式子内親王 しょくしないしんのう 久安五~建仁一(1149~1201)
式子は「しきし」とも(正しくは「のりこ」であろうという)。御所に因み、萱斎院(かやのさいいん)・大炊御門(おおいのみかど)斎院などと称された。
後白河天皇の皇女。母は藤原季成のむすめ成子(しげこ)。亮子内親王(殷富門院)は同母姉、守覚法親王・以仁王は同母弟。高倉天皇は異母兄。生涯独身を通した。
平治元年(1159)、賀茂斎院に卜定され、賀茂神社に奉仕。嘉応元年(1169)、病のため退下(『兵範記』断簡によれば、この時二十一歳)。治承元年(1177)、母が死去。同四年には弟の以仁王が平氏打倒の兵を挙げて敗死した。元暦二年(1185)、准三后の宣下を受ける。建久元年(1190)頃、出家。法名は承如法。同三年(1192)、父後白河院崩御。この後、橘兼仲の妻の妖言事件に捲き込まれ、一時は洛外追放を受けるが、その後処分は沙汰やみになった。
建久七年(1196)、失脚した九条兼実より明け渡された大炊殿に移る。正治二年(1200)、春宮守成親王(のちの順徳天皇)を猶子に迎える話が持ち上がったが、この頃すでに病に冒されており、翌年正月二十五日、薨去した。五十三歳。
藤原俊成を和歌の師とし、俊成の歌論書『古来風躰抄』は内親王に捧げられたものという。その息子定家とも親しく、養和元年(1181)以後、たびたび御所に出入りさせている。正治二年(1200)の後鳥羽院主催初度百首の作者となったが、それ以外に歌会・歌合などの歌壇的活動は見られない。他撰の家集『式子内親王集』があり、三種の百首歌を伝える(日本古典文学大系八〇・私家集大成三・新編国歌大観四・和歌文学大系二三・私家集全釈叢書二八などに所収)。千載集初出。勅撰入集百五十七首。
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「彼女の歌の特色は、上に才氣溌剌たる理知を研いて、下に火のやうな情熱を燃燒させ、あらゆる技巧の巧緻を盡して、内に盛りあがる詩情を包んでゐることである。即ち一言にして言へば式子の歌風は、定家の技巧主義に萬葉歌人の情熱を混じた者で、これが本當に正しい意味で言はれる『技巧主義の藝術』である。そしてこの故に彼女の歌は、正に新古今歌風を代表する者と言ふべきである」(萩原朔太郎『戀愛名歌集』)
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『式子内親王集』と勅撰集を中心に、百首を抜萃した。歌の末尾に付した( )内は出典とした歌集を示す。アラビア数字は新編国歌大観番号である(勅撰集の場合のみ提示)。出典を記していない歌はすべて『式子内親王集』を出典とする。勅撰入集歌でも『式子内親王集』から採った歌は、末尾の〔 〕内に採録された勅撰集名と新編国歌大観番号を記した。
※注釈の付いていないテキストはこちら。
春 21首 夏 10首 秋 20首 冬 10首 恋 22首 雑 17首 計100首
春
百首歌たてまつりし時、はるの歌
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水(新古3)
【通釈】山が深いので春が来たとも知らない我が庵の松の戸――その戸に、途絶えがちに滴りかかる雪の雫よ。
【語釈】◇松の戸 松の木で作った板戸、または松の枝を編んだ枝折戸。いずれにしても山家の粗末な戸である。「松」には「待つ」が掛かる。◇たえだえかかる 間隔を置いて掛かる。どこから落ちてくるとも言っていないが、それゆえにかえって「雪の玉水」のイメージは鮮烈である。◇雪の玉水 雪が融けてできた雫。掲出歌以前の用例は見えず、おそらく式子内親王創意の語であろう。
【補記】正治二年(1200)、すなわち内親王薨去前年、後鳥羽院に詠進した百首歌「正治初度百首歌」。
【他出】式子内親王集、自讃歌、定家十体(有心様)、六華集、新三十六人撰、女房三十六人歌合
【主な派生歌】
山ふかみなほ窓さむき風の音に春ともしらぬ竹の雪折れ(伏見院)
春もまづしるくみゆるは音羽山峰の雪より出づる日の色
【通釈】春でも真っ先にその兆候がはっきり見えるのは、音羽山の峰に積もった雪から姿をあらわす日の光の色である。
【語釈】◇音羽(おとは)山 平安京の東、近江との国境にあたり、逢坂山の南に続く山。古今集以後、時鳥と紅葉の名所とされ、春歌に詠まれた例は比較的少ない。
【補記】「前小斎院(さきのこさいいん)御百首」の巻頭歌であり、式子内親王の御集の巻頭歌。「前小斎院御百首」は成立年不明。承安元年(1171)から同三年頃とする説や、文治三年(1187)頃から建久五年(1194)までの間と推測する説などがある。いずれにしても残存する内親王の百首歌では最初のもの。
