
先日、
インスタサポートをさせて頂いている方の
撮影について話していたときのこと。
「ここに
キャンドルの灯りがあったら
素敵だな」
素敵だな」
と思いました。
頼まれたわけでもないのに、
キャンドルを作り始めた私。笑
その方の
その時間を想像していたら、
作りたくなって生まれたキャンドル。
こういう、
仕事なのか、
遊びなのか、
よく分からないところから
何かが生まれる時間が、
私は好き。
娘がよく言うんです。
「お母さんは、
遊びも仕事も一緒だね!
楽しいもんね!」
主人も似たようなことを言います。
我が家では満場一致で、
お母さんが好きなのは、
言葉にするなら「仕事」らしい。笑
でも、
「仕事が好き」というより、
周りから見ると
それが「仕事」に見えるだけで、
私の中では、
暮らすことも、
遊ぶことも、
作ることも、
人と関わることも、
仕事をすることも、
分かれていないんです。
境界線がない。
そして最近、
それって
仕事と遊びだけじゃないなぁと
思いました。
妻の私。
母の私。
仕事をする私。
女としての私。
「○○の私」、ない。
役割、いる?
って、思うんです。
もちろん、
現実の中では、周りの方には
母として
妻として
仕事として
しているように、見えるでしょう
でも、
それはそのとき
必要なことをしているだけで
その役割が
「私」ではないし
私はその「役割」を生きていません。
共鳴の世界に生きているなら、
母の私、
仕事の私、
遊んでいる私、
それぞれが別々に
存在しない。
どこにいても、
何をしていても、
ただ私がいる。
誰かの時間を想像していたら、
キャンドルを作りたくなった。
だから、作った。
それが仕事なのか、
遊びなのか、
作品づくりなのか。
別に決めない。
ただある。
ただ暮らしている。
その中で、
人と出会って、
何かが生まれて、
必要なことをしている。
娘が言っていた
「遊びも仕事も一緒だね!」
って、
そういうことなのだと思う。
秘儀の3つを実践していて、
よく思います。
世界は、
思っていたよりずっとシンプル。
仕事と遊びを分けたり、
妻、母、仕事、女と
自分に名前をつけたり、
その役割を背負ったり。
いろんなものを足して、
複雑にしていたのは
いつだって自分。
ただ私がいて、
ただ暮らしている。
そこから
必要なことが生まれている。
それだけ。
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