星型要塞五稜郭に函館奉行所(24.7.11) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

五稜郭近くのお寺に寄った後は五稜郭へ。
ここも20代の頃2度来てるはずだけど、1度の方しか覚えておらず。
 
今回は興味を持っての攻城、とっても楽しみでした。
星形星のお城にワクワクが止まりません飛び出すハート
 
↓写真左側がいわゆる五角形の部分で、二の橋を渡る手前(右側)のところは半月堡(はんげつほ)。
半月堡は城塞から独立した菱形状の土塁で、門から出てくる人馬が直接見えないように内部を守るための工夫されたものです。
 
 
借りたお写真ですがこれだとよくわかりますねニコニコ
 
戊辰戦争最後の舞台となった星形城塞五稜郭。
江戸時代末期に13代将軍徳川家定の命により建造された稜堡式城郭で、箱館開港に伴い防衛力の強化を目的に築かれました。
フランス式要塞で、費用不足もあり当初の計画よりも規模を縮小して築城。幕末には土方歳三隊が占拠し、箱館戦争の舞台になりました。
当初5ヶ所を計画していた半月堡は1ヶ所のみとなり、内岸沿いの低塁も3辺のみ、郭外の斜堤も4辺しか造られななかったそう。
大正3年からは五稜郭公園として一般開放され、昭和27年には五稜郭跡の名称で特別史跡として国の指定を受けました。
 
五稜郭側から見た五稜郭タワー。
 
半月堡に上がってみました。
上からだと菱形なのがあまりわからなかった。
 
二の橋から五角形の中に入ります。
この先は藤棚があったので、開花する時に行ったらきれいだろうな~
 
 
クルップ砲
昭和7(1932)年七重浜埋め立て工事の際に発見されたもの。
ドイツのクルップ社製造の大砲だそう。
 
大砲のすぐ近くに兵糧庫や売店があり、カフェも入っていました(開いていなかったけど)。
その前に日本100名城のスタンプがあったんですが、気付かずガーン
私達が事前に観ていた情報では五稜郭タワーの受付で押せるとなっていて。
でもその情報はかなり古くてとっくに変わっていたのですが、確認不足であせる
五稜郭タワーの見学後に受付の方に聞いたらここだったとわかり、再度来る羽目になったのでした滝汗
 
白い五稜郭タワーが青空に映えて素敵キラキラ
先ほど寄った最上寺が見えます。
 
大砲を運んだ坂
稜堡の上に大砲を運ぶため、箱館戦争の時に追加で築かれた坂。
 
今は土塁にたんぽぽが咲く音譜
 
見隠し塁(目隠し塁)
至近距離からの攻撃を防ぐため、外から城塞内が見えないようにするため工夫。
 
睡蓮が咲いていました。
 
 
 
9時になり、箱館奉行所が開いたので入ることに。
 
箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所で、箱館開港時に函館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に元治元(1864)年に完成しました。
箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の明治4(1871)年に解体、存在した期間はわずか7年でした。
平成22(2010)年に可能な限り建築当時の材料・工法を使用し、1/3の規模で復元されました。
 
復元のものなので撮影はOKです。
 
1/3の規模とのことですが、とてもきれいで広く感じました。
実際にはこの3倍だったとはさすがですね。
 
あれ?
またまた名探偵コナンが笑