【参考歌】藤原俊成「久安百首」「長秋詠藻」
春きぬと空にしるきは春日山嶺の朝日のけしきなりけり
雲ゐより散りくる花はかつき消えてまだ雪さゆる谷の岩かげ
【通釈】空から散って来る花はたちまち消えて、まだ残雪が寒々としている谷の岩蔭よ。
【語釈】◇散りくる花 雪を花と言っている。
【補記】家集に収められた二つめの百首歌の春歌。この百首歌には「建久五年五月二日」の跋があり、これが百首を読み終えた日時を示すのであれば、作者四十六歳の作ということになる。
峰の雪もまだふる年の空ながらかたへかすめる春のかよひ路
【通釈】峰の雪もまだ降っている、旧年のままの空であるが、片方では霞んでいる――そこが春のやって来る通り路なのだ。
【語釈】◇ふる年の 「ふる」は「降る」「旧」の掛詞。
【補記】冬から春へ、旧年から新年へ、空の霞に時の移りゆく兆しを見ている。下記躬恒詠の控えめな本歌取りである。正治二年(1200)秋、後鳥羽院に詠進した百首歌、いわゆる「正治初度百首」の冒頭歌。
【本歌】凡河内躬恒「古今集」
夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風やふくらむ
【参考歌】平祐挙「拾遺集」
春立ちて朝の原の雪見ればまだふる年の心地こそすれ
色つぼむ梅の木のまの夕月夜春の光をみせそむるかな
【通釈】花の色が、まだ蕾のうちに潜んでいる梅――その木の間に夕月があらわれて、春めいた朧な光を見せ始めることよ。
【補記】「前小斎院御百首」。「夕月夜」は古く「夕月」の意でも用いられた歌語。
春くれば心もとけてあは雪のあはれふりゆく身をしらぬかな
【通釈】春が来たので、鬱結していた私の心も解ける、淡雪のように――そうして、ああ、愚かにも年老いてゆく我が身を忘れてしまうことよ。
【補記】「前小斎院御百首」。「あは雪の」は同音の「あはれ」を導くと共に、前句の「とけて」、後句の「ふり」と縁語になる。
見渡せばこのもかのもにかけてけりまだ緯ぬきうすき春の衣を
【通釈】野山を見渡すと、あちらこちらに掛けてあるのだった。まだ横糸の薄い春の衣を。
【語釈】◇このもかのも 此の面、彼の面。万葉集から見える語。◇緯(ぬき) 衣の横糸。うっすらとたなびく春霞を、横糸の薄い衣と言いなした。
【補記】「前小斎院御百首」。
【本歌】在原行平「古今集」
春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ
百首歌に
にほの海や霞のをちにこぐ舟のまほにも春のけしきなるかな(新勅撰16)
【通釈】琵琶湖に立ち込める霞――その彼方に漕いで行く舟が帆をいっぱい広げているのも、満ち足りて春らしい趣きであることよ。
【語釈】◇にほの海 鳰の海。琵琶湖の古称。◇まほ 真帆。「片帆」と対になる語で、いっぱいに広げた状態の帆。「真正面」「完全であること」などの意を持つ同音語「まほ」も響く。◇けしき 景色でなく気色。ありさま、兆し、情趣などの意。
【補記】「正治初度百首」と『式子内親王集』では第二句「霞のうちに」。
【主な派生歌】
住吉の霞のうちに漕ぐ舟のまほにもみえぬあはぢ島山(藤原秀能)
梅が枝の花をばよそにあくがれて風こそかをれ春の夕闇
【通釈】梅は花を遠く置き去りにして枝からさまよい出、風ばかりが香っている、春の夕闇よ。
【補記】「あくがれて」とは、梅の香りが花を離れて遠くさまよい出たことを言う。「春の夕闇」の中で、花の姿は見えず、ただ風だけが梅の香にかおっている。家集の二つめの百首歌。
【参考歌】藤原顕綱「拾遺集」
梅の花かばかりにほふ春の夜の闇は風こそうれしかりけれ
源俊頼「千載集」
むめが香はおのが垣根をあくがれて真屋の余りにひまもとむなり
百首歌たてまつりしに、春歌
ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな(新古52)
【通釈】眺め入った今日は過去になるとしても、軒端の梅は私を忘れずにいておくれ。
【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、新三十六人撰
【参考歌】菅原道真「拾遺集」
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな
【主な派生歌】
出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな(*源実朝)
花はいさそこはかとなく見わたせば霞ぞかをる春の明けぼの
