石切劔箭神社(石切さん)参拝~石切回廊「つるぎ屋」のつるぎ餅 | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

市役所を後にし長田駅へ戻るのではなく、近鉄けいはんな線の荒本駅へ向かいました。
駅までは徒歩7分ほどで、東大阪市役所に行くなら、長田駅より荒本駅利用の方が時間は半分くらいの歩きで済みますね。
ただ大阪メトロ1日券を買っていたので、長田駅で降りて歩いて市役所まで行っていましたが、この後は近鉄沿線の神社で行きたいところがあったので、荒本駅に向かったのでした。
因みに大阪モノレールが延伸したら荒本駅も出来るのですが、以前の記事にも書いた通り、開業予定は2029年なので我が家はまだ大阪にいるかな?どうだろう。
 
荒本駅から2駅近鉄に乗り、降りたのは新石切駅。
ここから徒歩10分ほどの石切劔箭(いしきりつるぎや)神社へ。
 
大きくて立派な一之鳥居から歩きました。
 

二之鳥居

 
迫力ある辰の大絵馬。
 
絵馬殿 神門でもある
 
石切劔箭神社の創建は神武天皇2(紀元前659)年と伝わる大変歴史ある神社で、「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれているそう。
太平洋戦争後に神道石切教を設立させ、その総本部になっています。昭和50(1975)年には東京都文京区に分祀、石切東京分祀が鎮座しているそうです。
 
三之鳥居
この先が現在の境内となっています。
↓写真真ん中に写っているのは百度石。
石切さんのお百度詣りは有名だそうで、この日も何人かやっていて驚きました。
時代劇ドラマでしか観たことなかった!!
 
本殿
 
御神木
 
穂積神霊社
北側にあった穂積堂は、明治初期に第104代宮司木積一路翁が郷学校(現石切小学校の前身)を開き、子弟教育に尽力されところでしたが、昭和45年に焼失。後に穂積堂に祀られていた御神霊を穂積神霊社として再びお祀りしたのがここで、病魔災難除け、学問向上の神様として篤い信仰を集めているそう。
確かに熱心に手を合わせている方が数人いて、お賽銭を入れるのもしませんでしたあせる
 
願いを託す祈り亀カメ
 
神霊池に祈り亀を放すと、亀は祈り続けるそう。
 
水神社
 
主人の御朱印↓
 

 

石切駅方向への参道には商店が続き、風情ある通りだそうで歩いてみました。

飲食店ではおでんを提供しているお店が多かったですおでん左おでん真ん中おでん右

 

ショップが何店舗か入っている石切回廊さんへ。

 
お団子を販売していたつるぎ屋さん。
大阪市内で和菓子を製造・販売して40年のお店だそう。
 
つるぎ餅を買って食べましたお団子
とっても柔らかいよもぎ餅で、中の粒あんの皮がしっかり残っているタイプで美味しかったです。
 
狭い通りの両側にお店がいっぱい!!
歩いている方やお買い物をしている方も多くて楽しい通りでした。
 
 
ところで石切さんに参拝に来られている方が多く、どうしても人が写り込んでしまいました。
本殿前のお写真は元々こんな感じで人が写っていたのですが(モザイクは掛けました)下矢印

 
機種変したスマホで生成AI編集をすると、先に載せた写真のように編集出来ました。
再度載せて比べてみますが、すごくないですか?
人の影は写っていますね。
 
この後は新石切駅へ戻りまた違う所へ行きました。
また記事にします。
昨日の記事にも書いた12日の売上ですが、最終的には46万円超えだったそう。
「昨日シフトに入っていただいていた皆さんお疲れ様でした」とアルバイトリーダーさんがグループLINEに労いの言葉を送ってきていました。
いや~すごい、あちこち痛いはずだあせる
 
今月は祝日が2回ありますが、23日はシフト入り希望をしている人が激少らしくて汗
シャインの外国人の子と私だけで、後はキッチンにロングで入れる主婦の人と、夕方から大学生の子が1人いるだけ。
本社のよく来るヘルプの人は地震後初めて石川県の実家に帰省するそうでお休みで。
いつもとてもよくして下さっているのに、「僕も行けずに申し訳ございません。短時間でもいいのでご協力よろしくお願いします。」なんてLINEをしてくれていて。
もしかしたら1人入ってくれそうな子がいるみたいですが、久し振りに席は空いているのに案内出来ないくらいの人員で、クレームばかりになっちゃうかも笑い泣き