今日は母の月命日 | 家族全員ガンで看取って出来た夢〜それでも歩いていく〜

家族全員ガンで看取って出来た夢〜それでも歩いていく〜

2016年5月27日に父親、2020年5月9日に姉、2024年1月7日に母親、三人とも癌で亡くなりました。姉、母を在宅にて看取り、その経験からやりたい夢が出来ました。独身、子供なし。一人ぼっちの私がこれからどう生きていくか。ホームホスピスを作りたいという
夢に向かって…。

このブログを読んで頂いてる皆様。

こんにちは。光子です。


今日は母の月命日

母が亡くなって

もう4ヶ月経ちました。

去年の6月に自宅に退院してから

介護サービスを受けながら

自宅介護をしてました。

私が働かないと親子て路頭に

迷ってしまうので

基本、ヘルパーさんに来て頂き

排泄介助や食事は私が作ったものを

温めて出してもらっていました。


料理嫌いな私が

台所に立ち、包丁を持ってるなんて!

姉が見たらびっくりして

笑ってるだろうなと思います😊

なんせ、姉や母が元気な時は

台所に行くのは

飲み物を取りに行くだけだったので(笑)


仕事をしながらの自宅介護は

思っている以上に大変でしたが

やっぱり母と一緒に居られる

話しが出来るのは嬉しい事で

大変な中にも楽しみがありました。


大好きなバレーボールの試合を

最後まで見るために

母の車椅子の背もたれを

段ボールで作ったり。


作った事のない料理に関しては

母に聞きながら、味見をしてもらい

なんとか食べられる物が出来て

喜んだり。


施設に入っていたら

こんな些細な事に幸せを

感じなかったと思います。


母は亡くなる3日前から

せん妄の兆候があり

私が死んじゃうと大声で

誰か助けて下さいと叫ぶように

なってました。

私の手が冷たいのを具合が悪いと

思ってたようで…。

いない姉の名前を呼び

大声で

みっちゃん、頑張れ!

と叫び続けてました。

書いてて当時の事を思い出し

ウルウルしてきちゃいました😭


母はいつも

子供は宝と言っていました。

怒ることもなく

ただただ子供の幸せを

考えてくれる愛情深い人でした。

そんな母が大好きでした。

もちろん、今も大好きです。


もう、会うことも

話すことも出来ないのは

すごく寂しくて悲しいけど

沢山の思い出があるから…。


みっちゃん、頑張れ!


この言葉があるから

大丈夫💪


私の身体を心配して出た言葉

だと思いますが

今はやりたい夢に向かって

頑張れ!と言っているようにも

思えてきています。

だから

絶対にホームホスピスを作る!

夢では終わらせない!


今、色々な人に

夢の話しをしています。

興味を持ってもらって

一緒に活動してくれる人に

出会えたらと思って。


まだまだ始まったばかりなので

今後もここで進捗状況を

お知らせしていきたいと思います。


また、長々と書いてしまいましたが

最後まで読んで頂き

ありがとうございます。