【通釈】花は咲いたかどうか、それはともかく、何ということもなく見渡すと、霞がほのぼのと香り立つ春の曙よ。
【補記】「前小斎院御百首」。
百首歌たてまつりしに
いま桜さきぬと見えてうすぐもり春にかすめる世のけしきかな(新古83)
【通釈】まさに今桜が咲いたと見えて、空はうっすらと曇り、春らしく霞んでいる世のありさまであるよ。
【補記】正治初度百首。
花ならでまたなぐさむる方もがなつれなく散るをつれなくぞ見む〔玉葉239〕
【通釈】花ではなく、ほかに心の慰む手立てがあってくれたらなあ。そうであれば、すげなく散る花を、こちらも冷淡に眺めていよう。
【補記】「前小斎院御百首」。玉葉集に結句「つれなくてみん」として採られている。
この世にはわすれぬ春の面影よおぼろ月夜の花のひかりに
【通釈】この世にある限りは忘れない春の面影よ。朧月夜の花が、ほのかな光に浮かんで――。
【補記】朧月の光に照らされた花を前にしての感慨として詠まれているが、花を確乎たる実在として眺めているのでなく、「面影」として――すなわちその花が現実には存在しなくなったのちも、ありありと目に浮かぶイメージとして――見ている。「ながむれば見ぬいにしへの春までも面影かをる屋戸の梅が枝」(万代集、新続古今集)にしても、常に時間の相のもとに事物を観照する態度が沁みついていた内親王であった。
百首歌に
はかなくてすぎにし方をかぞふれば花に物おもふ春ぞへにける(新古101)
【通釈】とりとめもなく過ぎてしまった年月を数えれば、桜の花を眺めながら物思いに耽る春ばかりを送ってしまった。
【補記】「数ふ」は「暦を読む、めくる」意にもなるが、ここは「何年経ったかと思い返せば」ほどの意。「前小斎院御百首」。
【参考歌】藤原時房「続詞花集」
花ゆゑに過ぎにし春をかぞふればあはれ八十路に成りにけるかな
西行「山家集」
はかなくてすぎにしかたを思ふにもいまもさこそは朝顔の露
【主な派生歌】
うち忘れはかなくてのみ過ぐしきぬあはれと思へ身につもる年(*源実朝)
家の八重桜を折らせて、惟明親王のもとにつかはしける
やへにほふ軒ばの桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな(新古137)
【通釈】幾重にも美しく咲き匂っていた軒端の八重桜は、盛りの時を過ぎてしまった。風より先に訪れてくれる人がいてほしい。
【語釈】◇家の八重桜 この「家」は、式子内親王が晩年住んだ大炊御門(おおいみかど)の邸。
【補記】惟明親王は高倉天皇の皇子で式子の甥にあたる。親王の返歌は「つらきかなうつろふまでに八重桜とへともいはですぐる心は」。因みに続後撰集には同じく大炊殿の八重桜を巡って式子内親王と九条良経とが贈答した歌を載せる(「ふるさとの春を忘れぬ八重桜これや見し世にかはらざるらむ」「八重桜をりしる人のなかりせば見し世の春にいかで逢はまし」)。
【本歌】源氏物語「若菜」
宮人にゆきて語らむ山桜風よりさきに来ても見るべく
夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたた寝〔続古今147〕
【通釈】夢の中でも、盛りの過ぎた花に風が吹いて、落ち着いた心もない春の日のうたた寝よ。
【補記】続古今集など第三句を「風ふけば」とする本もある。
【他出】正治初度百首、三百六十番歌合、秋風集、続古今集
【参考】孟浩然「春暁」(→資料編)
春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少
よみ人しらず「古今集」
鶯の鳴く野べごとに来てみればうつろふ花に風ぞ吹きける
紀友則「古今集」
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
凡河内躬恒「新古今集」
いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ
残りゆく有明の月のもる影にほのぼの落つる葉隠れの花
【通釈】空に残り続ける有明の月――漏れて来るその光によってほのかに照らされながら落ちてゆく、葉隠れに散り残っていた花よ。
【補記】「前小斎院御百首」。
正治二年、後鳥羽院にたてまつりける百首歌の中に
今朝みればやどの木ずゑに風過ぎてしられぬ雪のいくへともなく(風雅225)
【通釈】今朝見ると、庭の梢に風が吹き過ぎて行ったのだろう、空の与かり知らない雪が幾重ともなく地に積もっている。
【補記】「しられぬ雪」は下記本歌により「空に知られぬ雪」を意味し、散った桜の花を指す。
【本歌】紀貫之「拾遺集」
桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける
