今月は父親と姉の命日です。 | 家族全員ガンで看取って出来た夢〜それでも歩いていく〜

家族全員ガンで看取って出来た夢〜それでも歩いていく〜

2016年5月27日に父親、2020年5月9日に姉、2024年1月7日に母親、三人とも癌で亡くなりました。姉、母を在宅にて看取り、その経験からやりたい夢が出来ました。独身、子供なし。一人ぼっちの私がこれからどう生きていくか。ホームホスピスを作りたいという
夢に向かって…。

このブログにたどり着き

読んで頂いてる皆さん。

始めまして👋

プロフィールを見て頂ければ分かりますが

独身で今年、唯一の家族だった母親を

亡くし一人ぼっちになってしまった

光子といいます。


以前は姉のブログを姉亡き後毎月

月命日に引き継いで書かせてもらって

いたのですが

ログイン出来なくなり

自分で立ち上げる事にしました。


今月が姉と父親の命日なので

思い出を誰かに聞いてもらいたくて。


父親は食道癌

姉は子宮体癌

母親は肝細胞癌でした。

見事な癌家系ですよね。

私が癌になるのも時間の問題か?

と思ってしまいます。


今日はタイトルにも書いてある

夢について話したいと思います。

姉は家族の中で一番健康で

病気というとインフルエンザくらいしか

経験した事がない人でした。

そんな姉が子宮筋腫と診断され

大量出血、重度の貧血にて

治療を開始。年齢的に閉経も近い事から

手術はせず、治療を終えて数年経過しました。

ある時から食事量が減ってきて

腰痛を訴え始めました。

本人はマットレスが合わないのかと

買い替えたりしてました。

でも、全く軽減せず

鼠径の灼熱感が酷くなり

数メートル歩くのも辛くなりました。

後に聞いたら、不正出血が続いていた

そうです。

本人はまた子宮筋腫の出血かと

思い込んでいたようです。

仕事も上の立場上なかなか休もうとせず

ギリギリまで我慢してしまった結果

病院に行った時には

ステージ4bと最悪の結果でした。

すでに腹膜播種もあり

手術だけでは取り切れず、抗がん剤を

3クール行いましたが効果なく。

緩和治療を勧められました。

丁度、コロナが始まった時で

面会出来ず。

年齢的にも男性スタッフに

ケアをされるのは嫌なのではないかと

思い、在宅看護を選びました。

家に帰ってきてからも

癌にやる痛みとの戦いでしたが

姉が側にいてくれてる。

私の名前を呼んでくれてる。

それだけで嬉しかった。

今、書いていて当時の事が蘇り

涙が溢れてきています。

何年経とうが悲しく辛いですね。

そんな経験から、在宅看護の良さと

大変さを知りました。

私は看護師をしていますが

病院勤務しか経験がなかったので

この経験から在宅看護に興味が湧き

ホームホスピスというものに

たどり着きました。

漠然と思い描いていたやりたい事に

ピッタリはまったもの。

そう思い始めて、新たな夢が出来ました。

母親も応援してくれていたので

私の残りの人生、生きがいとして

頑張ってみようと思っています。


大変長々と書いてしまいましたが

最後まで読んで頂きありがとうございます。

これからも不定期に家族の介護の事

夢の事について書いていきたいと

思っています。

良かったらまた読んで頂ければと 

思います。