皆さん、こんにちは。今日も私のnoteを読みに来てくれて、ありがとうございます🙏
今から20年程前に父の会社が倒産し保証人だった私は、当時、住んでいた家も僅かばかりの預貯金も失いました😭
何より堪えたのは当時、小学生だった息子と娘と離ればなれになってしまったことでした。
ある時、私は、ある事をきっかけに自分の今までの生きてきた道のりを、ブログに書いてみようと思ったのです。
今回も前回のつづきになります。
前回は大学で入部した競技ダンス部の厳しい夏合宿の全練習が終了し、打ち上げコンパを迎えるところまでを書きました。
それでは続きをどうぞ
打ち上げコンパは無礼講で厳しく指導した三年生は、一年生のお酌は断ってはいけない事が慣例になっていた。コンパが始まる前に三年生の部屋の前を通ると、三年生の男性四人皆がチーズを牛乳で流し込んでいた。
コンパが始まり私達一年生は大急ぎで腹を満たした後、両手にビール瓶を持ち三年生の席に向かった。「御指導、ありがとうございました」と言って四人の男性三年生のコップを代わる代わるビールで満たした。特に厳しかった引田さんの前には一年生男女が連なった。
引田さんは数杯を一気に飲み干した。が、途中から徐々に泣きが入った。他の三年生も同じ様なものだった。三年生女性陣にも男性陣程ではなかったが、一年生女性人達がお酌を続けていた。
少し時間を空けて又、各々がお酌に行った。そこには厳しかった指導への恨みはなく、練習を通してできた繋がりの様なものが宴会場を覆っていた。
監督役の四年生は「つぶれるまで飲ませていいぞ」と笑っていた。当時の大学生のコンパそのものだった。飲ませる私達一年生もお酌を受ける三年生も楽しんでいた。
三年生は、ほとんど食事に手を付ける暇もないほど入れ代わり立ち代わりのお酌の攻撃に一時間を過ぎた頃には、一人また一人と倒れる様に部屋に担がれて行った。
二時間程の打ち上げコンパが終わり各部屋に引き上げた私達も疲れが一気に出たのだろう、倒れこむ様に布団に入った。翌日は朝食を済ませ行きと同じ様に貸し切りバスで東京への帰途に着いた。
合宿から戻ると八月二十五日からの練習再開まで、しばしの間、私は帰省した。名古屋駅で在来線に乗り換え、見慣れた風景が車窓から流れてきた。何とも言えない郷愁が込み上げてきた。
久しぶりの実家だったが何故かよその家の様な気がした。それが僅か四ヶ月ばかりの東京暮らしのせいなのか元々、実家には馴染んでいなかったのかは自分でも分からなかった。
私はお盆の行事などを済ますと早々に東京に戻った。練習再開までの間、私は東京散策や名画座巡りなど初めて東京を満喫して過ごした。
十月開催の新人戦に向けて練習会が再開された。厳しかった夏合宿を経験したからか、あまり練習のきつさは感じなかった。九月に入るとそれぞれパートナーが決められ新人戦への練習にも一段と気持ちが入った
新人戦への参加校は十校ほどで、それ程大きな大会ではなかったが私達一年生にとっては初めての対外戦だった。
新人戦には私の部からは四種目に一年生五組がエントリーした。私は厳しかった夏合宿での成果がでたのか上位入賞をした。大きな自信になった。
その後も二つの大会にエントリーし、そこでもまずまずの成績だった。このまま競技ダンスを続けても良いかと思う様になっていった。その後は後期のレギュラーシーズンが始まり私達一年生は応援に回った。
そして、あっという間に東京生活の一年が過ぎ二度目の春を迎えた。新入生を迎える側になり各サークルの勧誘合戦が始まった。
私たちの部にはパートナー校も含め男女二十人程が見学に来てくれる様になり、去年の私たちの様に学生連盟主催のダンスパーティーに彼らを誘った。
そして私達二年生がパーティーステップを教える側になった。初めて踏む彼らのステップのおぼつかなさを見て微笑ましく思った。パーティー当日は私達二年生が彼らを引率した。一年前のこの日の事が遠い昔の様に感じた。この頃には私も、少しは東京での生活にも慣れてきていた。
引率した一年生の多くは私と同じ様に地方出身者で、去年、私が感じていた不安と期待で一杯だった思いを内に隠しているのが手に取るように分かった。
パーティー会場では競技会でよく顔を合わせる見知った他校の人達もいた。その内の何人かと挨拶を交わし「うちの一年生と踊ってやってくれないか」と頼んだりもした。
他校に知人ができたのも競技ダンスを始めたおかげだった。ダンスパーティーの華やかな雰囲気もあったのだろう、その後、男子七人と女子はパートナー校も含め十五人程が入部した。
その年の前期レギュラー戦は東都戦では団体優勝したが、東部戦、全日本戦になると個人戦では準決勝戦や決勝戦まで進む先輩カップルもいたが団体成績では強豪校の前にもう一歩及ばずという結果だった。レギュラー戦で私達二年生は、一年生と共に応援に回っていた。
つづく
このブログを書くようになったのは、私の住まいの小さなベランダで育てているレモンの木にある日の朝、トンボがとまっているの見つけたのがきっかけでした。
その時、私はある事で悩んでいました。何故かそのトンボの訪問が私の悩んでいる事に関係がある様に感じ、氣になったので調べてみると、下記の様な面白い記述を見つけたのです。
そして、その事をnoteに書いたのがきっかけとなり自分の事を少し書いてみようと思ったのです。
宜しければ次回も読んでみて下さいね🙇
【トンボの訪問】
実際は休憩場所や餌となる虫を探して私の住まいの小さなベランダで育ているレモンの木にとまったのでしょうが調べてみると以下の様なおもしろい事が分かりました😁
1.トンボは前にしか飛ばない事から「成功、前進、勝利の象徴」とされ戦国時代の武士の間では「勝ち虫」と呼ばれ戦の縁起物とされていた
2.トンボは秋の季語でもあり「実り、豊かさ、成長」のシンボルとも言われている
3.特にレモンの木の様に実をつける植物にとまったというのは「実りや幸運が近づいている」「これまでの努力が実を結ぶ」という前向きな意味に結びつけて解釈される事もある
などの前向きに捉えることができる事が書かれていました👍️
そうなる事を祈ります😁
皆さんにも幸運が訪れます様に!