花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる〔新古149〕
【通釈】花は散り果てて、これというあてもなく眺めていると、空虚な空にただ春雨が降っている。
【語釈】◇その色となく これといった対象もなしに。この「色」は仏教用語「色(しき)」の影響を受けた使い方で、視覚的に認識可能な対象物を指す。但し前句からのつながりとしては「花の色もなく」の意を帯びる。◇むなしき空 漢語「虚空」を和語化したもので、やはり仏教的陰影を帯びる語。前句からのつながりとしては「舞い散っていた花びらも今はない」という心が籠る。
【補記】初句は新古今集では「花は散り」とあるが、「正治初度百首」『式子内親王集』はともに「花は散りて」。
【参考歌】「伊勢物語」
暮れがたき夏のひぐらしながむればそのこととなく物ぞかなしき
藤原俊成「新古今集」
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞふる
やよひのつごもりによみ侍りける
ながむれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕暮の空(千載124)
【通釈】ぼんやり物思いに耽って眺めていると、鬱々とした思いをどこへ向かって放てばよいのか、そのあてもない、春の最後の夕暮の空よ。
【補記】三月晦、すなわち春の尽きる日に詠んだ歌。「思ひやる」は「思いを馳せる」「思いを晴らす」の両義を兼ねる。因みに式子内親王には「ながむれば」を初句に置いた歌がきわめて多い。ここに採らなかった歌では「ながむれば月はきえゆく庭の面にはつかに残る蛍ばかりぞ」「ながむれば木の間うつろふ夕月夜ややけしきだつ秋の空かな」「ながむればわが心さへ果てもなく行方もしらぬ月のかげかな」などがある。
【本歌】よみ人しらず「後撰集」(作者を在原業平とする本もある)
をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな
(「伊勢物語」九十一段には「昔、月日のゆくをさへなげく男、三月つごもりがたに」の詞書で同じ歌を載せている。)
【主な派生歌】
ながめつつ思ふもかなし帰る雁ゆくらむかたの夕ぐれの空(*源実朝)
夏
斎院に侍りける時、神館かんだちにて
忘れめや葵あふひを草に引きむすびかりねの野べの露のあけぼの(新古182)
【通釈】忘れなどしようか。葵の葉を草枕として引き結び、旅寝した野辺の一夜が明けて、露の置いたあの曙の景色を。
フタバアオイ
葵草(フタバアオイ)
【語釈】◇神館 賀茂祭(葵祭)の夜、斎院が潔斎のため籠る殿舎。上社の北の御阿礼野みあれのに仮設されたという。◇葵 ウマノスズクサ科のフタバアオイ。ハート型の青々とした葉をもつ。葵祭(下鴨神社・上賀茂神社の例祭)において衣装や車の飾りに用いられた。◇草に引きむすび 旅寝の際に草を編んで枕としたことから、神館での仮寝を、賀茂祭にゆかりのある葵に掛けて野宿のように言いなした。◇かりね 仮寝。「刈り」「根」の意が掛かり、いずれも草の縁語。◇露のあけぼの 野辺いちめんに露の置いた曙。「露」は神事の厳粛さにに感動しての涙を暗示しよう。
【補記】斎王は普段紫野の野宮を住居としたが、賀茂祭の時には華やかな行列を伴って神社に参向し、祭祀に奉仕した。その時の経験を回想しての作であろう。千載集所載の「神山のふもとになれし葵草…」(次項参照)にも斎院時代への懐古の情の強さが窺われる。なお初出の「前小斎院御百首」に詞書はない。
賀茂の斎院いつきおりたまひてのち、祭のみあれの日、人の葵あふひをたてまつりて侍りけるに書きつけられて侍りける
神山のふもとになれし葵草ひきわかれても年ぞへにける(千載147)
【通釈】神山の麓で馴れ親しんできた葵草よ。別れ別れになってから、何年も経ってしまったことよ。
【語釈】◇祭のみあれ 上賀茂神社で葵祭の三日前の夜に行われる御阿礼(みあれ)。降臨した神を賀茂社に導く祭事。◇神山(かみやま) 上賀茂神社の背後の山。「こうやま」とも。◇葵草 既出。◇ひきわかれ 別々の方向へと別れる。「ひき」は「草」の縁語。
【補記】賀茂斎院を退下してのち、賀茂祭の神事の日に、ある人が葵草を献上してきたのに対し、書き付けた歌。
いにしへを花橘にまかすれば軒のしのぶに風かよふなり
【通釈】昔の思い出を橘の花の香にまかせると、軒のしのぶ草に風が通って、その香が昔を語ってくれるのだ。
ノキシノブ
軒のしのぶ(ノキシノブ)
【語釈】◇しのぶ シノブ・ノキシノブなどの羊歯植物を指す。古家の軒などに着生する。「偲ぶ」意が掛かる。
