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優*游涵泳

語りえぬものについてこそ、語ることを試みつゝ。

去る11月12日、日本弁論連盟主催「第62回文部科学大臣杯全国青年弁論大会」に出場し、優秀賞(第3位)および水戸観光コンベンション協会会長賞を頂くことができました。改めて、関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

 

およそ12年のブランクを経て、『Dear Children』という演題のもと、不育症をテーマに論じました。4度に渡る流産を経験し、漢方・処方箋・12時間おきの注射といった努力を要する状況下で、そこから学び得たことを発信する使命感のようなものが芽生えたからです。

 

弁論では、創造性と客観性の両立が求められます。独りよがりになるリスクの高いテーマでしたが、医学論文等に当たりながら、まずは「不育症」という概念そのものを知って頂く場として、この弁論大会を位置づけました。流産はある種の死別であることを踏まえ、私たちの暮らしには様々な「死」があること、そして「死」は忌み嫌う話題ではなく、「生」と向き合うために語られるべきものだということを強調したつもりです。


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また、今回の挑戦のもう1つの目的は、過去の自分を越えることにありました。

 

高校在学中は生徒会の傍らで弁論部に所属し、ふわりと出場してはふわりと入賞してしまう、恵まれた弁士だったように思います。言うまでもなく、数々の受賞歴の背景には、先生方や先輩方の支えがありました。

 

特筆すべきは東海高校主催「第58回椎尾弁匡記念杯全国高等学校弁論大会」での優勝で、内閣総理大臣賞・文部科学大臣賞を頂いた演題こそが『Dear Children』でした。このときは機能不全家族のもとで育った「アダルト・チルドレン」の課題について論じるとともに、「高校生である今だからこそ『親になる自分の姿』を考えていくべきだ」というメッセージを発し、幾つかの取材も受けました。

 

高校卒業と当時に弁論からパタリと離れたものの、事あるごとに”あの頃”を取り沙汰されることはしばしばありました。それは有難い反面、年月を重ねるほどに現実味が薄れ、他人事を聞くような気持ちが燻っていました。そしてそこから脱却したいという想いが、次第に強くなりました。新しい一歩を踏み出すには、どんなに不格好であっても、”今”の実力を試す必要があったのです。

 

なので、こうして自力で1つの弁論を作り上げられたことは、少なからず自信に繋がりました。親になる未来を信じて疑わなかった当時の自分に、同じ演題で全く違う弁論を示したことで、『Dear Children』は1つの完結を迎えられたように思います。

 

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この大会での最大の贈り物は、全国から集った弁士たちとの出逢いです。「弁論」を作り上げるプロセスは人それぞれですが、通底するのは、弁論を通じて自己と向き合う作業を大切にしているということでした。ある弁士は、「弁論を通じた人格の陶冶こそ最終的な目的」と仰っており、まさしくそれが私たち弁士の弁士たる所以なのだと思います。

 

弁論は、「7分間の芸術」とも言われる日本語競技です。前提知識が異なり、文字媒体も手元にない聴き手に、自身の声のみでコミュニケーションを取ります。そのためには、論理的な流れ、印象的な問いかけ、すぐに文字変換できる言葉遣いなど、常に目の前の相手を慮る姿勢が不可欠です。その「言葉」の精査が、弁論作りの大部分を占めます。弁論を続けることは、「言葉」の可能性を信頼し続けることでもあるのです。

 

哲学者ウィトゲンシュタインの有名な言葉に、こんなものがあります。

 

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」

 

しかし弁士は、語りえぬものについてこそ、語ることを試み続けていかねばなりません。

 

新進気鋭の学生弁士たちの姿を見て、社会人弁士としての役割があることに気づきました。長い長い夕闇を抜け、演壇への復帰を決意した次第です。

涙を堪えるような空の顔色を伺いながら、友人とかねてより計画していた「東京五社巡り」を実現しました。東京五社とは、「東京五社会」を結成し、連携を取っている5つの神社の総称です。七五三を祝う可愛らしい参拝客に微笑みながら、友人の作成した"旅のしおり"を元に出発です。

