小学生が自殺した。
通学している学校が、「来月末で廃校になる」ことに抗議する自殺と報じられた。
遺書も残っていたため、その方向性で処理されるのであろうが、何と申していいものか…小学生には、そこまで考え思うことが出来る能力を持っていただけに、何とかその思いを自殺と言う手段でなく、よい意味での行動に移してほしかったものである。
もし…この小学生が死という結論でなく、生徒を巻き込み行動を起こしていたら、教員や父兄も知らぬ顔は出来なかったであろう。
そして、教育委員会も知らぬ顔は出来まい。
もし教育委員会、教員、父兄(PTA)が、「たかが子どもの戯言」と、知らぬ存ぜぬという顔をし、子どもの自殺に発展したら…それこそ大問題であったろう。(その可能性は無いとは言えぬが…)
しかし、この様な考えの出来た、子どもを失ったのは大きな損失である。
自殺という手段しか出来なかったことが、非常に悔やまれる。
この様な悲劇は二度と起きないよう、我々社会人含め、もう一度人間の基本的人権を真剣に考えないと、日本社会は益々、大変な悲劇を招くであろう。
多くの日本人よ…人命を他人事と思うなかれ。
明日は我が身である。「その時では遅い・・・」のである。
それが自殺の現実だから…