【補記】下記本歌より、橘の花の香は昔を思い出すよすがとされた。ゆえに昔のことは「花橘にまかす」と言うのである。「正治初度百首」。
【本歌】よみ人しらず「古今集」
さ月まつ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
【参考歌】源俊頼「散木奇歌集」「新古今集」
故郷は散るもみぢばにうづもれて軒のしのぶに秋風ぞふく
百首歌たてまつりし時、夏歌
かへりこぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘(新古240)
【通釈】再び戻って来ない昔を、今のことのように思いながら寝入ると、うつらうつら夢見る枕もとに匂ってくる、橘の花の香よ。
【補記】こちらは本歌取りというわけではないが、前歌同様「昔の人を思い出させる橘の花の香」という当時の常識を踏まえている。しかし古今集の読人不知歌が不意に思い出される過去を詠んだのに対し、掲出歌では「かへりこぬ昔」を自ら追い求める心情が強く出ている。「正治初度百首」。
【本歌】「伊勢物語」三十二段
いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな
【主な派生歌】
すぎにける昔を今とおもふまに今日も昨日となりぬべきかな(藤原為家)
かへりこぬ昔を花にかこちてもあはれ幾世の春か経ぬらむ(*西園寺実氏[続古今])
いかがしる昔を今と見る夢のたえて人なき床の秋風(正徹)
時しあればしづのをだまきくるる夜に昔を今と匂ふ橘(飛鳥井雅永[新続古今])
きし方を思ひ思へばまどろまぬ夢の枕にかよふ秋風(*田捨女)
花橘の心をよませ給ひける
誰たれとなく空に昔ぞ偲ばるる花橘に風過ぐる夜は(玄玉集)
【通釈】誰というわけではないが、空に昔が慕われる。橘の花に風が過ぎてゆく夜は。
【語釈】◇空に 眺める空に。「むなしく」「放心して」など、さまざまな意味も響く語である。
【補記】家集にも勅撰集にも見えない歌。『玄玉集』は建久二~三年(1191~1192)頃に成立したと推定されている私撰集。撰者は不明。
百首歌たてまつりしに
声はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそく宵のむら雨(新古215)
【通釈】声は聞こえるものの姿は見えず、雲の中でむせぶように泣く時鳥よ。その涙がそそぐのか、今宵の驟雨は。
【補記】ほととぎすは雨の降る夜にもよく鳴く。「正治初度百首」。
【本歌】よみ人しらず「古今集」
声はして涙は見えぬ郭公わが衣手のひつをからなむ
【主な派生歌】
夜もすがら涙やそそくほととぎす今朝は露けき軒のたち花(後鳥羽院)
初雁の涙やそそく朝露になほ色まさる真野の萩原(九条道家)
五月雨の雲はひとつにとぢはててぬきみだれたる軒の玉水
【通釈】さみだれを降らせる雲は一面に空を覆い尽くして、貫いていた糸が切れたように散り乱れている軒の雫よ。
【補記】天の静と地の動の対比が鮮やか。「正治初度百首」。
【参考歌】在原業平「古今集」
ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるか袖のせばきに
正治二年、後鳥羽院にたてまつりける百首歌の中に
すずしやと風のたよりを尋ぬればしげみになびく野べのさゆりば(風雅402)
笹百合
笹百合 本州中部以西の山に自生。初夏、淡紅色の花が咲く。
【通釈】風のたよりが届き、涼しいことよとそのゆかりを尋ねて行くと、繁みの中で靡いている野生の百合の花に出逢った。
【語釈】◇風のたより 風が届けてくれたもの。百合の花の香をこう言った。◇さゆりば 百合。「さ」は接頭語で、「さみだれ」「早苗」などの「さ」と同じく、陰暦五月(田植月)との関係を示す。「ば(葉)」は慣習的に付けただけで、葉を言っているわけではない。因みに古歌の「さゆり」は笹百合か姫百合を指すことが多かったようである(いずれも陰暦五月頃に咲く)。
【補記】「正治初度百首」。
【参考歌】作者未詳「古今和歌六帖」「和漢朗詠集」
すずしやと草叢ごとに立ちよれば暑さぞまさる常夏の花
藤原俊成「文治六年女御入内和歌」
夏ふかみ野べのさゆりば風過ぎて秋おもほゆる森の蔭かな
百首歌の中に
夕立の雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山にひぐらしの声(新古268)
【通釈】夕立を降らせた雲ももう留まっていないこの山――暑かった夏の日が傾いたこの山で、いま蜩の声が響く。
【補記】「夕立の雲もとまらぬ」も「夏の日のかたぶく」も、「山」に掛かる。詞書の「百首歌」は不詳。
百首の歌たてまつりし時