 

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1)大國魂神社

その名の通り、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。出雲の大国主神と同神とのこと。今日は酉の市が開催されており、朝から参拝客で賑わっていました。本殿裏に佇む神木の大銀杏は実に威風堂々としており、強力なパワースポットとして知られています。


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2)靖国神社

祖国の平安を願って明治天皇に命名された靖国神社は、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建されました。平成31年に創立150周年を迎えるため、現在は改修工事が進められています。大正時代に建てられた大鳥居から臨む参道は壮観です。


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3)東京大神宮

「心結び、縁結び、幸結び。」を謳う東京大神宮は、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年に創建されました。大正天皇が日本で初めての神前結婚式を挙げたことから、神前結婚式発祥の地とも言われています。恋みくじを手にする若い女性をあちこちで見かけ、小規模ながらも華やかな神社でした。


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4)明治神宮

明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社です。初詣では例年日本一の参拝者数を誇り、今日も外国人観光客を含めた多くの参拝客が訪れていました。ここは私が結婚式を執り行った場所でもあるので、静謐な杜に包まれながら甘美な記憶が思い起こされました。こちらも、鎮座百年記念事業の一環として一部工事中です。


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5)日枝神社

雨粒の音が強まる中でいよいよ辿り着いたのが、大山咋神(おほやまくひのかみ)を祀る日枝神社。恋愛成就、子授け祈願、安産祈願、子育てなどのご利益があるそうです。拝殿前の神猿像を撫でて祈願すると、子授けのご利益があると言われています。御朱印を頂いた際には、参拝記念の栞とストラップが付いてきました。


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ここでついに目標達成、ではありますが、我々にとっての本命である豊川稲荷東京分院にも足を延ばすことに。「稲荷」という名称から神社を連想しますが、ここは豊川ダ枳尼眞天を祀る寺院です。子抱き狐、子宝観音、愛染明王、梛の木など、女性の背中をそっと押してくれるようなスポットが数多くありました。


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御朱印集めはゆるやかに継続していましたが、参拝自体を目的に散策するのは初めてのことで、五社それぞれの個性を堪能する濃密な1日を過ごすことができました。一足早くこの1年を振り返る道すがら、来年は「東京十社巡り」に挑戦したいという想いが込み上げました。1年後、友人も私も着実な一歩を踏み出せていることを祈りつつ。

木々の衣替えに併走しながら過ぎ行く日々の隙間、少しばかり時間の余白ができました。今宵は、かねてよりお世話になっている鶴見大学生涯学習センターの開設20周年記念企画「死生学入門」を聴講しました。講師を務められたのは、東北大学総長特命教授の鈴木岩弓先生。民間信仰(庶民の間で共有されている信仰形態やその心理)を研究対象とする宗教民俗学の観点から、現代日本の「死の文化」についてご講義頂きました。

 

 

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死者と生者の接点における両者の関わりを考えるとき、その関係性を支えるのは「死者の記憶」です。しかし、死者の記憶は果たして永遠なのでしょうか。例えば、私たちは鎌倉時代を生きた血縁を知っているでしょうか。或いは、私たちが生涯を終えて200年経った時、子孫は私たちに何か特別な感情を抱くでしょうか。今回のご講義では、そういった死者を記憶するメカニズムが論点となりました。

 

死者は不可視の存在、すなわち生者の視点を前提とする主観的存在です。鈴木先生は、死者を「意味ある死者(significant dead)」と「一般的死者(generalized dead)」に大別しました。前者は家族や友人といった具体的死者であるのに対し、後者は新聞報道される事件などで亡くなった抽象的死者を意味します。そしてその間に位置するのが、顔を知らない親族です。

 

近年まで、死者の埋葬はイエ(家)の系譜が中心となって対応していましたが、戦後の民法改正以降、少しずつイエに対する意識は希薄化していきました。埋葬も、地域共同体中心の社会的儀礼から、個人的儀礼へと形を変え、今や隣人の訃報にも気づかない時代となったのです。

 

