最近、思うのだが、神様は「この人間、使えるな」という人間を選んで、厳しい短期集中レッスンをさせるようだ。
師匠は子供のころから、親からベルトのむちでぶたれ、ネグレクトされ、小学生の時から働いていたという。愛¥されもせず、ほったらかしにされ、近所のおばさんにかわいがられて育ったという。何度も死のうと思い、道路に寝そべったり、線路の上に寝てみたりとあらゆることをするのに死ねなかったという。そして、UFOを見たという。父親も実の父ではなく、母親は霊能者で、子供のころから家庭の温かさを知らないで育ったという。その結果、師匠は人の病気を霊視でき、治療し、人を導く神がかりの力を培ったのだと思う。宇宙の大もととなる「元津神界」からダイレクトに師匠のもとにスサノオさまがついたのだという。
私も師匠ほどではないが、小さいころから母親が厳しく、父とはけんかばかりだった。父は平気で母のことを殴っていた。それを幾度となく見させられて大人になった。常に「いい子」を演じなくてはならず、勉強ばかりを押し付けられた。だから私は、俗にいう優等生。私に本当の自由はなかった。大人の顔色を見ては、道化を演じた。本当は母から、認めてほめてもらいたかったが、一度もほめてもらった思い出はない。いい点数をとっても「お母さんのほうがもっとできた」と言われ、抱きしめてもらった経験さえない。
そんな母への反動からか、小さいころからストレスを抱え、神経性胃炎になったり、アトピーで苦しんだりした。もちろん、格好のいじめの対象にもなった。
私は師匠のように死のうとはあまり思わなかったけれど、どこかに助けとか救いを求めていた。それが、目に見えない世界だったのかもしれない。 就職してからも結婚して子供を産み、仕事を続けていくのは並大抵のことではなかった。子育てのため、早く帰らなくてはならないため、いじめやいやがらせもあった。
それでも、ここまでこられたのは、神様というサムシンググレートを信じていたからだと思う。
どこかの本で読んだのだけれど、「本当に大事なものは目に見えない」らしい。ぶあつい雲のむこうに太陽があるように、見えないけれど確かにある。そんな確信というか、希望の世界が、いまの自分を支えている。