秋空高く涼やかな風に吹かれながら、ご縁の絶えない慶應義塾大学三田キャンパスへ。カーディフ大学社会科学部講師であるGareth M. Thomas博士のご講演に参加しました。”Prenatal Screening for Down’s Syndrome: A Sociological Perspective(ダウン症候群の出生前スクリーニングー社会学的観点から)”というテーマのもとでお話し頂きました。昨年”Prenatal Testing and the Politics of Reproduction”という著書を出版されて話題となりましたが、お写真で見る以上に、爽やかな好青年という出で立ちでした。
イングランドとウェールズにおいて、2011年には74%の妊婦がダウン症のスクリーニングを受けたそうで、ハイリスク妊婦に限らず、一般的な検査として根付いている印象を受けました。しかし、自身の子供にダウン症の診断が下された場合、約90%が中絶の結果となり、この割合は20年上大きく変わらないのだそうです。ダウン症の人々は「生きていける」のに、なぜこのような結末を迎えてしまうのか…当事者にしか分かり得ない苦しみはあるにせよ、ショックを隠すことはできませんでした。
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Thomas博士の問題意識は、この出生前スクリーニングが「ルーティン化」され、医療従事者の間では重要度の低い任務として位置付けられていることにありました。「なぜ多くの親たちが出生前スクリーニングの実施に同意するのか」ということにも結びつく問題です。医療従事者たちのダウン症に対する知識が不充分であるために、出生前スクリーニングを受けることの意味について、親への適切な説明がなされていないことが指摘されました。また、出生前スクリーニングは技術的に”目立つ”仕事ではなく、医師たちのプロ意識や存在意義を発揮する分野として認識されていない、という率直なインタビュー結果も紹介されました。
親にとっては”informed choice(情報を受けた上での選択)”であることが重要であるはずの出生前スクリーニングですが、実際には軽い気持ちで受けてみる気風があり、結果を受け取った時にどう対処するかについて充分に議論されていないのが現状です。それが”can of worms(厄介な問題)”なのだそうです。超音波検査が、医学的処置というよりも、赤ちゃんの様子を見るための社会的なイベントと位置付けられていることも影響しているとThomas博士は言います。
コンサルテーションにおいてダウン症が充分に話し合われない理由として、英語を母語としない人への説明が難しいことや、「ダウン症」という言葉を使うことで妊婦の不安を煽ってしまうのではないか、という懸念もあるとのことでした。ただし、優生学にも繋がり得る重要な問題であるからこそ、本来であれば親とも満足のできる議論を重ねるべきです。医療従事者の中にも多くの葛藤を見受けました。妊婦への説明の際、”lisk”ではなく”possibility”というようにしている医師もいるのだそうです。
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最後に、Non-Invasive Prenatal Testing(NIPT)、すなわち新型出生前診断について紹介がありました。NIPTは母体の血液を使用した遺伝学的検査で、妊娠初期から受けることができます。日本におけるダウン症のスクリーニング率は、イギリスや他のヨーロッパ諸国に比べて伝統的に低いです。ただし、NIPTは臨床研究の段階を終え、2018年5月からは実施要件が緩和され、より多くの施設で実施できるようになりました。Thomas博士は、NIPTに係る社会的・倫理的な問題が解決されたのではなく、NIPTを実施することにより、新たな社会的・倫理的問題が浮き彫りになるだろうと述べていました。
また、医療現場ではまだNIPTを実施する土壌が整っていないことや、ダウン症以外の染色体異常も検知できることなど、NIPTを身近な選択肢とするには多くの課題が残されています。正式なガイドラインも作られていません。正式なスクリーニングよりも受けやすことから、NIPTの結果だけで中絶を判断してしまったり、性別の選択に繋がってしまったりと、懸念事項は尽きないとThomas博士は言います。何か共通解を見出すのではなく、この問題について、多元的な対話が成されることが大切であるとの提案がなされ、Thomas博士はご講演を締めくくりました。
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1年前の今日、4人目の子供が空へ旅立っていきました。この時期はどうしてもやることが多く、立ち止まることから逃げるように過ごしてきた気がします。本当の忌明けは自身の臨終まで待つこととし、それまでは、現世での使命を探りながら、学び、感じ、不器用なりにも生き抜いていこうと思います。