それ自体の是非は別の議論になりますが、そこで出てくる課題は、「死者の面倒を見る人はいなくなる」ということです。価値観の多様化や行動様式の変化に伴い、比較的近しい親族であっても、死者の埋葬を拒むケースはしばしば見受けられるのだそうです。民俗学者の柳田國男は、1950年代半ばから「家の寿命とでもいうべき事実があるのではないか」と懸念していました。なるほど現代では、イエを母体としない死者供養が模索され、友人グループでの埋葬や共同納骨堂、両家墓などが出現しています。

 

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私たちにとって「意味ある死者」の供養は、死者との関係の修復や継続を意味し、グリーフケアのプロセスとして位置付けることもできます。そしていずれは「意味ある死者」が「一般的死者」として認識され、「先祖」という集合体に内包されて供養され続けるのです。同様に、震災犠牲者・英霊などの大量死者も、固有名詞が集合名詞化される死者への対処システムの中で記憶が継続するというのが、鈴木先生の結論です。

 

子孫を残さず戦死した兵隊を祀るのは、イエの子孫とされる時代がありました。しかし現在、引き取り手のいない無縁の死者があとを絶ちません。面識がない、或いは非常に希薄な関係性でありながらも「血縁」である人の死に、私たちはどのように向き合っていくべきなのでしょうか。「忘れられること」を恐れた柳田國男は、私たちに大きな課題を残していったように思います。

涼やかな風が心地良い日曜日。久々に、湘南のパン教室クラムへ伺いました。今回は新たな試みで「()コーヒーマイスターに習う 自宅で楽しむ珈琲講座 入門編」にチャレンジです。

 

講師は、池田愛実先生のご主人様。ご主人様は喫茶店の店長をしていたご経験があり、アドバンスド・コーヒーマイスターの資格も取得されました。私にとっては、クラムを知るきっかけとなった恩人でもあります。

 

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講座は、4つのステップに分けて進められました。

 

豆を選んでみよう

まずは先生が用意してくださった資料をもとに座学から。今回使用する「スペシャルティコーヒー」は、日本スペシャルティコーヒー協会の評価基準により80/100点以上の評価を得たものを指し、それは消費者が満足するに足る品質であることを意味するそうです。市販の珈琲ラベルに書かれている用語の解説もして頂き、専門店で好みの珈琲と出逢うためのコツを知ることができました。

 

カッピングしてみよう

コーヒー豆のテイスティングをカッピングと呼びます。今回は先生の2種類のスペシャルティコーヒーを並べ、香りや風味、後味など、様々な項目に点数をつけて評価しました。店頭で目にする珈琲の点数は、専門家による客観的な評価が示されているそうです。挽きたての香り、攪拌後の香り、少し冷めてからの香りなど、移り変わる珈琲の表情を意識したのは初めてのことでした。

 

ペーパードリップで淹れてみよう

先生曰く「今日の山場」であるペーパードリップの実技指導は、先生の実演のあとに一人ひとり手解きを受けました。お湯を注ぐ角度やスピードにより、同じ豆でも風味が変わること体感し、珈琲の繊細さと奥深さに感銘を受けました。お湯は中央に向かって少しずつ注ぎ、残りカスが気泡・微粉・粒の三層になるようにすることで、抽出と濾過が両立されるそうです。


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ペアリングを体験しよう

パン教室ならではのお楽しみということで、愛実先生が作ってくださったパンと共に、自分たちで淹れた珈琲を頂きました。相性の良いペアリングの可能性は未知数で、風味の似たもの同士を組み合わせたり、少しアクセントを加えたりと、各々の好みやセンスが生かされる部分でもあります。私は、深煎りの珈琲とチョコの組み合わせが気に入りました。

 

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午後からは、特別企画のピザパーティー。池田御夫妻の友人知人やそのお子様たちも集まりました。愛実先生手作りの焼きたてピザを始め、参加者で持ち寄った贅沢な品々が食卓を彩りました。

 

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こうして幅広く家族ぐるみのお付き合いが実現するのは、ひとえに池田御夫妻のお人柄のお蔭だと思います。近況を話したり、ときに子供たちをあやしたりしながら、笑い溢れる暖かなひとときを過ごすことができました。