窓ちかき竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢(新古256)
【通釈】窓近くの竹の葉に吹きすさぶ風の音のために、ますます短く醒めてしまった転た寝の夢よ。
【補記】詞書の「百首の歌」は不詳。「みじか夜の窓の呉竹うちなびきほのかにかよふうたたねの秋」など、作者には類想の歌がある。
【本説】白氏文集・和漢朗詠集「夏夜」(→資料編)
風生竹夜窓間臥(風の竹に生る夜、窓の間に臥せり)
秋
百首歌に
うたたねの朝けの袖にかはるなりならす扇あふぎの秋の初風(新古308)
【通釈】転た寝した明け方の袖に、変わったと感じる。なれ親しんだ扇の風が、今年最初の秋風に――。
【語釈】◇かはるなり この「なり」はいわゆる伝聞推定の助動詞。視覚以外の感覚に基づいて判断していることを表わす。◇ならす 「馴らす(使い馴らす)」と「鳴らす(ハタハタと音を立てて扇ぐ)」意を掛けているか。◇扇の この「の」は主格。
【補記】明け方、涼風を感じて短い眠りから目を醒ます。夏の間なら、床の辺の侍女が扇をあおいで風を送っていただろう。身体に馴れたその扇の風が、今や秋の初風に変わった――その趣の違いを袖に感じている歌。「正治初度百首」。
【本歌】藤原為頼「後拾遺集」
おほかたの秋来るからに身にちかくならすあふぎの風ぞかはれる
秋きぬと荻の葉風のつげしより思ひしことのただならぬ暮
【通釈】秋がやって来たと、荻の葉を吹く風が告げ知らせてから、予想していたことだが、愁いの尋常でない夕暮だことよ。
風に靡く荻の葉
風に靡く荻の葉
【補記】「ただならぬ」は下記参考歌を踏まえた言い方。秋思の尋常でないことを言う。「前小斎院御百首」。
【参考歌】藤原義孝「義孝集」「和漢朗詠集」
秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露
【主な派生歌】
袖の上につゆただならぬ夕かな思ひし事よ秋の初風(後鳥羽院)
百首歌の中に
ながむれば衣手すずしひさかたの天の河原の秋の夕暮(新古321)
【通釈】じっと眺めていると、自分の袖も涼しく感じられる。川風が吹く、天の川の川原の秋の夕暮よ。
【補記】まだ星は見えていない夕空を眺め、天の川に思いを馳せる。爽やかな涼感に焦点をしぼった、清新な七夕詠。「前小斎院御百首」。
【主な派生歌】
夕されば衣手すずし高円の尾上の宮の秋のはつかぜ(*源実朝)
夕まぐれそこはかとなき空にただあはれを秋の見せけるものを(三百六十番歌合)
【通釈】夕暮時、どうということもない空に、ただしみじみとした趣を秋が見せるのだなあ。
【補記】家集にも勅撰集にも見えず、建仁元年(1201)三月以後成立の紙上歌合『三百六十番歌合』に見える歌。「前小斎院御百首」には類想の「秋はただ夕の雲のけしきこそそのこととなく詠められけれ」が見える。
よせかへる波の花ずり乱れつつしどろにうつす真野の浦萩
萩の花
萩の花
【通釈】寄せては返す波に花が散り込み、あたかも乱れた摺り染めのようになって――しどろに色をうつす真野の浦萩よ。
【語釈】◇花ずり 花を衣に擦り付けて色を染めること。この歌では、岸辺の萩叢に打ち寄せる波に花が散り込むことを「花ずり」に見立てている。◇しどろにうつす 乱雑に、萩の花の紅を波に移す(写す)。◇真野(まの)の浦萩 真野の浦の岸辺の萩叢。真野の浦は近江の歌枕で、今の大津市真野町あたり。真野川が琵琶湖に注ぐところで、入江をなす。古く萩の名所とされた。
【補記】「正治初度百首」。
おしこめて秋のあはれに沈むかな麓の里の夕霧の底
【通釈】麓の里に夕霧がたちこめる。まるで、ああ、秋のあわれな情趣をその中にすべて押し包むようにして。この里も私も、その霧の底深くに、沈み込んでゆくのだ。
【補記】「前小斎院御百首」。
正治二年百首歌たてまつりける時
我がかどの稲葉の風におどろけば霧のあなたに初雁のこゑ(玉葉578)
【通釈】家の門先の稲葉を吹く風の音にはっとしていると、霧のかなたに初雁の声がする。
【語釈】◇おどろけば 古今集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」を踏まえ、季節のうつろいへの「おどろき」を読み取るべきところ。◇初雁 その年初めて訪れる雁。仲秋の風物。
【補記】「正治初度百首」。初句を「我が宿の」とする本もある。
それながら昔にもあらぬ月影にいとどながめをしづのをだまき〔新古367〕
【通釈】それはそれ、月は同じ月であるのに、やはり昔とは異なる月影――その光に、いよいよ物思いに耽って眺め入ってしまった、繰り返し飽きもせず。
