今日は備忘録と寿命のお話

父の誕生日が1月4日、87歳を迎える事なく去年11月せっかちな父は逝ってしまった。最後まで生き抜いた父だった。

四十九日も無事終えたので、ほんの一区切り。

今は事務処理と実家の撤収に注力しております。
ご心配なく😌コメント等はどうぞご放念下さい。

母が永眠したのは7年前
母の誕生日を祝うため、父と3人で待ち合わせをしていた当日の朝の出来事だった。
初めは荒手のドッキリかと思い、中々飲み込めなかったなぁ。

その分、父とは最期ゆっくり過ごせた。
というか、私が一緒に過ごしたかったんだと思う。
それが現実になっただけ。ようやく今はそう思える。

実家で父と過ごした3ヶ月は想像を上回る出来事があったり、自分の不甲斐なさを実感したり、気持ちがジェットコースターのように巡ってしまう3ヶ月でもあった。

そんな時、同時期に親族を亡くされた方の言葉に救われた。
「お見送りした人はどんな人でも皆、後悔を持つらしい。だから一人じゃないよ。」
彼女の声やお人柄にとても癒された。

感情が揺さぶられるような事が生きているとあるものだ。

自分の気持ちを真ん中に戻したい時、
そんな時は人に話す事で、思いを放す事にもなる。

話し終えた後は、温泉に入ったようなポカポカした気持ちになり、揺さぶられる自分も含めてまるッといいじゃないか。と思えてきた。


後半は寿命のお話。
話していいよ、というサイン○を貰ったので今日はもう一つ放そう(話そう)と思います。

生まれる時と還る時は、唯一自分では決められない、選択出来ない事。
言い換えれば、誰でも寿命は全うしている。
と私は思う。

私が高校生の時、父に肺がんの疑いがあり入院した。ところが、1週間程で肺にあったはずの影が無くなった。主治医の先生も驚いていたのは私も憶えている。

そして今から18年前、弟が夭逝した。
駆け抜けていってしまったけど、私は全うしたんだと思っている。

暫くして、占いにハマっていた友人に連れられて新宿まで行った事がある。

その占い師に父と弟の事を伝えられた。
その時は話半分で聞いていたけど、今回の父の事で思い出した。

「お父さん、大病したことあるでしょ。その時に上同士が話し合って、弟さんの命を分けてあげたんだね。」

「上?分ける?」
確かに、あの時父が亡くなったら大変な事になっていたのは容易に想像出来る。
でも、当時はこの人何言ってるんだろう。
と思いながら、特に消沈している母には絶対に言えない、とも思った。

20年近く前のことを今回思い出したのは
父の最期の病院で、肺に影がある事を言われたからだ。消えたはずの影。

命を全うしたんだね、お父さん。


命は有限。
限りある命を最大限生きていこう。

その日に出来ることを精一杯やる事。
父から教わった事。
地球での長い旅路お疲れさまでした。
新たな旅へ行ってらっしゃい。



〜臨済宗妙心寺派、僧侶さまのお話

初七日では故人に喝を入れることであちらの世界へ進む後押しとなるそうです。四十九日までは七日毎に試練があるとか。

父への喝を入れて頂いた事で、私への喝にもなりました。読経の中で「か〜つ」と入れて頂く場面がある。

とはいえ四十九日の法要まで、父は日本全国旅をしていたに違いない。

自宅の前から右手を挙げて、行ってくるよ。といういつも旅に行く時の格好で挨拶をする父を私は視たから。

魂は永遠だ。

改めて、行ってらっしゃい。お父さん。


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