加藤清正公の墓所がある本妙寺・浄池廟[熊本市](23.12.25) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

大牟田市でマンホールカードをいただいた後は、熊本市内で1泊しました。 

 

旅の3日目の朝は前夜買っておいたパンを朝食に食べ、ホテルに荷物を預かってもらい、観光に出発。
熊本市電に乗り本妙寺入口駅で降りました。
この日最初に向かったのは停留所名にもなっている本妙寺。停留所から徒歩10分ほど歩くと、かなり大きい仁王門が建っています。巨大でかなりびっくりしました。
熊本地震で被災したそうですが、2022年に再建されました。国指定登録有形文化財です。
 
仁王門をくぐり大本堂まで伸びる参道は歩いて7分ほど掛かります。
参道には塔頭が12寺並んでいて、凛とした空気に包まれていました。
 
 
 
大本堂(勅願道場)
 
大本堂の先には、胸突雁木と呼ばれる176段の急勾配の石段があります。
中央には信者から寄進された多数の石灯籠が並んでいました。
 
 
176段登り切りました。
常夜塔が建ち、向かいには現在1軒だけ残る旅籠が。
 
本妙寺は日蓮宗六条門流の寺院で山号は発星山、御本尊は十界曼荼羅。
天正13(1585)年に加藤清正の父清忠の冥福を祈るため、日真の開山により大阪に開創されたことに始まるそう。
清正が熊本城主になった後の慶長5(1600)年に熊本城下に創建されていた瑞龍院に移されたそうです。
胸突雁木を登りきると加藤清正を祀る浄池廟があり、境内の宝物館には清正の遺品や肥後藩主だった加藤・細川家に関する文書・書画・工芸品・鎧兜等、国の重要文化財を含む約1400点が収蔵、展示されています。

明治時代の神仏分離令によって浄池廟と本妙寺は神社とお寺として分けられ、明治4(1871)年に社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となりました。さらに浄池廟の拝殿も撤去されたそうですが、西南戦争で焼失した大本堂と同時に浄池廟の建物も明治27年に再建されたそうです。

 

浄池廟拝殿

 
浄池廟本殿 清正公御廟所
 
 
 
金宦の墓
 
朝鮮から連れてこられた方が、清正公の七回忌の後に殉死したとは驚きました。
 
論語猿
 
栗毛堂
 
現在宝物館は閉館中で、3月に再開する予定だそうです。
 
浄池廟の裏手からさらに進み、清正公の銅像が建つ本妙寺公園へ向かいました。
 

この300段の石段を昇った先になります。

階段がきついので登りは迂回路を進み、下りは階段にしたのですが、迂回路がかなり迂回したので後悔しましたガーン

 
加藤清正公銅像
 
この日は霞んでいたのですが、お天気が良かったら熊本城が見えるようです。

 

主人の御朱印。

 

朝はとても寒かったのに、朝からかなり歩き、階段を昇り降りしていたら暖かくなりました。

とても清々しくいい時間の過ごし方をしたなと実感しましたお願い
 
ところでこの旅行の時の写真ですが、左上が霞んでいる写真ばかりになっています。
実はこの旅行のちょっと前に、スマホのカメラの所のガラスにヒビが入り、写真を撮るとそのヒビが映り込んでいてそういう写真になっていました。
機種変するのも面倒なのでそのまま使っていたのですが、そのヒビから何かの拍子に水でも入ったらスマホ自体がダメになると聞いて、今年に入り仕方なく(笑)機種変しました。
機種変したこととか記事に書くのも面倒だったし記事にしたいお出掛けネタがあって書いてなかったのですが、昨日コメントで霞について書かれた方がいたので、理由を書いておこうと思って簡単にだけど書くことにしました~