様に成績を落としていった奴らとも、次第につるむ様にもなっていた。ディスコで知り合った他校の娘と付き合うようにもなっていた。
夏休みが又、巡ってきた。私は小遣い稼ぎの為に父の会社でアルバイトをすることにした。当時は今ほど、高校生のアルバイトに寛容ではない時代だったので父の会社でアルバイトする事ぐらいしか小遣い稼ぎをする方法が思い浮かばなかった。
以前にも書いたが、父は祖父から継いだ工務店を経営していた。相変わらず、父との会話はほとんど無かったので、母に頼んで父に話しを通してもらった。
現場の掃除や木材などの材料の整理。丸太足場を組む社員の手伝いなどが主な作業だった。建て前と呼ばれる上棟日の時は、その日の作業終わりに施主さんから祝儀が貰えたので、とても嬉しかったのを覚えている。
私は全ての作業が最初は見様見真似だったのだが、徐々に真夏の炎天下のそれらの作業にも慣れていった。それと社員や職人達も社長の息子、特に長男ということで、かなり大目に見てくれていたと思う。夏休みが終わる頃には真っ黒に日焼けをしていた。アルバイト代はディスコ通いやタバコ、麻雀代になった。
高校二年の夏休みが終わり新たな学期が始まった。学年テストでは更に成績を下げた。さすがに少し焦りが出始めていた。それでも回数は少しづつ減っていったがNとのディスコ通いや麻雀などは続いていた。
つづく
このブログを書くようになったのは、私の住まいの小さなベランダで育てているレモンの木にある日の朝、トンボがとまっているの見つけたのがきっかけでした。
その時、私はある事で悩んでいました。何故かそのトンボの訪問が私の悩んでいる事に関係がある様に感じ、氣たなったので調べてみると下記の様な面白い記述を見つけたのです。そして、その事をnoteに書いたのがきっかけとなり自分の事を少し書いてみようと思ったのです。
宜しければ次回も読んでみて下さいね🙇
【トンボの訪問】
実際は休憩場所や餌となる虫を探して私の住まいの小さなベランダで育ているレモンの木にとまったのでしょうが調べてみると以下の様なおもしろい事が分かりました😁
1.トンボは前にしか飛ばない事から「成功、前進、勝利の象徴」とされ戦国時代の武士の間では「勝ち虫」と呼ばれ戦の縁起物とされていた
2.トンボは秋の季語でもあり「実り、豊かさ、成長」のシンボルとも言われている
3.特にレモンの木の様に実をつける植物にとまったというのは「実りや幸運が近づいている」「これまでの努力が実を結ぶ」という前向きな意味に結びつけて解釈される事もある
などの前向きに捉えることができる事が書かれていました👍️
そうなる事を祈ります😁
皆さんにも幸運が訪れます様に!