【語釈】◇しづのをだまき 倭文(しづ)を織るのに用いた苧環。苧環を繰ると言うことから「繰り返し」の意を呼び込む。「しづ」には「(ながめを)しつ」の意を掛ける。
【補記】「前小斎院御百首」。新古今集では詞書「秋の歌とてよみ侍りける」、第三句「秋風に」とある。
【他出】定家八代抄、詠歌大概、自讃歌、心敬私語、歌林良材
【本歌】「伊勢物語」第三十二段
いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすよしもがな
在原業平「古今集」
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして
【主な派生歌】
くり返し昔にもあらぬ夕暮の色に思ひをしづのをだまき(正徹)
百首歌たてまつりし時、月の歌
ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん(新古380)
【通釈】つくづく眺め疲れてしまった。季節が秋でない宿はないものか。野にも山にも月は澄んでいて、どこへも遁れようはないのだろうか。
【語釈】◇ながめわびぬ 「ながむ」はじっとひとところを見たまま物思いに耽ること。「わぶ」は動詞に付いて「~するのに耐えられなくなる」「~する気力を失う」といった意味になる。◇月やすむらん 月は澄んでいるのだろうか。秋は月の光がことさら明澄になるとされた。「すむ」は「住む」と掛詞になり、「宿」の縁語。
【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家十体(濃様)、定家八代抄、時代不同歌合、新三十六人撰、三五記、六華集、題林愚抄
【本歌】素性法師「古今集」
いづこにか世をばいとはむ心こそ野にも山にもまどふべらなれ
【参考歌】よみ人しらず「古今集」
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ
相模「相模集」「新勅撰集」
いかにしてもの思ふ人のすみかには秋よりほかの里をもとめむ
題しらず
更くるまで眺むればこそ悲しけれ思ひも入れじ秋の夜の月(新古417)
【通釈】夜が更けるまで眺めていたからこそ悲しいのだ。もう深く心にかけることはすまい、秋の夜の月よ。
【補記】「『ふくるまで眺むればこそ悲しけれ』は、夜更けるまで眺めてゐると、月の面(おもて)が悲しくなつて來たといふのである。これはおのづからに、宵の程の月は、單にあはれなもので、悲しさはなかつたことを聯想させるものである。(中略)語(ことば)は單純で、餘情の多い歌といふべきである」(窪田空穂『新古今和歌集評釈』)。
【参考歌】藤原清輔「千載集」
今よりは更けゆくまでに月は見じそのこととなく涙落ちけり
【主な派生歌】
ながむれば涙しぐれと故郷に思ひもいれじ秋の夜の月(後鳥羽院)
百首歌たてまつりし秋歌に
秋の色は籬まがきにうとくなりゆけど手枕なるる閨ねやの月かげ(新古432)
【通釈】色々に咲いていた垣根の草花はうつろい、秋の趣は疎くなってゆくけれど、反対に、私の手枕に馴れてくる閨の月光よ。
【補記】「うとく」なる籬の秋の色と「なるる」閨の月影を対照させ、秋の深まりの中の孤閨を詠む。「正治初度百首」。
百首歌の中に
跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露の底なる松虫のこゑ(新古474)
【通釈】人の通った跡もなく生い茂る庭の浅茅――その草葉にぎっしりと絡みつかれ、露の底から聞こえてくる、人を待つような松虫の声よ。
【語釈】◇浅茅 丈の低いチガヤ。王朝文芸では、屋敷などの荒廃を表わすのに用いられた。◇むすぼほれ 「むすぼほる」は絡み合い結び合ってほどけない状態になること。心の鬱屈することにも言い、話手の心理状態をも暗示していよう。
【補記】「正治初度百首」。
【主な派生歌】
もみぢばをさそふ嵐にねをたえて露のそこなる庭の松虫(飛鳥井雅有)
擣衣の心を
千たび擣うつきぬたの音に夢さめて物おもふ袖の露ぞくだくる(新古484)
【通釈】果てしなく擣つ砧の音に夢から醒めて、悲しい物思いに耽る私の涙が落ち、袖に砕け散る。
【語釈】◇きぬたの音 布に艶を出すため、砧の上で槌などによって衣を叩く音。女性の仕事であった。晩秋の風物。◇露ぞくだくる 露も秋の風物。「くだくる」は露(涙)が落ちて四方に飛び散るさま。「うつ」「くだく」は縁のある語。
【補記】『式子内親王集』の補遺の部(「雖入勅撰不見家集歌」)に載り、元来式子の家集には無かった作。
【他出】式子内親王集、定家八代抄、詠歌大概、時代不同歌合、題林愚抄
【参考】「白氏文集」「和漢朗詠集・擣衣」(→資料編)
