「どうする家康」の舞台浜松~浜松城・引間城・椿姫観音(23.4.17) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

井伊谷を観光し、バスで浜松中心部へ戻りました。
浜松駅まで行くバスでしたが、途中の市役所南[浜松市]バス停で降りました。
バスを降りると松が植えられていたのですが、鎧掛松と書かれています。

三方ヶ原の戦いで敗れ浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いで松に掛けたという伝説から名付けられたそう。

初代の松は浜松城榎門横の包丁堀脇にありましたが、昭和7年の暴風雨で倒壊。
現在の松は3代目だそうです。

 
と言うことで浜松城、青空に映えてカッコいい!!
 
築城の頃の石垣で約400年前のものだそう、荒々しさがまたいいですね~
 
城内にあった案内板の説明によると、浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築城し、元亀元(1570)年に入城、29歳から45歳までの17年間在城したそうです。
家康の後城主は代々譜代大名が勤め、在城中に老中まで栄進した人が多いため、「出世城」と呼ばれているそう。

 

江戸時代に天守は存在しなかったようで、絵図などにも記載がなく、本丸にあった二重櫓が天守の代わりだったようです。

現在の天守は昭和33(1958)年に鉄筋コンクリート造で再建された模擬天守。

模擬天守(現在51城)とはその城には天守がなかったのに作ってしまった場合や、別の場所に建てた場合の天守のことです。

現在天守は資料館として利用されていますが、以前入ったことがあるので今回はパス。

 
大河ドラマ「どうする家康」では、第15回の放送(4/23)で家康が浜松城に居城を移していましたね。

第17回の放送(5/7)では三方ヶ原の戦いが描かれるようです。

武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦いで、武田軍の圧勝で終わり、最初に書いた通り、家康は浜松城に逃げ帰ったんですよね。

三方ヶ原の戦いは元亀3(1573)年に三方ヶ原(現在の浜松市北区三方ヶ原町)で起こった戦いで、井伊谷城に行くバスの途中、三方ヶ原〇〇と言うバス停があったので、その辺りだったのではと思います。

武田軍と戦になる中、信玄が浜松城を素通りしたことに腹を立てた家康は背後から襲いますが、信玄の思惑通りで、万全の体制を整えていた武田軍に大敗し逃走しました。

 
 
若き日の徳川家康公像
若いのか・・・?
 
三方ヶ原の戦いの際の逸話が面白いんですよね~(面白いと言ってはいけないかてへぺろ)
・浜松市内の地名で小豆餅、銭取と言う所があるが、敗走中の家康が途中で立ち寄った茶屋の老婆より小豆餅を買い求め食べていたら、武田軍が迫ってきたので代金を払わず逃走。すると後から老婆が追いかけて来て家康から餅代を徴収した。

・敗走中お腹が減った家康は付近の農家に食べ物を求めた。家の者がお粥を提供したため、後に家康はこの農民に小粥(おがい)と言う名字を与えた。

・家康が武田軍の追跡を逃れるため浜松八幡宮の洞窟に身を隠した時、家康が乗った馬の白い尾が洞窟の外に出ていたそう。それに気づいた農民が家康に教え、上手く逃げ切れたので、後に家康はこの農民に白尾(しらお)という名字を与えた。

・敗走中の家康が恐怖のあまり脱糞(つまりうんちを漏らした)してしまったのですが、「これは味噌だ」と家臣に言い放った
「これは味噌だ」と松潤が言って欲しいてへぺろ
 
浜松城

静岡県浜松市中区元城町100-2

東海道新幹線・JR東海道本線浜松駅、遠州鉄道新浜松駅から徒歩20分

浜松駅バスターミナルより遠鉄バスで市役所前、市役所南、美術館、浜松城公園入口下車すぐ

 

別名:出世城、引馬城、曳馬城、引間城、匹馬城

築城主:今川貞相?

