師匠との出会いも実に神仕組みのようだったが、いまから考えると、すべてに布石があったように思う。
それが神社参りだ。私が神社参りに目覚めたのは、大学生のころ、当時付き合っていた男性の就職祈願だった。彼は公務員を志望しており、私は大学の近くの松陰神社に毎日のように参拝して、彼の合格を神様にお願いした。すると、彼は第一次の筆記試験が通った。その神社参りが効いたのかどうかは定かではない。私は一次試験に受かったため、安心して神社参りをやめてしまった。ら、面接で失敗。彼は自暴自棄になり、第一志望の会社に受かってしまった私に妬みを持つようになり、結局はお別れしてしまった。
それからというもの、彼氏が全くできず、「凪」の状態が続いた。20代にして結婚相談所にも入った。焦れば焦るほど、ろくな男性に巡り会えなかった。そして私は北海道に転勤。非情ともいえる沙汰が出たが、私ができるのは神頼みだけ。とにかく暇さえあれば、北海道神宮に参拝し、ひたすらいいご縁を願った。願い続けた。そして今の夫に巡り会った。
そして師匠との出会いは、大分旅行。小さな息子をベビーカーに乗せて大分の由布院に行ったとき、宇佐神宮に参拝した。その後、師匠と縁ができた。以来、もう20年以上の付き合いだ。師匠は言う。「すべてこうなる前に、知らないうちに布石を打っていたのさ」。そう か。結果は私には見えなかったけれど、「神社参り」という布石は打っていたのか。
見えない世界と糸がつながった。大事なことってみんな目に見えないんだなあ。