八月九月正長夜 千声万声無了時(八月九月正に長き夜 千声万声了(や)む時無し)
百首歌たてまつりし時
更けにけり山の端ちかく月さえて十市とをちの里に衣うつこゑ(新古485)
【通釈】夜は更けてしまった。山の稜線近くにある月の光は冴え冴えとして、十市の里に衣を打つ音が聞こえる。
【語釈】◇衣うつ声 前歌の「きぬたの音」に同じ。◇十市の里 大和国の歌枕。擣衣に因んで歌に詠まれることが多い(参考歌参照)。平安時代以降「とほち(遠地)」と混同され、鎌倉時代には「遠方」の意で用いていると見られる例も多くなるが、ここは由緒ある歌枕と見たい。
【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、定家十体(見様)、歌枕名寄
【参考歌】藤原長方「長方集」
寝覚してきけば物こそかなしけれとをちの里に衣うつ声
済円「続詞花集」
秋の夜をねざめて聞けば風さむみとをちの里に衣うつなり
【主な派生歌】
ふけにけり外山の嵐さえさえてとをちの里にすめる月影(源実朝)
秋の夜のしづかにくらき窓の雨打ちなげかれてひま白むなり
【通釈】静かな秋の夜の暗い窓を雨が打ち、ふと溜息をついてしまう――そうして過ごしているうち、戸の隙が白んでくるようだ。
【語釈】◇打ちなげかれて 「打ち」は、「雨が窓を打ち」と接頭語「うち」の掛詞。「うちなげく」は「ふと溜息をつく」意。
【補記】「建久五年五月二日」の跋がある百首歌。
百首歌の中に
秋こそあれ人はたづねぬ松の戸をいくへもとぢよ蔦のもみぢ葉(新勅撰345)
【通釈】秋だというので――私に飽きたというわけで――人は訪ねて来ない我が家――その松の戸を、いっそ幾重にも閉じてしまえ、蔦の紅葉よ。
蔦紅葉
蔦紅葉
【語釈】◇松の戸 松の板戸。「待つ」の意が掛かる。◇蔦(つた) ブドウ科、つる性の落葉低木。晩秋、鮮やかに紅葉する。
【補記】式子内親王の激しいまでの自閉傾向を窺わせる歌としては、他に「あと絶えていくへも霞め深く我が世をうぢ山の奧の麓に」(前小斎院御百首)がある。なお、詞書の「百首歌」は不明。
【主な派生歌】
しじまこそ今は我が身のつとめなれ幾重もとぢよ軒の蓬生(伊達千広)
吹きとむる落葉が下のきりぎりすここばかりにや秋はほのめく
【通釈】風が吹き寄せ、ひとところに留まっている落葉――その下で鳴くこおろぎの声――ここだけに秋はかすかに残っているのだろうか。
【補記】家集に収められた二つめの百首歌。結句を「秋のほのめく」とする本もある。
百首歌たてまつりし秋歌
桐の葉もふみわけがたくなりにけり必ず人を待つとなけれど(新古534)
【通釈】桐の落葉も踏み分け難いほど積もってしまったなあ。必ずしも人を待つというわけではないけれど。
黄葉した桐の葉
黄葉した桐の葉
【補記】桐の葉は一枚ずつふわりふわりと落ちる。「踏み分けがたく」なるまで相当の時間の経過が偲ばれる。その間、「人」は訪れなかったのである。余情あふれる秀歌で、古来式子内親王の代表作の一つとされた。
【他出】正治初度百首、式子内親王集、三百六十番歌合、自讃歌、定家八代抄、新三十六人撰、女房三十六人歌合、六華集、心敬私語
【本説】「白氏文集・晩秋閑居」「和漢朗詠集・落葉」
秋庭不掃携藤杖 閑踏梧桐黄葉行(秋の庭は掃はず藤杖に携はりて、閑(しづ)かに梧桐の黄葉を踏んで行(あり)く)
【主な派生歌】
庭の雪もふみ分けがたくなりぬなりさらでも人をまつとなけれど(後鳥羽院)
とどまらぬ秋をや送るながむれば庭の木の葉のひと方へゆく
【通釈】留まりはしない秋の後を追うのだろうか。庭を眺めていると、散り積もった木の葉が一つの方向へ寄ってゆく。
【語釈】◇秋をや送る 秋の後を付いて行くのだろうか。「送る」は「後る・遅る」と同源で、「後からついてゆく」が原義。木の葉の動きを、秋との別れを惜しんで後を追っているのかと見たのである。「送る」主体を話手と見、《秋を送らねばならないのだろうか。そう思いつつじっと物思いに耽っていると…》との解釈(日本古典文学大系)は一首の本意を見誤っている。また、《風が秋を送り出す》との解釈(和歌文学大系)も誤り。風の存在はこの歌において消し去られているのである。
【補記】「前小斎院御百首」。
おもへども今宵ばかりの秋の空ふけゆく雲にうちしぐれつつ〔続拾遺377〕
【通釈】名残惜しく思っても、今宵限りの秋の空よ。更けてゆく夜の雲に、ぱらぱらと時雨が降って。
【補記】「雲にうちしぐれつつ」と言ったのが趣深い。雲を眺めつつ涙を催す余情が籠るからである。藤原基家撰の私撰集『雲葉集』は「雲に」で採っているが、続拾遺集では「ふけゆく雲も」と凡庸化してしまっている。「正治初度百首」。