築城開始・完了年:永正年間(1504〜1521年)

廃城年:明治4(1871)年

 

浜松城からすぐ近くの、「どうする家康 浜松 大河ドラマ館」へ寄りました。

静岡市、浜松市、岡崎市で開館している大河ドラマ館ですが、静岡市の大河ドラマ館だけが400円の入館料で、他は800円でした。

 

ここでもやっぱり松潤がお出迎え、静岡のと同じパネルでした。
 
こちらは800円だけあり、見ごたえある展示でした。
ドラマに登場する浜松城城門が再現されていました。
 
家康、瀬名、信玄の衣装など、実際に撮影で使用したものも展示されていました。
信玄は阿部寛さんが演じていますが、さすが背が高いですね!!
右上の鎧は関水渚さん演じる女城主お田鶴(たづ)の鎧で、10キロ以上あるとか。
 
 他には4Kシアターや映像体験コーナーなどもあり楽しめました。
 
別の建物内では、発掘調査で見つかった本丸北東隅の石垣が展示されています。

なんと築城間もない1590〜1600年頃の石垣だそうで、本丸の北東の隅に当たるところだそう。

絵図などから本丸東側に石垣があったと推測はされていたそうですが、元城小学校が建っていたこともあり、その建設工事などで地盤が掘削され残っていないと考えられていたそうです。

 
続いて向かったのは、浜松元城町東照宮

東照宮は東照大権現つまり徳川家康を祀る神社で、全国に500社を超える東照宮があるそう。

 
 
鳥居の横に案内板と、曳馬城跡と書かれた石碑がありました。
 
「どうする家康」では引間城として登場しましたが、浜松城や東照宮がある辺りには元々引間城(=曳馬城)がありました。
引間城主の飯尾連龍を亡くした妻お田鶴は、今川方の女城主として遠江に侵攻してきた家康軍に抗戦し、討ち死にしました。
大河ドラマでは、妻の築山殿(瀬名)の親友であるお田鶴と戦をしたくない家康が城の明け渡しを再三進言しますが、お田鶴は拒否し、戦となり討ち死にしました。
その後瀬名が100本ほどの椿を植え祀ったことから、椿姫とも呼ばれています。
 
 
椿姫観音
大河ドラマの紀行潤礼で紹介されたので、寄ってみたかったんですよねキラキラ
 
関水渚さんが3月に訪れたそうで、椿の鉢もありました。
本当に切なくなるお話でしたね。
 
浜松ではGWに浜松まつりがあり、なんと5月3日家康公騎馬武者行列には松潤が参加するんだそうですね!!
他には井伊直政役の板垣李光人さん、平岩親吉役のハナコの岡部大さん、夏目広次役の甲本雅裕さんらがパレードするそう。
凄い人だろうけれど、その時に行ってみたかったな笑
 
浜松で美味しいものも楽しんだので、次回記事にします。
昨日はホールの開店準備はアルバイトリーダーさんで、キッチンは社員の外国人の子でした。
で、私は7:30からお仕事だったのですが、7:05くらいにアルバイトリーダーさんから主婦メンバーのグループLINEに「〇ちゃんが来ない」と汗
取り合えず身支度出来ていたので急いで向かったんですが、結局その子が来たのは9時近く。
たまたま本社の人から7時過ぎに電話が入ったので〇ちゃんが来ないと伝えたら、急いできてくれるとのことだったそうで。
その本社の方が来るまではアルバイトリーダーさんがキッチンに入り、キッチンの人が来ないのでトーストだけしか提供できないと伝え、OKだったかたに入店してもらいました。
それでも15組以上どんどん来店し、やっぱりやめるわと帰る人がいたり。
その後本社の方が来たので、アルバイトリーダーさんもホールに出たのですが、まさにてんてこ舞いだった。
その後〇ちゃんが泣きそうな顔をして出社したけれど、最近遅刻が続いていたのでちょっと呆れています。
確かに人が足らなくて閉店までの翌日開店からの出勤とか続いていたようですが、社員だし。
家も近くないみたいなので気の毒なんですがね。
トーストモーニングが無料で提供するもので、プラス料金をいただくメニューの提供が出来なかったから、売り上げ的にも悪くなってしまったと思いますショボーン
今日も同じ2人が7時からなんですが、ちゃんと来たのかな~
 
私は今日明日は16時から。
主人は昨日の夜出社し帰ってくるのは明日の夜なので、家のことややりたいことを進めたいです。