 

パンや珈琲を、自らの手で準備する。その一手間こそが人生の豊かさの源泉であり、人間を人間たらしめる行為だと思うのです。出来上がった物を享受することも一つの選択肢ですが、いちから作るその過程でこそ、物事への愛着はゆるやかに醸成されます。日常の隙間にそのようなきっかけを提供して下さる池田御夫妻の姿は、まさに"スペシャルティ"でした。

 

パン教室クラムは1011月はお休みです。次の教室を楽しみに、自分なりの方法で日々を慈しんでいこうと思います。

雨続きの盆が過ぎ、動き出した日常の隙間に屋久島へ訪れました。暖流が山々に遮られるため「1ヶ月に35日も雨が降る」と言われる屋久島ですが、幸いお天気に恵まれ、強い陽射しに照らされる夏色の海を愉しむことができました。初日は島内で最も栄えている宮之浦港周辺を巡り、個人的に訪れたいと思っていた神社でお参りをするなど、ゆっくりと観光しました。

 

 

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そして迎えた翌日、旅のメインイベントである縄文杉訪問が始まりました。午前3時に起床し、登山口まではバスで移動、満天の星の下で朝食を済ませていざ出発です。

 

 

登山の前半は、長い長いトロッコ道。トロッコは登山道にある休憩所への物資運搬などに使用されており、運が良いとばったり出逢えるのだとか。その道中には小杉谷集落跡地があり、そこでまだ人々が暮らしていたときの様子を忍ばせます。地租改正で島の大部分が国有地とされるまで、集落に住む人々は杉を伐採し、それを年貢として薩摩藩に納めていたそうです。

 

 

トロッコ道が終わると本格的な登山道になりますが、そんな中で突如現れる癒しスポットが、かの有名なウィルソン株です。アメリカの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソン博士が研究調査に訪れたことが名前の由来だとか。大きな切り株の中から仰ぐ木漏れ日は、静謐で神秘的でした。ある特定の場所から見上げることで、ハート形の小窓が現れます。

 

 

登山も終盤。「地獄の階段」と呼ばれる連続した階段を越えると、いよいよそこで、威風堂々と佇む縄文杉と対面することができます。樹齢1000年以上のものを「屋久杉」と定義し、それよりも若い杉は「小杉」とされるのだそうです。そんな中、「縄文杉」の名を一手に受けたこの大木は、人の歴史よりもずっと長い島の歴史を体現ながらも、たくさんの来訪者を優しく迎え入れてくれました。ふと、自分に由来する幾多の命に想いを馳せ、いつまでも、いつまでも、時を忘れて見つめていたいという衝動が込み上げました。

 

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旅は自力で進めてしまうことが多い中、この縄文杉登山は専門家のお力をお借りしました。ガイドを担当して頂いたLUFF-UP TOURの和田さんの解説により、島の歴史や杉の見どころ、そこで暮らす生き物たちのことなど、たくさんの知識や発見のきっかけを頂くことができました。また、往復9時間あまりの工程を元気に乗り切ったのも、適切なペース配分のお蔭だと思います。

 

どんなに価値あるものでも、それを知らなければ見過ごしてしまうのが人の常。今回、縄文杉へ向かうまでにも、たくさんの由緒ある木々に迎えられ、虫や動物たちの声に耳をすませ、そして和田さんとっておきの湖で脚を癒し、ほんの少しだけ、屋久島の隠れた魅力にも触れることができました。いかなる世界でも、その道を愛し、貫いてきた方の視点をお借りすることで、視界に映る景色は全く違うものになることを改めて実感しました。

 

 

専門用語で「切株上更新」「倒木上更新」と言われるように、命を全うした杉の上に、また新しい命が息づいている様子を、道中で何度も見ることができました。人の命も然り。独りよがりになりそうな刹那、自分の中に脈打つ歴史の音色をすくい上げることができたなら、また一つ、年輪を重ねられるのかも知れません。そんな、兆しのようなものを感じる旅でした。