【善い縁を結んでおくこと】


安岡正篤師の心に響く言葉より…


世の中は、人間というものは、何がどういう関係を持つか計り知れません。

たとえば、自分は事業界に入った。

製鉄会社である。

だから、鉄関係の人々には交際する、鉄関係の書物なら読む。

その他の人間にはあまり用事がない。

畑違いの本は読まない。

…こんな考えの人間が多いものです。

こういうのを浅見というのです。

人世の因果の微妙複雑なことがわからない浅はかな人間です。


金融のために銀行に行って、いくら頼んでも金は貸さない。

百計尽きておる際、ひょっこり昔の友人に逢った。

「おう!珍しい。どうしてる?」

「自分はこんな始末だ」

「そうか、君なら何でもやりとげられる人物だ。

(こう見込まれる自分であることが何よりたいせつだ)

僕の親友に××がおる。彼は話がわかる。一つ紹介しよう」

…こういうことから、意外な道が開けることが、しばしばあるのです。


人生の出来事というものも、たとえば何が幸いであり、何が禍(わざわい)であるかは、容易に分からぬ。

凡俗の浅薄な考えで、これは幸福だ、これは禍だとすぐに決めるが、人生・自然・天・神の世界の真実・理法は、そんな単純な、あるいはいい加減なものではない。

「人間万事塞翁(さいおう)が馬」という諺(ことわざ)もあります。


平生から、およそ善い物・善い人・真理・善い教え・善い書物、何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ縁を結んでおくことです。

これを「勝因」といい、「善縁」といいます。

とにかく、せっかく善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、キョトンとしたり、欠伸(あくび)をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。

うつけ者です。

むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、目を光らせる人であったら、何か見どころのある人間なのです。

『運命を開く』プレジデント社



中国の四書五経の一つ「大学」の中に、こんな一節がある。


心ここに在(あ)らざれば

視(み)れども見えず

聴(き)けども聞こえず

食(く)らいてその味を知らず


心がうわついて、うわのそらの時は…

どんなに素晴らしい物をみても、その真実が見えない。

どんなに、善い話を聞いても、心にストンと落ちない。

最高に旨い物を食べても、まるで砂をかむようで味がわからない。


普段から、いかに、善きもの、善きこと、善き場所、善き話、善き人、と縁を結んでおくかは人生にとってとても大切なことだ。

しかし、どんなに素晴らしいものや人と接しても、始終、うわのそらで、キョトンとしている人間は、せっかくの縁というチャンスをものにできない。


何が幸せにつながるかは誰もわからない。

だからこそ、視野は広く持ち、ささいな縁も大事にする人でありたい。




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